最近のぼっさま | 行雲ふしぎ日記

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Not all those who wander are lost.


(※ ぼっさまは何処におわすのか分からないので、今のところ関連写真がない。のでぜんぜん関係ない最近気に入ってる造り酒屋の酒粕に生はちみつと岩塩をかけた大人のおやつを貼ってみた。とても美味しい。お腹にも良い)




毎年年末は制限時間内にやること(家掃除・墓掃除・買出し・おせち作り・しつらえ)だらけのてんてこ舞いで、疲れて苛々しては波動を下げ、魑魅魍魎にエネルギーを吸われ余計に起き上がれなくなっては突如神様のどなたかに代わるがわるエネルギーを注入してもらっては起死回生、なんとか正月に滑り込みセーフ、という感じだったのだが、去年から毎年毎年これではいかんと方策を講じた。ずばり「カンペキを目指さない」である。もうそんなの1人で全部ムリだもんね。仏壇と神棚だけちゃんと綺麗になってたらあとはざっくりでいいや、おせちは超優秀な義妹が一緒にやってくれるからきっと何とかなるし。...この諦め作戦で去年から苛々しなくなり、魑魅魍魎とも波長が合わず氣を奪われなくなった(アレ超ムカつく。寝て回復しているはずが、夜中におちょくられてエネルギーを吸われ、朝目覚めたらさらに起き上がれなくなってる時の絶望感たるや! そこをアミノ酸を飲んで気合いで這い上がる訳だが!)。


でも魑魅魍魎と繋がらなくなっても年末の疲労時はいつもどなたか神様が来てくれて、寝ているときにエネルギーを充填していってくれるのだった。今年はなんと久しぶりにぼっさま(今年6月に再度現れた謎の神さま)だった。



こういうメモ代わりの投稿を残していたのだけれど、これ、ぼっさまである。肉体労働にふさわしい、心憎いエネルギー配分である。足腰を使うときは腹と脚に充分な体温と氣が欲しい訳である(そこが冷えていたら&枯れていたらマジで動けない)。そして義妹や弟と漏れなく上手くコミュニケーションを取り続けて乗り切りたいので喉のチャクラの補強である。第6第7チャクラはハッキリ言って目の前の現実を捌いていくのに要らん! お祈りの場ではないし! ...という訳で、ぼっさま天才かよ、分かってはるわぁ、という感じのエネルギーワークを戴いたのであった。褒めちぎってお礼申し上げた

その次は、1月の京都の十日戎の日だった。欲望とウィルス渦巻く夜の人混みへ突撃せんというのに、夕方には既にどっぷり疲れており。これでは免疫機能ダダ下がり、コロナやインフルエンザに負けてしまう、と出発を遅らせて自室のリクライニングチェアーで2時間仮眠した。そうしたらまたエネルギーを仕込んでくれていた。



目覚めかけの半覚醒状態で順にいろんな神様を想像していったら、またもやぼっさまでエネルギーがグワッと上がり。ちなみに、眠っている左側の腰横の上あたりにバスケットボールの1.5倍くらいのエネルギーの玉があったような気がする(ウロ覚え)。それで、ぼっさまだ...、と思ったついでに、ふと今更ながら聞いてみたのだった「...ぼっさまは善い神様ですか?」 いつも第7チャクラが立つので、私の中では“見做し・ちゃんとした神様”という扱いで来たけれど、未だ正体不明ではあるので、うっすらと一抹の不安を抱えてはいたのだ。するとその私の質問が終わるのを待たずに、身体に渦巻いていたエネルギーはグワーッとマックスに達したのだった。それが返事だった。...ですよね。失礼しました。愚問でございました。もし初回みたいにぼっさま側の世界に私が浸透した形で居たら、ものすごい咆哮で「ぼっっっ!!!」と聴こえ、「(決まっておるだろうが!)」と心に意味が届いていたに違いない。いやその前にあちら側でぼっさまの中に居たら、畏れ多くて平伏してそんな質問などぜったい出来なかったと思うけど。


そんな訳でむくりと起きたときには疲れはすっかり取れており、なんら気負うことなく十日戎に出掛け、風邪ひとつ引かずに無事帰ってきたのだった(もちろん防寒防菌対策は怠らない。こう見えてワクチン3回後も一度もコロナに罹っていないのだ)。


実は去年の6月に別宅に来られてから、やっぱり拝んで欲しいのかなあ...、と思ったので、毎晩自宅で神棚を拝むときに脳天大神さんの次に拝んでいる。皆に忘れ去られ存在の危機に陥っていたっぽい神様なので、まずお声がけは「今日もぼっさまはちゃんと居られます(断言)」から初めて、お楽にお元気になられますように、と思いながら光明真言を上げている(高野山の根本中堂のデカい五智如来さんから光が届くイメージをしながら。結縁灌頂を春秋と受けたし霊障時には宝生如来に話を聞いて戴いたので頼ってみた)。最初に見た縦長の5柱の墓石みたいな碑と、白木の位牌みたいなやつを、それぞれ(あの白木の位牌みたいなのは神道の霊璽というやつではないのか? ならばぼっさまは、元人間で死んでから神として祀り上げられた存在となのだろうか? でもその割に音声では「ぼっ!」としか喋らないしなあ)。


私のしていることは弱っていた神様を供養しているということなんだろう(神道の専門用語では供養じゃなくてなんかほかの言い方をするんだと思うけど)。やり方は分からないし、実質「想い」くらいしか届いていないような気がするけど、その後2回も出てきてエネルギーを下さったし(ちょうど要り用な時に!)、私も特に運気が落ちたりするでもなく無事で元気なので、今のところまあそんなにまずいことはしていないんじゃないかと思う。


という訳で、これを読んでくれた方は、ぼっさまは居られるんですねえ、とか、ぼっさまどうぞ諦めずに元気になって下さいねえ、とか、想ってあげて頂けると、人に忘れ去られて弱っていたぼっさまも、少し元気になるんではないかと思います。ちょっとひと気持ち、お願いします。ありがとうございます。




↓初めてのぼっさま




↓ぼっさま、再び