コメントの返信 | 『鈴太のノート』慶應通信を卒業した日記(経済学部編)

『鈴太のノート』慶應通信を卒業した日記(経済学部編)

慶應通信経済学部 68期秋組
2014年10月学士入学 2017年3月卒業(在籍期間2年半)

>かえるサンバ様


コメントありがとうございます。^^


コメント返そうと思いましたら、1000文字制限でダメでした。(汗

なのでこちらで返信させて頂きます。(すみません


>「私大の推薦枠で入学する」ことを良しとする人なんだろうと思います。


 かえるサンバさんの言われる主旨と違いますが、「全科目高得点取れるなら私立推薦枠取らないで自力受験してよー」って学力の無い推薦狙いの私は思いました。(^^;(ダメでしたけど)


では、前半についてです。


 まず前置きとしまして「天才」についてですが、この言葉は使い方が難しいです。

 第1に世間一般では目に見える努力以上の結果を出している方に対して使ってしまいがちです。例えば野球界ではイチローですね。私もですが、実際にイチローのトレーニングの内容、量を知っているわけではありません。内野安打や盗塁、外野からの併殺球とか見てて華やかです。努力以上に結果が目立ってしまいます。なので「イチローは天才」と思ってしまいます。ですが、イチロー自身は「天才と呼ばれることに腹が立つ」らしいです。「自分は人一倍努力している。それを天才という言葉で片付けられてしまうのが腹立たしい」とのこと。「天才」の本来の意味としては「持って生まれた能力」によるところが大きいようです。なので、努力して頑張って結果を出された方にしてみたら「天才=努力してない」と思われるのが心外なのでしょう。世の中の人はそこまで深い意味で「天才」とは言ってないのですけどね。言葉って難しいです。

 第2に「本当の天才」を知っている人。確かに世の中、至る所に天才が多くいるわけではありません。ですが、肉眼で夜空の星を眺めたとき、地球からどの星がどれだけ離れているか分からないように、一般の人から見たらある程度以上に優秀な方は全て「天才(肌)」に見えてしまうのです。でも本当に優秀な方はその高いレベルの世界がよく見えています。一般人からしたら「東大生」というだけで全員「天才」です。
でも、実際の東大生からしてみたら「ピンキリ」いるらしい。自身とても優秀な方が認めた「こいつは天才だ」という本当の「天才」。その人自身、それまで相当努力されたことと思います。その結果の高いレベルの世界。その中で自分より上と認めた本当の「天才」。その本当の「天才」に比べたら、世間で言われるただの「天才(に見える人)」に対しては、「なんでそんな奴を天才って言うんだ、本当の天才はこんなんじゃない!」と思われてしまうかもです。「天才」の定義。受験や学問分野だけではないですし、何をもって天才とするかは難しいところです。同じ早慶生でも「すごい」とは思っても、全員天才に見えるか?と言われたら(以下略(学力は私よりあると思いますけど)逆に同じ高校から東大に入った人は、もちろん持って生まれた才能もあるかもですが、どちらかというと努力されているタイプの方でした。「天才」の明確な定義が無いのだとしたら、「天才」に見えるかどうかは各々主観で良いのではないでしょうか。見た目や印象で判断するのも如何と思いますが、資格や基準があるわけではありません。少なくも私(のレベル)から見た友人は「天才」でした。ただし、「天才」という言葉はむやみに使わないほうが良さそうです。「天才肌」とした方が無難なようです。

 で、本題です。まずかえるサンバさんからのコメントの前半部分について、まずは論点を「慶應を第一志望とする指定校推薦と一般受験」に限定します。私の通っていた高校は所謂全国区の最難関高ではありません。ブログ本文にもありますように地方の県立高校です。その中には国公立大を第一志望として早慶を滑り止めにするグループもいます。しかしその一方で私立専願組もいます。私立専願組の場合、志望学科や地元志向など特に事情が無ければ、一番偏差値の高い早慶が最終目標であると考えられます。現役一般受験、第一志望として早慶に進学する学生もいたわけですが、結果としては指定校推薦の学内選抜を通ることができていなかったことになります。中には一般受験で学力高めて入学したいという向学心の高い学生や、推薦で入って「無試験で学力低い」と言われるのが嫌だ、という学生がいたことは否定できません。個々の事情は分かりませんが、結果的にそう見られてしまう可能性はあります。高校2年までは部活に遊びに一生懸命で、高校3年になってから本気出した学生もいることでしょう。むしろ実際にはこちらの方が多いかもしれません。それはそれで「すごい」です。受験科目に特化して私立最難関のレベルまで学力高めたのですから。しかし指定校推薦も2年間全科目トップレベルの点数を取り続けてきたわけです。これはこれで「すごい」です。一発勝負の2,3科目特化の一般受験、2年間全科目高得点の指定校推薦、それだけで一概にどちらが学力が上とか決められません。2科目受験の一般受験生ももしかしたら受験科目以外が得意な学生がいるかもしれないし逆もまたしかりです。そもそも何をもって「学力が上」とするかです。高校科目の場合、受験科目2教科であれば一般受験生が有利、5教科であれば推薦組が有利です。ただし、調査のタイミングも公平となると困難。大学入学当初に調査した場合、直前まで受験勉強してきた一般受験生が有利で、半年前に受験が終わっている推薦組は不利です。直前まで勉強してきた方が有利となる調査は将来に渡る学力の効果を見る判断材料としては乏しい。ではある程度の年数が経過してからの方が良いのでしょうか?この場合、受験後の学習内容など一般・推薦という受験方法以外の要素が関係してくるので、調査結果と受験方法との関連性が薄まるため信憑性に疑問もありです。高校科目以外の一般分野であれば果たしてどうでしょう?それも学力以外の一般知識の有無、得意・苦手があるので厳しいか・・・。いずれにしても「無試験」=「学力低い」は根拠無いように思います。
 一般受験で合格したからと言って、私立専願の場合、受験科目以外は「無試験」ですし。指定校推薦も一般受験も「すごい」の内容が異なります。どちらが上か下かというのは受験方法だけで一概に言えないとかと思います。(結論言えなくてすみません)

