人は生まれてから、
ずっと、他人からの評価を受けています。
子どもの頃は、親の評価。
学業の時期となれば、先生の評価。
社会人になれば上司やお客様の評価。
高齢者になれば子供からの評価。
何とか、自分で自分を認める
自己評価に切り替えられないか?
≪#0560≫
今日もありがとうございます。
「人つながり義塾」の高坂一彦です。
考えて見ると
私たちの人生は
他者からの評価がいつも付いて廻ります。
他人の評価次第で
嬉しくなったり、悲しくなったり
場合によっては、憎しみを持ったりします。
そして、あまりに他者の評価を重く位置づけて
評価を得ることだけに生きていると
いったい誰の人生なのか?誰の為に生きているのか?
解らなくなる時があります。
すべての人が
他者からの高い評価を得て
順風満帆に行けばよいのですが
おそらく、大多数の人が
思い通りの評価を得ることが出来ずに
悔しい思いをされていることでしょう。
私も、評価されても
一番になった記憶がありません。
トップは無くても、そこそこの評価は頂いているのですが
何かの評価を得て満足できる時は
他者からの評価を貰えたからではなく
自分自身が納得してやり切った感を得た時です。
例えば、ある仕事を命じられて
上司からは、いい加減な仕上がりでいいから
とにかく、利益を厚くしなさい!と、命令されて
その通りにして、高い評価を得た時などは
到底、喜べる気持ちにはなれません。
いい加減な仕事で悲しむ人が現れると思うと
罪悪感に苛まれることになるでしょう。
あまりに小さい世界のいい加減な評価を得ていると
気が付くと、レベルの高い世界の評価対象から外されていたりします。
働き振りを「見ている人は見ている」のです。
では、どう考えれば良いか?
それは、他者からの評価で
一喜一憂しないと決めることです。
評価社会は変えられないので
自分に出来ることは、あくまでも冷静に
自己を見つめることだと思います。
そして、自分の評価は自分がすると誓うことです。
自分の評価を自分ですると
どんなことが想定できるかというと
とても、厳しく評価してしまう人がいたり
逆に、甘く評価する人がいます。
どちらにしても
他人の顔色を伺い
他者から褒められることに人生を捧げるよりも
自分自身の人生を歩んだ方が良さそうです。
自分の事を甘く評価したっていいじゃないですか!
自分の人生ですから。
でも、自分を厳しく評価してしまうのは
意識的に変えていった方が良いでしょう。
これって、自分を許せなくなるので。。。
そう言えば、呼吸法の師匠の倉橋さんが
「許し」をテーマに呼吸法クラスの告知をされていました。
↓↓
http://www.mybreath.jp/class/yurushi
もし、ご興味のある方は
一度、ホームページや申し込み説明などを
読んでみてください。
少し話がそれましたが
次回は、他者からの評価ばかり気にする人は
その他者との関係がいつまでも続かない危険が
あることについて書こうと思います。
実は、明日の早朝から、静岡県の沼津市に向う予定なので
電車の中からのアップになると思います。
その事にも、触れられると良いのですが。
高坂一彦 拝
