ほんまでっか ‐ 藤竜也の豪快さとある違和感 | 異文化交差点

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 昨日、久しぶりにサンマの「ほんまでっか」を観た。

 

 藤竜也のあっさりとした豪快な回答ぶりに、サンマは圧倒されて、藤竜也を無意識に「先生」と呼びだした時、「そうだな、本物の先生は、相手が心からそう呼ぶものだ」、と納得した。

 

 彼は、過去、現在、未来を思う時、それぞれにどれほどの比重を置くか、という質問に対して、現在が7割で未来が3割と回答し、サンマの更なる質問に対して、「過ぎた過去には囚われないし、すぐに忘れるようにしているから、過去は思わない」、と応え、追加的なサンマの質問の「芝居の台本なんかはどうされるんですか」、に対して、「芝居が終わった後は捨てるし、手元に残さない」、とばっさり切り捨てた。

 

 サンマはそれに驚愕し、さらに藤井を尊敬し、藤井を先生と自信をもって呼ぶ、その光景を見ながら、私は思った。

 

 「なるほど藤井は役者に徹した生き方を貫いている。この姿勢は賞賛に値するし、彼は豪快だ」

 

 その直後、私は違和感を覚えた。彼は、芝居の創作者ではなくて、創作された芝居を演じる役者だから、彼の仕事は常に受け身だ。しかし私は、本職の研修講師、塾の英語講師であり、研修資料及び英語学習資料を作成し、それは捨てずに残しておく。なぜなら、そういった資料を分析し、更に良い資料もしくは別の用途の資料に作り替えるためでもある。つまり私は創作者でもあり、研修や授業実施時は演者でもある、両刀使いだ。

 

 サンマが藤に共感し尊敬したのは、彼もやはり受け身の演者だからであろう。テレビ番組の創作者でもない。

 

 ちなみに今の時点の私は、「あれ、これ、それをやろう」と想像を膨らませていて、その構想を練っているので、未来の比重が5割、現在と過去がそれぞれ2割5分程度だ。この割合は、状況によって変化する。研修や授業が終わった後は、振り返りに比重を置くので、約8割が過去を思う。それは徐々に変化し、やがて、未来に比重をおき始める。

 

 この質問者は誰か忘れたが、「人の思いは時と状況によって変化する」、ことが分かっていないために、あまり知的でもない、と判断した。