放射能漏れむつ、入港40年 | 時事刻々

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はい。皆さん、こんにちは。
今日は、あまり聞いたことが無い方がほとんどだと思いますが、「原子力船むつ、放射能漏れ事故を起こしてから、今年で40年」ということで、見ていきたいと思います。
 


》 放射能漏れに伴う修理のため、日本初の原子力船「むつ」が佐世保港に入り、16日で40年を迎えた。受け入れを巡り、県内では賛否が巻き起こったが、経営危機が表面化した佐世保重工業(SSK)の救済が“大義名分”になったとされている。当時を知る元社員や反対活動を展開した市民は今、何を思うのだろうか。


はい。
今年は、原子力船むつが、初航海に乗り出し、そして放射能漏れという事故を起こして、そして受け入れ地の母港を始め、日本中の港から拒否されて締め出され、そして、ようやく佐世保港に入った時から、40年になります。 

まずは、こちらをご覧下さい。
これが、基本データになります。

次に、こちらをどうぞ。

そして、受け入れた佐世保港の側も、「俺達が原子力を支えるんだ!」という思いがあったわけでは無く、ただ、佐世保重工業(SSK)が経営的に行き詰まっていた、という、結局はお金に釣られたんですね。

 
》 佐世保地区労で反対運動に汗を流した元衆院議員、今川正美さん(71)は「市民が原子力について考えるきっかけをつくった」と強調する。一方、玄海原発の再稼働などを巡る議論を引き合いに、「むつのことに触れる人は、そういない。日本の原子力政策は今でも、前に進めようという考え以外にない。あのときに分析、検証していれば福島のような事故は起こらなかったはずだ」と警鐘を鳴らす。
 入港から40年が過ぎ、当時の議論や活動を知る人は少なくなった。今川さんは「節目の年くらいは、その記憶を呼び起こしてほしい」と語る。


玄海原発と言えば、こんなことがありました。


これを見た住民は、どう思ったでしょうか。
少なくとも、それ相当の動揺はあったでしょう。


そして、それが、こういう形で、表れます。




玄海原発に近い各市町村および佐賀県で、このような動きが起こったわけです。
これは決して偶然では無いでしょう。
そして、佐賀県知事、山口祥義氏の言葉が原発の難しさを物語っています。

「以上申し上げましたとおり、玄海原子力発電所3、4号機の再稼働につきましては、先行県を参考にしながらも、それに加え、本県独自の取組としては、原子力発電所から30km圏にとどまらず県内全域を対象とした県民説明会の開催や県内の全市町長から意見を聴くなど、丁寧かつ慎重に進めてきたと考えています。
 このようなプロセスでいただいた様々な意見、国及び事業者から示された方針や姿勢、そして何よりも県議会の決議などを総合的に勘案し、「今回の再稼働については、原子力発電に頼らない社会を目指すという強い思いを持ちつつ現状においてはやむを得ない」との判断をいたしました。

 再稼働の判断につきましては、私も心の底から悩みぬき、熟慮に熟慮を重ねてまいりました。

 原子力発電につきましては、福島原発事故のことが頭から離れません。先日、福島第一原子力発電所に赴いた時も、水素爆発で折れ曲がった原子炉建屋の鉄骨、大規模な津波で変形したまま放置されたタンク、日々発生する汚染水などをじかに確認し、現場の方々のご労苦を目の当たりにしました。また、今もなお、避難を余儀なくされた多くの方々が、愛する我が家に戻ることができない日々が続いています。あのような事故は二度とあってはならないという強い思いが、私の胸の内に深く深く刻まれています。
 こうした福島の状況は広く県民の皆様も知るところであり、原子力発電というものに対して大きな不安や疑問を持たれることはむしろ当然であり、自然なことだと思います。

 私も、原子力発電に頼らない、再生可能エネルギーを中心とした社会を実現できれば、これほど素晴らしいことはないと思っています。佐賀県は、海洋エネルギーやバイオマスをはじめ、再生可能エネルギーの導入促進に向けて、全力で取り組んでいるところであり、今後も、私が先頭に立ってこの取組をさらに加速させていきたいと考えています。」


》 原子力船の実用化に向けた研究や開発を目指し、1969年6月に石川島播磨重工業で進水。74年9月、原子炉の出力上昇試験中に放射能漏れ事故が発生。母港の青森県むつ市から退去を迫られた。75年6月、佐世保市長が修理受け入れを表明。78年10月16日に佐世保港に入り、SSKで修理を終え、82年8月出港。原子炉が取り外され、96年から海洋地球研究船「みらい」として運用されている。


はい。
結局、事故後は原子力炉を取り外し、普通の船として、名前も変えて、まるで別の船のようにして、この40年間過ごしてきたわけです。

それが、こちら、海洋観測船みらいです。
(一応、こちらもどうぞ。海洋観測船みらいと原子力船むつ)

まあ、結局、大した成果も残せないまま解体したんじゃ、金をドブに棄てたも同じだから、大改装してやるから、今度こそ立派な成果を上げてこい!ってわけです。 
  
そして、みらいは今も頑張っています。
始めからこうしていれば、何も問題はなかったのにね。