自由を奪われている実感があると
本当の自由が何か見えてくる?
≪#0553≫
今日もありがとうございます。
高坂一彦です。
今日のブログは、少し抽象的すぎて解りにくいです。
でも、どうしても自由を奪われることへの
想いを書きたくなりました。
自由を感じることが出来ると
不自由な状況も明確になります。
私の感覚では
権力者からの一方的な命令に不自由さを感じます。
しかし、同じ内容でも命令ではなく、お願いであれば
少し受け止め方も変わってきます。
内容は変わらないのに
命令では、自由を奪われた感覚を受けるのに
お願いをされると、受け止め方が変わるのはなぜでしょうか?
この様な話が起きる場所は多くは企業内でしょう。
転勤や配属先異動、昇格、降格etc...
私の場合、性格的にこだわりも強く
理想を強く持って仕事をしていますので
やりたくないと言いますか、
性に合わない仕事を命じられた場合
自由の無さを感じてきました。
その時、とりあえず我慢して受け入れる場合と
絶対に受け入れない場合があります。
その両者を判断する基準があります。
その基準を考える時にはいつもワクワクしています。
それは、ある言葉がその基準になっているからで
「フリーダム」と「リバティー」
この二つの言葉には、とても深い意味を感じます。
私なりに調べてみると、この二つの言葉は
日本では明確に分けられていないようです。
ところが、アメリカやフランスなど
独立戦争や革命が起きた国などには
明確な意味の違いがあるようです。
この「フリーダム」と「リバティー」の
言葉の違いについては
次回のブログで説明したい。。。是非説明したい。
と、思っています。
話を元に戻すと
『命令』と『お願い』では、
相手に対する態度や言葉の強さも変わってくるので
命令=厳しい。お願い=優しい。
命令=冷たい。お願い=暖かい。
不自由を感じてしまう理由は
厳しく、冷たい言葉や態度で
何かを命令されるからではなく
選択肢が無く
一つのことを強制的にやらせようとすると
自由を奪われたと、私は感じてしまいます。
従って、命令する側も
選択肢を用意して、
自由を奪う形はとらないことが肝要です。
例え、どちらか一方を選択してもらいたいと思っていても
選択肢があることで、相手の聴く耳が開いてくる
聴く体勢が出来ると、こちらのしてもらいたい方を
選択しても良いと思ってくれる確率が高くなります。
逆に、私が誰かに何かを命令する時にも
選択肢を用意して、不自由な感覚を取り除いて
聴く耳を準備してもらってから
話をするように心掛けています。
但し、何かをしてもらいたいにも拘らず
他の選択肢を考えて相手に話をするのは
とてもリスキーで勇気のいることです。
でも、その勇気を見せることで
相手の心が動くことも事実です。
今日の一言
何かを命令するときは
リスクを負って、選択肢をあえて準備して
交渉にあたる勇気を持とう。
相手に選べる状況を作っておいて
自分の思い通りの方を選んでもらうには、上手な話術だけでなく、
真心が必要であることも、付け加えたいと思います。
高坂一彦 拝
