「心配するな!心配を祈りに変えて、全ての事を祈るのだ。そして、すでに持っているものに対して感謝の思いを向けるのだ。 イエス・キリストに属しているのだから、神はあなた達に平安を送るだろう。そしてその平安が、あなた達の考えや心配する思いから守ってくれるはずだ。神からくる平安は私たちの理解を遥かに超えたもので、私たちの心を守ってくれる。」ピリピ教会への手紙 4:6-7
この言葉に励まされとも
神の姿と声に出会えない真実に心を砕けること何度かある。
この思い、サタンへ明け渡すのと同じで、神のみ前に進めども、挫けそうになる。
これは自分の心を見て苦しんでいるからだろう。
それよりも神とイエスを見て、挫けそうになる思いを告げて祈る。
【祈り】の深さ、無理にでなく、不安になることを全て正直に祈る。
祈りとは何か?
神と人間とのコミュニケーション
神と話す。神との間にはイエスがとりなす。
《わたしが道であり、真理であり、いのちである》
イエスを通さなければ、父の元には行けない。
簡単に言い換えると
イエスを知ってしまえば、父なる神の存在を知る
イエスは神であり、神の御子である。
弟子たちはイエスと共にいた。父なる神をイエスの姿で見た。
現代ではどうだろう?
イエスもいないが姿も見えない。声も聞けない。
だが、聖書は真実であり、真理である。
歴史書でもなく、道徳でもなく、研究者たちが調べて実在を確信した《預言者たちが神の霊感を受けて書いた神からの手紙》なのである。
この聖書によって、あり得ない物語でもなく、ファンタジーでもなく、
どこかしら心の深いところで揺すり動かされて、何気ない毎日の日常の中にある感情が実は聖霊によって動かされる神秘的なものだと深く思い入ることがある。
だから、わたしは信じて祈る。神様と対話する。