紀元前2世紀頃、九州の筑豊地方に住んでいました。
「カヌギヌト」 という名前の男性でした。
10歳くらいの時、外から帰ると父が死んでいました。
うずくまって死んでいて、すでに固くなっていました。
父が皮を着ていたので、季節は秋~冬だったと思います。
母はとっくに亡くなっていて、妹がいたけど、妹もずいぶん前に死んでいます。
私は父と2人暮らしでした。
無口でおとなしい人だったけど、そばにいるとホッとする父でした。
すがって泣いているのですが、固くなっているのが余計悲しみを誘います。
母が死んだ時も、妹が死んだ時も、本当につらかったのに、また愛する人の死を体験しているのでした。
私は1人ぼっちの天涯孤独の身の上になりました。
まだ子供だったので、伯父夫婦が面倒をみてあげようと言ってくれました。
いとこたちと暮らし始めましたが、疎外感があり、馴染めませんでした。
いつも肩身が狭く、ここでも悲しい思いや、つらい思いをたくさんしました。
人生の前半は暗く苦しいことばかりでした。
20代のなかば、私は結婚をしました。
妻の名前は、 「ニギタリシ」 で、14歳です。
高床式の神殿で挙式を、といっても食事会みたいなものですが、それをしています。
夕焼けが美しい時間帯です。
テーブルというか、大きな座卓が二つあり、男性と女性に分かれています。
卓上には、焼いた魚、赤っぽい米、などが並べられていて、榊も飾られています。
私は頭をみずらに結い、青い勾玉のネックレスをしています。
ふくらはぎまで藁で編んだ靴を履き、藁で作った腰みのをつけています。
髪は真っ黒で、前歯が欠けています。
集落の長老らしき白髪の老人を含め、男性たちは濁ったお酒を飲んでいます。
私は妻が可愛くて、仕方ありません。
今日という日が、嬉しくて嬉しくてたまりません。
妻は、足がすっぽり隠れる白い服を着ています。
袖も手が見えないように、手よりも長く作ってあり、袖口が広くなっています。
髪の毛にはアクセサリーをたくさんつけています。
夜が更けて、妻は先にこの神殿から帰りましたが、私は明け方まで飲みました。
妻は4人の子供を産んでくれました。
私はとにかく、毎日この妻が愛おしくて可愛くて仕方ありません。
子供よりもはるかに妻を愛しています。
妻もあふれんばかりの愛情を私に注いでくれています。
私たち夫婦は、いつも温かい気持ちで愛情豊かに暮らしていました。
私は37歳で肺を病んで死にました。
死ぬ間際は、時々息が出来なくて、ものすごく苦しいのですが、妻と4人の子供が看取ってくれているので、満ち足りた気持ちです。
愛に包まれて死にゆくことに感謝しています。
苦しんで死んだのに、死に顔は微笑んでいました。
幸せでした。
この人生は、不幸の先払いをした人生でした。
前半でつらく悲しい出来事が次々に襲ってきましたが、私はそれを乗り越えました。
人生の後半はそのご褒美でした。
このように、何も悪いことをしていないのに、苦しい・つらいことばかり起こる、という人生は、不幸の先払いをしている可能性があります。
つらい人生を歩んでいる方は、この不幸はカルマなのか、修行なのか、と考えると余計つらくなると思います。
不幸を全部サッサと先払いして、後から幸せだけを享受する・・・このような人生の展開もあります。
そして、その出口はもうすぐそこかもしれませんよ、というそういうお話でした。
「カヌギヌト」 という名前の男性でした。
10歳くらいの時、外から帰ると父が死んでいました。
うずくまって死んでいて、すでに固くなっていました。
父が皮を着ていたので、季節は秋~冬だったと思います。
母はとっくに亡くなっていて、妹がいたけど、妹もずいぶん前に死んでいます。
私は父と2人暮らしでした。
無口でおとなしい人だったけど、そばにいるとホッとする父でした。
すがって泣いているのですが、固くなっているのが余計悲しみを誘います。
母が死んだ時も、妹が死んだ時も、本当につらかったのに、また愛する人の死を体験しているのでした。
私は1人ぼっちの天涯孤独の身の上になりました。
まだ子供だったので、伯父夫婦が面倒をみてあげようと言ってくれました。
いとこたちと暮らし始めましたが、疎外感があり、馴染めませんでした。
いつも肩身が狭く、ここでも悲しい思いや、つらい思いをたくさんしました。
人生の前半は暗く苦しいことばかりでした。
20代のなかば、私は結婚をしました。
妻の名前は、 「ニギタリシ」 で、14歳です。
高床式の神殿で挙式を、といっても食事会みたいなものですが、それをしています。
夕焼けが美しい時間帯です。
テーブルというか、大きな座卓が二つあり、男性と女性に分かれています。
卓上には、焼いた魚、赤っぽい米、などが並べられていて、榊も飾られています。
私は頭をみずらに結い、青い勾玉のネックレスをしています。
ふくらはぎまで藁で編んだ靴を履き、藁で作った腰みのをつけています。
髪は真っ黒で、前歯が欠けています。
集落の長老らしき白髪の老人を含め、男性たちは濁ったお酒を飲んでいます。
私は妻が可愛くて、仕方ありません。
今日という日が、嬉しくて嬉しくてたまりません。
妻は、足がすっぽり隠れる白い服を着ています。
袖も手が見えないように、手よりも長く作ってあり、袖口が広くなっています。
髪の毛にはアクセサリーをたくさんつけています。
夜が更けて、妻は先にこの神殿から帰りましたが、私は明け方まで飲みました。
妻は4人の子供を産んでくれました。
私はとにかく、毎日この妻が愛おしくて可愛くて仕方ありません。
子供よりもはるかに妻を愛しています。
妻もあふれんばかりの愛情を私に注いでくれています。
私たち夫婦は、いつも温かい気持ちで愛情豊かに暮らしていました。
私は37歳で肺を病んで死にました。
死ぬ間際は、時々息が出来なくて、ものすごく苦しいのですが、妻と4人の子供が看取ってくれているので、満ち足りた気持ちです。
愛に包まれて死にゆくことに感謝しています。
苦しんで死んだのに、死に顔は微笑んでいました。
幸せでした。
この人生は、不幸の先払いをした人生でした。
前半でつらく悲しい出来事が次々に襲ってきましたが、私はそれを乗り越えました。
人生の後半はそのご褒美でした。
このように、何も悪いことをしていないのに、苦しい・つらいことばかり起こる、という人生は、不幸の先払いをしている可能性があります。
つらい人生を歩んでいる方は、この不幸はカルマなのか、修行なのか、と考えると余計つらくなると思います。
不幸を全部サッサと先払いして、後から幸せだけを享受する・・・このような人生の展開もあります。
そして、その出口はもうすぐそこかもしれませんよ、というそういうお話でした。