同じテーマで
2016年6月16日に書いたブログから
もうすぐ3年が経とうとしております。
その時は、辞書などをしっかりと調べて書いたので
言葉の意味として正確です。
そのブログはこちら↓
【腹が据わると肝が据わるの違い】
https://ameblo.jp/holst-jsbach/entry-12171167448.html
あれから3年間、
毎日、腹が据わる状態と肝が据わる状態を
意識しながら生活をして
この二つの状態の本質に迫ってきました。
そこで、今回は、
会社内の出来事を例に挙げて説明していきます。
但し、50%は、持論で展開していきます。(汗)
■ 腹が据わるとは
これは、一言で表現すると「覚悟」です。
災難を迎え撃つ!
そして、耐えて我慢する。
周りから見て、腹が据わっているのは
「集中力があり頭の回転が速く、我慢強く、潔い(いさぎよい)」人のことです。
例えば、会社内での出来事で説明すると
シビアな会議で、
反対意見が出ることが予想される
会社の運命を左右する
提案や発言などをする場合には
「腹を据えて」挑む必要があります。
反対意見や誹謗中傷に
真っ向から挑まなければなりません。
発言には責任が付いて回るからです。
■ 肝が据わるとは
こちらは、一言で表現すると「無心」です。
予想もできないことなど
なにが起きても「動じない心もち」のことです。
周りから見て、肝が据わっているのは
「無欲で自我を前面に出さない」人のことです。
これも同じ会社での会議で例えると
日ごろから、自分のことを良く思っていない相手や
反対勢力からの突然(想定外)の攻撃。
または、自然な流れで
自分たちにとって不利な展開になった場合には
肝が据っていないと
精神的なダメージを多大に受けることになり
最悪は、立場をも追われる可能性が大きくなります。
会社内だけに限らず
サークルなどの人間関係でも
同じようなことが起きているのではないでしょうか。
■ 両者の違いは、、
より具体的な出来事に
覚悟を持って対峙するのが「腹が据わる」で、
突然襲ってくる想定外の出来事に
自然体で無我無欲で向き合うことができるのが
「肝が据わる」です。
次に、別の角度から両者を比べてみました。
■ 両者を善悪で考える
腹であろうが肝であろうが
据わっているほうがかっこいいと思う人が
多いはずです。
ところが、これを善悪で見ると
悪人でも腹が据わっていたり、
肝が据わっていたりします。
むしろ、極悪人になればなるほど「腹」や「肝」が
「据わっている」かもしれません。(汗)
原子力という、科学的には素晴らしい発見も
使い方次第では、多くの人の命を奪ってしまいます。
この「腹」と「肝」が据わっている人は
自覚して「据わる」必要があります。
なぜならば、両方ともに据わっている人は
計り知れない力を発揮できるからです。
鬼に金棒どころではないくらい
強力な武器になってしまいます。
■ 更に、両者の大きな違いです。
「腹」が据わっている人は、覚悟を伴っているので
自分が腹を据えてなにかをしている自覚があります。
ところが、「肝」が据わっている人は、
今、自分は「肝」が据わっている状態かどうか
ハッキリと認識できません。
周りの人たちには
しっかり見えているのですが
肝が据わっている本人は
今、自分が「肝を据えない」と、乗り越えられない壁に
直面していると感じていないようです。
川を流れる水のように
岩が有れば流れをそれに合わせ
傾斜が強ければ「急流」になり
緩ければ「緩流」になります。
思うに、肝が据わっていない人は
流れに逆らって自我を強烈に出したり
地位や面子に拘る人のような気がします。
■ 結論は
肝が据わるために最初にしなければいけないことは
目の前で起きる出来事や
自分のこころの中から湧いてくる雑念みたいなものを
まずは、受け入れることです。
そして、両者には優劣はありません。
肝が据わっている人は
そこに壁が聳え立っていることを意識していない。
と、書きましたが
時々、その壁に気づくときがあります。
困難に気づいたときには
「腹を据えて」それを乗り越えなければなりません。
3年前には
腹を据える状態より
肝を据えることが必要になってきた。
と、書いておりますが、
その理由が解りました。
腹を据える状態は、苦しみを伴い
辛いから嫌だったんですね。
肝が据わることができると
苦しみを苦しみと感じなくなり
怒りも湧いてこない
平和なこころを手に入れられそうです。
≪#1257≫
~~お知らせ~~
ブログタイトルの
『高坂勉強会』は
巷で言われている
心身が健康になる方法を
自分の身体を使って
あれや、これや、試すための勉強会です。
~~編集後記~~
今日も、ありがとうございます。
腹を立てる、肝を冷やすetc…
臓器を使って表現する言葉には
深い意味がある気がしてきた高坂一彦です。
久しぶりに
言葉の概念だけをテーマに
2日間をかけて書いておりました。
しかし、私のこころの師は
言葉で理解したり解釈している間は
本当の意味で体得できていないとおっしゃっています。
「尊答謝し奉る」
高坂一彦 拝
