衝撃…50年前より現代の「労働生産性の上昇率」が低い理由は | 時事刻々

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衝撃…50年前より現代の「労働生産性の上昇率」が低い理由は

テクノロジーが発達した現代ですが、労働生産性上昇率が1960年代に遠く及ばないのはなぜでしょうか。しかも、なだらかに上昇率が低下していく他国と比較して、日本は「急降下」してきています。しかし、山口周氏は20世紀後半という時代が「異常な状態」であったのであって、元に戻す必要はないと語ります。日本人が目指すべき未来はどのような社会なのでしょうか。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

経済は「異常な状態」から「正常な状態」へ

先進7カ国の労働生産性上昇率は、1960年代にピークを記録して以来、短期的な凸凹はあるものの、先進国全体の趨勢として明確な下落トレンドにあります。これは衝撃的なデータだとは思いませんか。1960年代といえば、通信手段は電話、電報、郵便に限定されており、ファクスはおろかまだコピー機や電卓すらなかった時代です。

1970年に打ち上げられたアポロ13号の事故を題材にした映画「アポロ13」には、致命的な事故を起こした宇宙船の中で、トム・ハンクス演じる船長のジム・ラヴェルが軌道の計算をやり直すシーンが描かれていますが、船長が計算に用いていたのは「鉛筆と消しゴム」で、検算を頼まれた地上のエンジニアが用いていたのは計算尺でした。

当時の計算機は非常に重く、遅く、高価だったので、複雑な数理計算を日常業務としているNASAですらほとんど電卓は使わず、たんぱく質でできた汎用計算機、つまり「脳」に依存していたのです。

そのような「ないない尽くし」の時代における生産性の上昇率と、ファクス、コピーはもちろん、携帯電話、メール、メッセンジャー、電話会議システム、コンピュータ、プレゼンテーションソフト、表計算ソフトなどのテクノロジーで武装されるようになった2000年代以降の方が、生産性の上昇率はずっと低いのです。

なぜ日本の労働生産性の上昇率が長期的に低下しているのでしょうか。

インターネット関連のテクノロジーが私たちの仕事現場に実装されるようになった1990年代の後半以降、私たちの働き方は激変したように感じられ、結果として生産性も大きく改善したように思われますが、実際のチャートを見れば、そのような「武装」には鈍化するカーブを変えるような効果がほとんどなかったことが読み取れます。

日々、進化を続けるテクノロジーを活用しながら、私たちは必死になって労働生産性を高めるために努力を積み重ねているわけですが、であるにもかかわらず、なぜ労働生産性上昇率が長期的に低下しているのでしょうか。

この問いに対して、ノースウェスタン大学経済学教授のロバート・ゴードンは「低下しているのではなく、正常に戻っているだけだ」と回答しています。ゴードンの指摘は次の通りです。

すなわち「1960年代のような高い生産性、高い成長率は、決して資本主義の通常状態ではなく、むしろ人類史的に見て極めて特殊な空前絶後の異常事態だった」と。つまり、労働生産性上昇率は「低下している」のではなく「かつて異常に高かったのが、通常の状態に戻りつつあるだけだ」というのですね。

人間が抱く世界像には各人の個人的記憶や経験が色濃く反映されています。私たち現役世代が抱く世界像は「成長」が常態化していた自分たちの子供時代、あるいは親の世代の印象や記憶によって形成されているので、「高い成長率」こそが正常な状態であり、現在のような「低成長」は異常な状況だと考えてしまいがちです。

だからこそ、この「異常な事態」を、さまざまな経済施策・企業施策によって「正常な状態」に回復させなければいけないと考え、ここ20年ほどのあいだ、徒労の上に徒労を積み重ねてきたわけですが、ゴードンによれば、数万年におよぶ人類の長い歴史を踏まえれば、むしろ20世紀後半という時代が「異常な状態」であり、現在はそれがまた「正常な状態」に戻りつつあるだけ、だということになります。この指摘は、先ほど紹介したトマ・ピケティの指摘とも符合するものです。

ゴードンやピケティの指摘がもし正しいのだとすれば、多くの企業が高い成長目標を掲げ、その内部において人々が心身を耗弱させるようにして仕事に取り組んでいる現在の状況は、やっと取り戻しつつある「正常な状態」を、あらためて「異常な状態」へと押しもどそうとする不毛な努力なのだということになります。

しかし、そのような不毛な努力の先には不毛な成果しか生まれないでしょう。もし現在、私たちの社会が「正常な状態」へと軟着陸しつつあるのであれば、私たちの努力は、それを「異常な状態へと再び押しもどす」のではなく、より豊かで、愉悦に溢れた、瑞々しい「正常状態」を取りもどすためにこそ払われるべきなのではないでしょうか。

ハードランディングの日本

さて、ここであらためて注目していただきたいのが、図表の日本です。

[図表]先進7カ国の労働生産性上昇率の推移 出典:Jason Furman, Productivity Growth in the Advanced Economies, 2015,p.4, Figure 3.

日本以外の先進7カ国のグラフがなだらかな下降線で徐々に地表に近づいていく「軟着陸」というイメージであるに対して、日本のそれは「急降下」と言って良いほどに激しいハードランディングになっていることがわかります。

これが、日本の社会で起きているさまざまな軋轢や齟齬の要因となっています。というのも、私たちが現在乗っかっているさまざまな社会システムやプラットフォームは「成長が当然の前提」となっている1950年代から1960年代にかけて形成されたものだからです。

たとえば「新卒一括採用」あるいは「年功序列」あるいは「終身雇用」という雇用のあり方は「無限に続く成長」を前提にしており、今日の日本企業を取り巻く状況とは明らかに不整合を起こしていますが、これらの「社会システム」が社会に実装されたのは「来年は経済が2桁成長する」のが当たり前の前提となっていた1950年代のことでした。

「終身雇用」や「年功序列」といった人事施策を「日本企業の伝統」のように考えている人がよくいますが、これはありがちな勘違いで事実とは異なっています。

まず「終身雇用」「年功序列」という用語は、ボストン・コンサルティング・グループの初代東京事務所長だったジェイムス・アベグレンが1958年に出版した書籍『日本の経営』の中で「初めて」用いたもので、いわば「新語」です。つまり歴史的な視点に立てば、50年ほど前に、しかもアメリカ人によって作られた用語であって「日本企業の伝統」などではまったくありません。

つまり、私たちが慣れ親しんでいる「年功序列」や「終身雇用」に代表される社会システムの多くは、我が国の長い歴史を視野に入れれば、ごく短い期間にのみ運用された、極めて特殊なものだったということです。

今日、私たちの社会にはさまざまな齟齬・軋轢が噴出していますが、これは「低成長」そのものがもたらしていると考えるよりも、「成長を前提とした社会システム」と「高原に軟着陸しつつある現実の社会」が不整合を起こしていることで発生していると考えるべきです。

私たちの社会には、1868年の文明開化以来、100年以上にわたって働いてきた「無限の上昇・成長・拡大を求めようとする強迫」と、近年になって強さを増している「高度を徐々に下げて軟着陸しようとする自然の引力」の2つに引き裂かれており、この「引き裂く力」がさまざまな悲劇と混乱を生み出しているということです。

山口周

ライプニッツ 代表