人間は、尊く、崇高なものなのだと教えてくれたのは、 「世界がもし100人の村だったら」 というテレビ番組に出ていたガーナの男の子でした。
放送されてから、もう10年くらいになりますが、いまだに時々思い出しています。
11歳の兄と6歳の弟はカカオ農園に出稼ぎに来ています。
母も一緒に来ていましたが、病気になった為、帰されてしまいました。
なので、兄弟2人だけで住み込みで働いています。
2人とも破れた粗末な服を着ていて、生きるだけで精一杯という貧しさです。
日の出とともに仕事が始まって、まずは水を汲みに行きます。
歩いて20分の所まで水を汲みに行くのですが、水をいっぱいに入れたバケツを頭に載せて運びます。
重さが7~8キロあるので、子供の小さな体には重労働です。
この水汲みを朝3回、夕方3回するため、毎日6往復しなければなりません。
それから10メートルの木に登って、カカオの実を収穫します。
カカオの実はくるくると回してねじ切って取るので、不安定な木の上では危険な作業です。
もしも木から落ちたら大けがをしてしまいます。
カカオの実から種を出す作業もあり、その作業も休みなくしなければなりません。
ちょっとでもぼーっとしていたら、農園主から罰を与えられてしまうのです。
兄が言います。
「仕事は大変だけど、生きていくために働くんだ」
弟は、 「お母さんを助けたい。お母さんに会いたいなぁ」 と言います。
しつこいようですが、11歳の兄と6歳の弟です。
まだまだ子供です。
そして、この農園は子供にとって大変過酷な環境です。
こうして朝から晩まで一生懸命働いて稼いだお金は、食事代と母への仕送りで消えます。
食事、といっても一日2回だけ、それも粗末な食事です。
それを不満も言わず、一心に食べます。
ある日、兄弟は歩いて1時間の町へ買い物に行かされます。
農園主が食べるお米を買いに行くのです。
もちろん兄弟はお米なんか食べたことはありません。
その帰り道、2人は小学校の前を通りました。
小学校の校庭には、子供たちがいて、楽しそうに遊んでいます。
2人はそれをじっと見つめています。
兄は少しだけ学校に通ったことがありますが、弟は行ったことがありません。
弟はとても学校に興味があり、すごく行きたがっています。
そこで兄が一本だけ持っているボールペンを使って、弟に勉強を教えます。
ボールペンはボロボロでインクが出にくいのですが、兄の宝物です。
弟は、 「僕もボールペンがほしいなぁ」 と羨ましそうに言っています。
兄は 「農園の仕事はつらいから、弟には勉強をして違う仕事をしてもらいたい」 と弟を思いやります。
弟は 「お腹がすいたなぁ・・・」 と言い、続けて 「勉強がしたい。そして白人の国に行って、稼いでお母さんに仕送りをして、僕がみんなを食べさせてあげたいんだ」 と言います。
でも、それは叶わないことなのです。
兄弟は働かないといけないからです。
兄が切実な願いを、泣きじゃくりながら言います。
「僕は一生、ここで働き続けなきゃいけない。でも弟は・・・学校に通わせてあげたいんだ」
そんな兄の夢は、 ”大工さんになりたい” 弟の夢は、 ”トラックの運転手になりたい” でした。
こんなに過酷で厳しい現実の中で、自分は一生ここで働くのは仕方がない、と潔く受け入れ、でも、弟にはつらい思いをさせたくない、と泣く兄の崇高さはどこからくるのでしょう。
11歳の子供だから、まだ歪んだ思考を持っていないこともあると思います。
大人だったら、なんて自分はツイていないんだ、と運命を呪い、自暴自棄になるかもしれません。
親がちゃんとしてくれていれば、と親の不甲斐なさを嘆き、親を恨むかもしれません。
でも、この兄はつらい現実を誰のせいにもしていません。
自分を憐れむこともしません。
ただ純粋に、弟を思う・・・その気持ちだけです。
人間には、こんなに美しい神性が宿っているのだと、私はこの兄に教えられました。
どんなに苦しい状況にあっても、人間は自分のことよりも、人の幸せを願い、人を不憫に思うがゆえに泣けるのです。
感動しました。
農園で重たい大量のカカオの実を運びながら、兄弟は会話をします。
兄:これが何になるのかなぁ。
弟:ミルクになるんじゃない?
そして、取材の最後に、兄が曇りのない真っ直ぐな目をして、スタッフに聞きます。
自分たちが苦労して収穫しているカカオについてです。
「カカオがチョコレートになるって聞いたけど・・・
チョコレートってどんな食べ物なの?」
この場面を思い出すたびに泣けて泣けて仕方ないです。
今は兄弟そろって、幸せに暮らしているといいなー、と心から願います。