修行24日目の朝を迎えております。
残すところ、あと4日となりました。

 


27日間の修行の集大成。。。
なんて、肩に力は入っていません。

 


来る日も来る日も
同じテーマで考え続けると

 


自然と身体に沁みついてきて
ことさらに、纏めに入らなくても

 


社会復帰してからも「出家的生活」を
そのまま引き続き出来そうなので

 


楽しみでしかたありません。

 


食、睡眠、運動、着るモノ、身の回りの環境、
仕事、対人、言葉etc...

 


そしてなにより
「いきる」為の考え方が少し変わったので

 


それを「お試し」の理論で実証したいな。
と、感じております。

 


それにしても本当に4週間も実生活を離れるとは

 


覚悟を決めれば人間なんでもできると、
改めて、実感しております。

 


さて、今日は
手放すのシリーズの一つでしょうか。

 


手放す対象は「情報」です。

 


パソコンでインターネットに接続したトキのトップ画面にも


気づきがあったものですから少々書かせていただきます。

 


普通は「検索エンジン」が表示されて
そこからネットがスタートするのですが、

 


私は、この修行の途中までは
検索エンジンにニュースが満載に掲載されている
ものを使っておりました。

 


従って、
検索エンジンを開くと

 


いろんなニュースが目に飛び込んでくる。
と、云うモノです。

 


トップニュースや流行りを知るには
とても手っ取り早くて便利ですね。

 


ところが、この修行を始めてからは
テレビや新聞、雑誌を

 


一切見ない生活をしておりましたところ

 


この検索エンジンの画面の情報量に
目が廻りそうな感覚が強くなり

 


これからの人生も
パソコンは長く使っていくコトは間違いなさそうなので

 


根本から考えてみたくなりまして

 

 

私のパソコンの使用目的を
簡単な分類分けから始めてみました。

 


1.情報収集(調査や知識関係)
2.コミュニケーション(メール、知人のサイトや発信情報)
3.思考の言語化(文章を書く)

 


大きくこの3つに分けられます。

 


その中でも
思考の言語化への比重はとても高いものがあります。

 


所謂、思考のアウトプットなんですが
ネットは、単語や言葉の意味や使い方

 


書こうとしている内容の根拠等を
探す手段として使っていて

 


時間もエネルギーもすべてに於いて、
かなりの量を費やしていることが解りました。

 


比率で表すと80%くらいですね。
かなり多いと思います。

 


それならば、
検索エンジンにニュースはいらないという結果となり

 


試しに
ニュースやコマーシャルが一切掲載のない

 


シンプルな検索項目を入力するだけの画面に変えたところ

 


余計な思考が働かないのか

 


頭の中の雑音が聞こえなくなり
思考をアウトプットするスピードと

 


純粋度がかなり増した感覚がありました。

 


過多な情報収集は
栄養過多と一緒で

 


正常な身体機能の
弊害になる可能性があるかもしれませんね。

 


特に、聞きたくない・知りたくない情報は尚更のようです。

 


今回の修行で飛び込んでくる情報量を減らした結果

 


望まない情報は心身にダメージを与えていると
感じるコトが出来ました。

 


例えるならば
薄味の食事に慣れてしまうと

 


塩分多めの料理は、塩辛く感じ過ぎて苦手になるのと同じで

 


向こうから飛び込んでくる情報量が少ない
環境が長くなると

 


こちらが受け身になる情報が、
それが一つでも、だんだん苦痛になってきます。

 


いままで、平気だったのは
感覚が麻痺していただけでした。

 


無作為、無造作な情報に触れ過ぎると
間違いなくストレスになると感じるのですが
いかがでしょうか。

 


場合によっては、
アレルギー反応に変わる場合もありそうですね。

 


それに、いちいち反応してしまう
癖や性格も災いしていそうですが。。。

 


普通の生活に戻ったら
実践する項目の一つが

 


「望まない無作為、無造作、無神経な情報に触れる量を減らす」

 


であります。

 


もちろん、事前にシャットダウンすることもですが
さらりと、受け流すこともです。

 


これで、ストレスの原因の一つは解消できそうです。
≪#0937≫

 


~~編集後記~~

 


今日も、ありがとうございます。

 


坐禅の座り方「結跏趺坐(けっかふざ)」が
できるようになった高坂一彦です。

 


結跏趺坐とは
坐禅の組み方のコトで

 


両足を膝の上に持ち上げる形です。

 


今回の修行の前までは
片足だけを股の付け根に持ち上げる
「半跏趺坐」でしたが、

 


努力の甲斐があり
これで、形だけは整いました。

 


すでに自宅には、坐布も作務衣も用意されているので

 


後は、自宅のリビングを
修行場に変えるだけです。

 


なんだか、ワクワクしてきましたよ(^^)/

 


高坂一彦 拝