絵が上手に描きたかったので
大阪の芸術大学を卒業した
先輩に質問したことがあります。
描き始める前のキャンパスには
描きたい絵が見えているのですか?
答えは「イエス」でした。
でも、それよりも
感情の方がイメージを上回っているとのコト。
関西人の先輩なので
例えがお下品なのですが
そのままお伝えすると
女性を見たり、触れたくなる感情が湧いてきて
それを描きたくなるとのコト。
順番が私の発想とは逆で
何かを描こうとしてキャンパスの前に立つのではなく
普通に生活をしていて
感情が湧いてきて
それを表現したくて描きだすそうです。
これは、関西人特有のおちゃらけが
半分入っていると思いますが
別に、この先輩の描いた「手」を観たトキ
こころにグッときました。
そこには、
女性と思われる「手」でありましたが
しわくちゃで年齢で例えると
60歳くらいでしょうか。
おそらく、実物を見ながら
描いたものではないでしょう。
だとしたら、
その手を描くトキに湧いてきた感情は
何だったのか。
そのトキは、
この手誰の手?
と、は聞けなかったですね。
その絵を観たトキに
私の脳裏を過ったのは
苦労して育ててくれた
私の母の手だったからです。
絵画は、描く側のイメージと
鑑賞する側のイメージは違うのが当然で
でも、大きな括りで言うところの
「想い」は、同じなので
多くのヒトたちに
幅広く評価されることになるのではないでしょうか。
過去に一度だけと
衝撃を受けた絵画があります。
アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」です。
その絵画は
解説を読まないと本当の意味は解らないのですが
解説を読んだあとは
描いたワイエスと
観た私のイメージは違うのですが
想いは同じで
私に「強く」生きることは可能だと
訴えかけているようでした。
ウィキペディアを張り付けておきますね。
中に「画像外部リンク」が貼ってありますので
一度観てください。
↓
【クリスティーナの世界】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C
これなども、実写ではないハズです。
強烈な感情がイメージを湧かせて
いるようです。
芸術は感情がイメージと技術を
引っ張り上げているのでしょうか。
私の様に
ただ絵が上手くなりたいと
思っているだけではダメで
感情から描きたいと思えるようになると
自然に観る側に響く絵になるのでしょうか。
≪#0878≫
~~編集後記~~
今日も、ありがとうございます。
好きなヒトの絵を描きたいと
思っている高坂一彦です。
特に、子どもや赤ちゃんの
愛くるしい表情を
描いてみたいと思っているのですが
どうしても
「バカボンんのパパ」みたいになってしまいます。
どうせだったら
ばかぼんのパパを描いてみようかと
気持ちが変わってきています。
高坂一彦 拝