 次に論点を「慶應合格者としての指定校推薦と一般受験」とします。先ほどと異なるのは「第一志望」という条件があるか、否かです。一見似ているようで全く異なります。実際の一般受験合格者は必ずしも2,3科目しか勉強をしてこなかった私立専願組とは限りません。東大を含め、国公立大学を第一志望として5教科受験勉強をして来た結果、不本意にも滑り止めとして早慶に進学される方もいます。本来、東大に合格できる実力を持ちながら体調が悪かった、ケアレスミスで大問落とした、という方の割合が大きければ、一般受験生の学力の方が高い、という説もありえるかもです。(不本意入学ということで入学後の意欲欠落や、仮面浪人ということもありますが・・・。)

 ところで、実際に一般受験者と推薦組の追跡調査は実施されているのでしょうか。非公開であっても、もし推薦組の入学時の学力、及び在学中の成績、卒業後の就職率、国家資格合格率等、各種データの結果、劣ると判断されれば今後推薦の割合が減っていくかも知れません。推薦の割合って現時点で減っているのでしょうか。昨今、大学生による各方面での問題、不祥事が社会問題となっています。在学生が不祥事を起こした際の社会的損失は知名度の高い学校であればあるほど大きいものとなります。大学側も問題を起こさない、学業に優秀な学生を集めたいと動いているのではないでしょうか。その為にも時間と費用を費やしてでもデータを収集し分析する必要があると考えます。先頃、東大でも推薦入試が実施されることになったようです。これは果たして何を目的として実施されていることなのか議論の余地がありそうです。

 かえるサンバさんのコメントの後半についてです。

>最難関の高校からしたら「私立は恥」です。

 もし、ご自身が私立大学に進学・卒業されていて、そのご自身に対して「今に満足せず、さらに上を目指す」という意味でしたら良いことと思います。きっかけは何であれ、上を目指すということですから。ですが、ご自身が難関国立に進学・卒業されてて、その上で他者に対して「私立は恥」と言うことでしたら、それはいかがなものかと・・・。4年制大学に進学される方の割合は年々増えてきてますけど、そうでない方も多いです。自らの意思、家庭のご事情など。そして年齢が上になればなるほど。4年制大学に進学されている方でも、私立大学に進まれている方の割合多いです。文脈から「最難関高校の『学内』」では「私立は恥」ということと思いますが、見る方によっては「最難関高校に進学した人は世の中の9割上の人を恥と思っている」と見てしまうかもです。プロ野球で万年Bクラス、もしくはJリーグでの万年J2クラス。一般の人から見たら「あのチーム弱い」です。毎年優勝争いしてるチームから見ても「あのチーム弱い」です。でもプロです。草野球レベルどころか、強豪高校レベルのチームでもその「弱い」と言われてるプロチームに勝てないと思います。それと同じで東大生から見たらどの私立も低学歴です。受験したことない人からして見ても私立は東大以下の低学歴です。でも、世の中には進学したくてもできない人が多いです。家庭の事情含めて。ご自身の視点から相対的に上か下かを判断されるのは構いませんし、それは世の中の生きてる人の皆が自身の位置付け、他者との比較、しいては自身の存在意義を確認する為の手法と思います。ですが、そのことを世間一般の絶対的な解釈として表現されるのはいかがなものかと思います。

 最難関高校の同窓会って、最難関国立大学or医学部に行った方は私立卒の同級生をいじめるのでしょうか?同級生に会うことよりも学歴が気になってしまうのはちょっと寂しい気がします。

 私のブログの文章ですと「天才=勉強してない」に読めてしまいますかね・・・。表現下手でした。すみません。どんなに優秀な方でも、何も見ず、何も勉強せずに優秀なわけないですね。吸収できる時間は違えど、人一倍に書籍を読んで、考えて、意見交わしあって、さらに高いレベルを目指されていることと思います。

 はい。レベルの差はともかく、何かを学ぶためには「楽しく」が大事と思います。(笑

 私にもかえるサンバさんのような文章力あればな・・・。羨ましいです。

(4,122文字)


お時間ありましたら、また色々教えてください。
私も頑張って色々考えてみます。^^





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