お金について | 時事刻々

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お金について

お金とは、皆さんが産まれた時から普通にあるもので、お金が普通にあることに不思議や疑問を感じた人など、いないと思います。

経済学では、お金について、色々言われて来ましたし、MMTでは、「お金は、負債(と債権)の証明書だ!だから、シュメール文明でも、ちゃんと文書にして残してあったんだ!」と、言われています。

しかし、私は、これに異議を唱えたい。
シュメール文明での、お金は、硬貨に近いもので、とても、物を書いたりするような性質の物ではなかった。
それに、何故、お金と共に、「文書」が出て来たのか。
それは則ち、「お金は、証明書では無い。」ことの証明ではないのか。
更に、シュメール文明でのお金は、別にいいとしても、世界中でお金が違うこと、そして、証明書であることが不可能であるほど小さいのは、(一部例外はあるが)、何故だろうか。
私は、ここに疑問をもった。
そして、分かってしまったのだ。

「お金とは、公共のインフラである。だから、私的にお金を貯めることは、公共のお金を私的に流用するようなもので、お金と言うのは、長らく低い地位しか与えられて来なかった。また、こういう考えから、[徳政令]が頻繁に出されました。」

お金とは、債権も債務も何も示しません。
示すのは唯一つ、お金の価値のみ。
そして、お金の示す価値とは、それは国が決めるものです。
例えば、デノミ。
お金の価値は、国が自由自在に決められます。
そして、お金の名前。
お金の単位の名前。
何故、世界中でこうもバラバラなのか。
これは、お金とは、その国の国民が主体となって作ったからで、シュメールとは、何の関わりもないからに決まっています。
要するに、国旗と同じですね。
そして、国旗と同じく、同じお金を使う民族は、同じ国民である、ということが広まると、お金は、国家意識を固める為にも、使われました。

そして、証明書であることが不可能であるほど小さいのは、(一部例外はあるが)、何故だろうか。
これは、国の国民の性質ゆえでしょう。
お金というのは、元々インフラに過ぎ無いのですから、姿形などどうでもいいのです。
だから、世界中に様々な形のお金があるのです。

それでは、お金の意味とは、何か。
お金とは、インフラである。
但し、外国に渡った場合、この意味は無くなります。
だから、外国に渡ったお金は、単なる「借金」になり、国内で使われたお金は、いくら使われようとも、経済の活性化になり、国の為になる。

そして、時代がそれを証明しています。
日本人全員に、初めて、「税金」が掛けられたのは、明治時代です。
江戸時代までは、「米」で納められていました。
実物でしたので、取りすぎかどうかは、誰にも一目で分かったでしょう。
明治時代は、電車やガス灯、電話など各種インフラを整え始めた頃です。

そして今は、インフラに道路に、、、と色々な税金があります。
我々は、果たして払った税金の分だけ、それに見合うだけ、幸せになっているのでしょうか?
なっていなければ、なるようにしなければいけません。
つまりは、政治を政権を変えるということです。

最後に、お金と債権・債務についてですが、お金を渡す際には、ルールがあり、ルール通りにしたよ、と言う証明書が必要です。
それが、給与明細であり、給与本体とは、別物なのです。

さて、皆さんはご自身の給料に満足していますか?
日本人は、規則を守り不満があっても、それを口に出さずに我慢する、辛抱強い民族だそうです。
でも、言ってもいいんですよ。
だって、言わないといつまで経ってもこのままなのですから。