私の英語勉強法 | 異文化交差点

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長年、数十カ国を遍歴した経験を生かして、日本人には日本語と英語、米人には英語を使って異文化研修を日本語と英語で提供しています。

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 既に何度も書いているが、私は、学生時代に米軍基地で働いて英会話をモノにした。しかしながら、大学を卒業して貿易商社に入った時、その英会話は一つも役に立たなかった。その理由は、米兵達が日常的に使っていた言葉が海軍の仕事に関係していたからだ。そういう言葉は、商社では全く使用されなかった。また彼らのほとんどが日常的に卑猥な俗語を多用していたために、それを省いた話の中身は高度でもなく、私の英会話能力は、仕事で使うだけの水準になかった。もちろん、英語が話せない人にとってみたら、私は、英語使いの達人に見えた事だろう。

 貿易商社で使った言葉は、また特殊だった。取消不能信用状(irrevocable letter of credit)、海上保険(marine insurance)、保険証券(insurance policy)、船荷証券(bill of lading)、送り状・請求書(invoice)、梱包明細書(packing list)などなどがあり、入社してすぐにinsurance policyを目にして、一年先輩の女性社員に「保健政策」って何ですか、と聞いて「そんなことも知らないの?」と呆れられた事もある。

 このような用語は米国人でも日常的に使わないし知らない人も多い。私が米国に滞在していた時、海外取引のために銀行を訪問し、an irrevocable letter of creditの発行をしたいという事で、銀行の担当者に相談したところ、その言葉の意味を相手は全く知らず、1時間ほど貿易実務の話をした。私は、米国人ならば、こういう貿易用語を知っていて当たり前だろうし、むしろ、彼らからもっと専門的な話が聞けると期待していたのだが、全く想像を絶する有様となった。

 私の米国人の同僚は、日曜日に彼が所属する長老派(Presbyterian)教会に私を良く誘ってくれた。その時、minister(聖職者)が参加者の前で話す言葉の多くに戸惑いを感じた。ところどころ聖書に書かれてある固有の言葉が聞こえず、理解できなかったのだ。しかしながら、そこに居る人達は日常的にキリスト教に関係する用語を知っているために、頷きながら聖職者の説教を有りがたく聞いていた。

 その後に、皆が集まって聖職者を囲んで日常的な会話をするのだが、これまたその地方独特の言い回しや、単純な日常用語などが頻繁に口から発せられ、なんと多くの日常用語を英語で知らなかったのかとその時嫌と言うほど思い知らされた。

 そして私は思った。日本における英語教育はどこか変だと。Tom、Susie、Mr. and Mrs. Brownなどなどの登場人物がI have a pen、I have a book. My name is ... What is your name? How are you? How do you do?などと言いながらそれらの表現を中学校一年生で学ぶが、ちっとも面白くなかった事を思い出した。英語の基本構造を教えるのは良い。それは避けて通れない。その調子で大学まで英語を学ぶが、どこかもっと重要な事が抜けている事が、米国滞在中に見えて来た。

 何が不足していたのか、それがはっきりと分かったのだ。それを書いてみよう。

 まず米国社会は、キリスト教的文化が底辺にしっかりと存在していて、その関連用語は、たとえ私がキリスト教を信じていなくても知る必要がある事に気付いた。だから、聖書を読んだ。これには抵抗があった。しかしほそぼそと続けた。そのお陰で彼らと日常会話を行う時、その関連用語が如何に日常生活と結びついていたかを知ることが出来た。

 次に私が実践したのは、身体に関連する用語を日本語と英語と対照させて書いて暗記する事だった。しかも音に出しながら。内容だけでなく発音がしっかりと出来て初めて暗記したと言って良い。

 これは身体の表面に見える身体各部を頭の天辺から足先までの全ての用語と身体内部の各部の用語全てを網羅しなければならなかった。なぜならば、例えば、「なんだかおしっこの出が最近悪いんだ。きっと膀胱か腎臓の調子が変なのかもしれない」、と米国人が言ったとすると、その時の重要語は膀胱と腎臓であり、それを英語でbladderとkidneyと言うが、それらの言葉を知らなければ、耳には全く聞こえてこないために、米国人との会話が続かない。聞けば良いと言う人もいるが、bladderとkidneyが耳にしっかりと聞こえなければ、その意味を聞く事さえ出来ないのだ。

 もう一つの例を書こう。手の指と足の指は英語で異なる表現となる。前者はfingersであり後者はtoesだ。足の指をmy foot's fingersと言ったりすれば、おそらく米国人は笑うだろう。すると多くの日本人は恥ずかしくなり、その場から逃げたくなる。やがて人と会うのが億劫になり、ますます英語力が身に付かなくなる。ところで、日本語では「足の指」と言うが、英語ではtoe(s)が既に「足の指」だから、footと言う必要は全くない。

 こういった言葉を全て日本語と対照させて記憶したために、まず身体に関する日用語で困らなくなった。そしてそれらを病気の用語と関連させて更に学習した。日本によくある「家庭の医学」は米国にもある。Everyday Guide to Family Healthという本を買って、身体各部と関連する病気特有の用語を記憶して行った。だから、日常会話において、良く出てくる病状と身体各部の用語が理解できるようになっために、米国人と交わる事が全く億劫でなくなった。

 その後、私は、次々と新しい分野の学習に取り掛かった。食事、食材、地理、気象、地球、数学(主に四則計算)、物理、電気、政治、歴史、社会学・・・などの本を購入して、それらを読んで英単語を記憶して行った。既に、日本語でその教養があるために、理解するのは何ら問題ではなく、単に日本語を英語に置換する作業で十分だった。

 これらの学習を始めたのが、35歳から36歳だった。これらを英語で知るために掛った時間は1年もない。既に日本語の教養があったために、中身を理解する作業をする必要はなく、単に日本語と英語の対照表を作成してそれを記憶するだけで十分だったからだ。

 だから、37歳になった時、私は日本に一時帰国し、国連英検特A級を受験し、筆記と面接試験、それぞれ一発で合格した。これが可能だったのは、日本語の一般教養を英語でも知っていたからに他ならない。