自己の統一から大いなる精神(神)への統一へ (知人からの黙想の声) | Holy Rosariya ロザリ屋

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自己の統一から大いなる精神(神)への統一へ

多くの人は、肉の目から他と自己を区別します。
大いなるものは、小さなものを内包する、
故に小さなものも多いなるものの一部
三位一体、教皇が、司教が司祭が信徒が一つであるように。

自己の行動は他に影響を与えていること。

皆が一つである事を知ると、自然と、神に絶えず賛美と感謝を捧げれるのかもしれません。

あなたが、今日裁いたのは、あなた
ありのまま眺めること。ものの本質をみるために。主客合一。

今を生きることは、永遠に在られる神と人が交わること。
神が共にいる人は、心晴れやかに今を生きられます。
明日のことに思い煩わず、変えられない過去に囚われず。
父である神を信頼して委ねること、神の憐れみ、慈しみを感じながら。
それが、子である私たちにできること。

神の愛を知り、神を人を愛する生き方
キリスト者には苦難に会っても希望があります。

リジューの聖テレーズの
「おお、イエスよ、あなたを愛するために、わたしにあるのはただ今日だけ・・・」
まさにその通りです。

一部の人の利己により、
隷属され、本当の自分が出せない今の世の中で、新しく生まれた人はどう生きるのか。

哲学を突き詰めると宗教に至ります。

不治の病となった今の私の身に、今を生きる大切さの意味が少しだけわかった気がしました。
今を生きる為に必要な恵はその都度、
神が与えてくださります。

少しくらいイエス様の十字架を共に背負っても良いでしょう。(ひとりで背負っておられるイエス様の為に、マリア様に私も少しだけ背負いイエス様が少しだけ楽になるようにと祈りましたが。だからかな?)

強がりでなく。だから、キリスト者は、弱いけれど強いのでしょうか、神が、仲間が共にいるから。

小さな十字架を背負う度に、だんだん大きな十字架になりますね。^_^
つい取り除いてくださいと祈ってしまいますが。
本当に苦しみは見方を変えれば実りあるものです。
信仰希望愛。