初めて、私と同じ境遇の方から
相談というか、お話を聴かせていただきました。
今の私の経験と境遇が
他の人と共有できる瞬間です。
(お役に立てるかどうかは別です)
この方も
軽度の発達障害のお子さんを持つお母さんです。
この時期、どこでも就職に向けての活動が
おこなわれています。
今、大手企業の
障害者が勤務する部署に応募選考中とのこと
その選考途中で切なくなることがあったそうです。
この企業の求人に応募出来たのは二人だそうです。
一般で求人を出すと、条件が良いので
何十人の応募者があるので
限られた繋がりの中での二人だそうです。
しかし、採用枠はひとりです。
そこで、まずは面接が行われとのこと。
その結果は、面接では合否が付かず
来月10日間の研修で
どちらかに決めるコトになったそうです。
その事を告げる書面が届き
その文面を読んでいて切なくなってきた。。。
そんなお話です。
同じ境遇の人たちに少しでも寄り添いたくて
「傾聴」を勉強したきた私なので
完全に「話を聴く」モードで向かい合いました。
この場合、私としての立場は
求職側の障害者家族の立場と
求人側の採用担当の立場となります。
もちろん「傾聴」の立場であるならば
それらは、横に置いておかなければなりません。
傾聴の基本の一つは
目の前の人に寄り添うことにあります。
企業側に同感してしまうと
目の前の人を説得する可能性が出てきます。
お話の時間は30分間くらいでしたが
この女性の言いたかったことは
「切ない気持ちになった」ことなんです。
その前弾で話された
ふるいにかける為の研修なんてしないで
面接で決めることはできなかったのか。とか。
一緒に研修をさせて、どちらかが不合格になる。
不合格者の気持ちは考えないのか。etc...
でも、この女性もある程度会社の都合や
なぜそうなるのか等の理屈は理解されているのです。
ただ、障害をもって今まで苦労されてきて
就職の選考といえども、不合格の烙印を押される気持ち。。。
話しを言葉の細かい所に移しますが
「不合格の烙印を押される気持ち。。。」
この言葉に隠れている言葉(気持ち)があります。
それは、烙印をの後に「また」が、入るのです。
いままでの身とこころを切られる思いが
ここに再び。。。
いま、就職に関する意識は変わりつつあります。
例えば、高校生の就職については
ある程度守られています。
筆記試験と面接を行う企業は
筆記試験だけで合否をだしてはいけないとか。
生徒側も、応募した企業の結果が出るまでは
他の会社を何社も応募を控えるなどです。
私は思います。
様々な当事者の方々が、情報を発信して
社会全体の理解を深めることができれば
その国の知識、技術、倫理、道徳のレベルは
上がることは間違いないでしょう。
おそらく、このブログが無料なのは
そのような活用法で使う為にあるのではないでしょうか。
≪#0719≫
~~編集後記~~
今日も、ありがとうございます。
こころの中で
「がんばれ~」と、叫ぶのが
癖になっている高坂一彦です。
今回の件で
競争と選考について考えてみました。
いつもの持論なので
目くじらを立てないようにお願いします。
競争をさせた場合、
誰か第3者の選考になってはダメだということ。
100m走の場合、これ競争で1着を決めるのですが
当然、タイムがそれを決めます。
でも、走らせているにもかかわず。
タイムではなく、誰かの選考で1着を決めるとしたら。。。
例えば、先ほどの
障害者の実習での選考の場合
タイムトライアルで作業をさせて
速い方を採用するとかだったら
問題ないような気がします。
しかし、サボらないとか
奇異的な行動を取るかどうかを観たい
などが目的であれば
これは、就職の選考項目ではなくなります。
では、どうすれば良いか。
もし、上記の様な選考が必要であるならば
医学的な裏付け(診断書)で良いのではないでしょうか。
その領域を企業が行っているのであれば
これは、とても危険だと、私は思います。
朝から、少し重い話になってしまったかもしれませんね。
今日のブログは、社会に対する心配事の投げ掛けと云うことで
ご理解ください。
みんな「がんばれ~」
高坂一彦 拝

