かずのブログへようこそ! ≪#0112≫
本日のブログは、
言語が変わると、
人格が違って見える
そんな実験をしたいと思います。
昨夜、食事を一緒にした
友人との会話の中で
私のブログの話になりまして
(前回のブログの続きです)
どのような内容が読者さんの心に響くのか
なにやら貧乏学生が集まって
理想論や夢を語りあうような
雰囲気になってきました。
友人は、神戸出身で
私は奈良出身なので
お酒を飲むと完全に
関西弁になります。
私から話題を振り
「どんな内容がおもろいと、思もてもらえるんやろ?」
「幸せですぅ~。みたいな内容はどやろ?」
友人
「なんか、自慢話聞かされても、ほんでなんやねん? ちゅう~感じやで」
私
「ほなら、不幸話やったらどや?」
友人
「それ、ええんちゃう! 人って、他人の不幸話好きやから」
「そういゃ、ミュージシャンかて、むちゃ暗い歌でも、人気あるやん」
≪関西弁疲れました、普通に戻します≫
以上のような会話ですが、
これ、ふざけているのではなく、
関西人の本気トークでブログの事を
話しているのです。
ミュージシャンは、人生の敗北や
悲しみのどん底を歌っても
聴衆は自分の過去と置き換えて
自分のことの様に聴いている。
それも、涙を流しながらでも
望んで、何度も聴いている。
映画やアニメもそうです。
私が唯一観る事が出来ないアニメは
「火垂るの墓」です。
内容をご存じない方や
まだ見ていない方は
是非一度はご覧ください。
自律神経のバランスが
崩れてしまうくらい悲しくなります。
人が心を動かされる程のメッセージは
どのように生まれるのかな?
最近、ユーチューブの朗読を聞きました。
私が一番好きな作品に
「雨ニモ負ケズ」があります。
皆様良くご存じだと思いますので
詳しい説明は省きます。
後半の
『みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい』
久しぶりに言葉だけで涙しました。
ひとしきり泣いた後に思ったのが
感動を狙った言葉は
所詮本当の感動を呼ばないのかな。
ありのままの自分の姿や思いを
いろんなフィルターを通さずに
表現できた時に
本当の言いたいことが
伝わるのかもしれません。
そして、もう一つ解った事があります。
例えば、困難に遭遇したことを表現するとき
絶対にしてはいけない事。
それは、同情を誘うこと。
もし、助けて欲しいのであれば
素直に「助けて」と、言うべきです。
思わせぶりの表現は、
相手の心にストレートに
届かない気がします。
こうありたい! こう成りたい!
思い続け、言い続け、行動し続け
そして、初めて信念になるのかな。
私は、最近理想の人間像を持っています。
バカだ! 器が小さい! レベルが低い!
能力がいまいち! へたくそ! 魅力ない!
むいてない!
と言われても、自分を『信じる力』だけは
持ち続けようと思います。
力にはいろいろあって
権力、魅力、気力、財力、知力。。。
その中で
私の一番好きな日本語は『信じる力』
絶対にあきらめない。絶対に。。。
冒頭の関西弁をしゃべる男二人は
その後、関西弁で上記の思いを
しゃべり続けました。
友人
「お互い、あきらめやんと、がんばろな~」
と、言い残して去っていきました。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
高坂一彦 拝