「鳥羽絵」のねずみ | 木挽町日録 (歌舞伎座の筋書より)

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趣味で集めている第4期歌舞伎座の筋書を中心に紹介

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子年にちなみ、「鳥羽絵」のねずみを紹介します。

鳥羽絵は、鳥羽僧正作とされる鳥獣戯画にヒントを得た江戸後期の戯画に

題材をとった清元の踊り。下男升六がねずみを追うと先代萩の床下の場や、

ねずみ相手のくどきになったり等々趣向に富んだ作品です。

 

御曹司がねずみを演る時には顔が見える着ぐるみになって

幕切れにねずみが升を振り上げ下男を踏まえ、下男が逆にねずみの振りを

する様な演出が取られることも。

 

この、顔出しのねずみについて

九代目三津五郎が演劇界にこう書いていました。

「六代目(菊五郎)のおじさんの部屋子になってからは「とぶ、とぶ」

と呼んで可愛がってもらいました。六代目のおじさんがとんぼが

好きだったので、われわれも七つ八つの頃から寒稽古をしました。

八重之助さんや梅祐さんが御師匠番でした。負けず嫌いだったので、

雪の中で稽古したこともあり、十歳前後にはとんぼをマスターして

いました。十一歳の時、「鳥羽絵」がでて、いつも梅祐さんが鼠を

するんですが、とぶは返れるからと、おじさんが私を鼠に遣ってくれて

「子供だから顔を出せ」というんで、あの時から鼠が顔を見せるように

なったんですよ」

 

記録を見ると昭和15年2月の歌舞伎座でのこと。

もう一本違う記事があります

「男衆さんが「光伸さん、旦那が呼んでますよォ」って、それが

一月か十二月ごろですね。寒いときしか稽古しないんだからあそこは。

寒稽古です。今みたいに陽気のいい時にはやらなかった。だからパンツ

一枚で下にいて寒いわけ。そのまんま部屋へ行ったら松竹の遠藤為春

さんが並んで座っていて、六代目さんが「おおトムそこでちょっと

返ってごらん、三徳でいいから」と。で、三徳でポンと返ったら、

「遠藤さん、これでも使えませんかねぇ」と言ったんです。だから、

きっと光伸を鼠に出そうと言った時に、子役でそんなことできるんですか、

と聞いたんでしょうね。その証拠に「返ってごらん」と。

「ああ、これならいけやすね」ということで、ちょっと顔へ白粉ぬって、

布なしの鼠で」

 

と語っている。

 

★昭和30年3月 明治座

17世勘三郎の下男、萬之助(2世吉右衛門)のねずみ

これはブロマイド用の撮影

 

★昭和31年11月 大阪中座

延二郎(後の三世延若)の下男

劇評では延二郎は熱演すればするほどこの種の三枚目がかったものは

固くなる。洒脱というには遠い。と辛い点。

ねずみの喜代志にも筋のいい踊りだが下男より大きいのは見た目に難とある。

 

★昭和32年3月 歌舞伎座

二世松緑の下男、みどりのねずみ

 

★昭和37年9月 歌舞伎座 八世三津五郎襲名

七世簑助の襲名、五世八十助(後の十世三津五郎)初舞台も併せての興行。

松緑の下男、八十助のねずみ

劇評では

鼠を初舞台の八十助がやる。この鼠がからむくだりが見せどころで

普通なら達者なおどり手が出るところを、小さい八十助を相手に

するのだから、松緑は二人分踊ることになる。が、八十助も手順を

よく飲み込んで、極り極りもきっぱりやっている。前途有望である。

 

★昭和44年6月 渋谷東横劇場

竹之丞(後の富十郎)の下男

 

★昭和55年2月 歌舞伎座 八世彦三郎(後の楽善)襲名

松緑の下男、うさぎ(後の橘太郎)のねずみ

前半の筋書なので舞台写真は無いが、当時の観客が

達者なねずみの配役を見ようと筋書を捲ると、うさぎと書いているので

ねずみじゃなくてうさぎだったっけ?と要らぬ混乱を招いたとか。

面白いエピソードなので配役ページを載せました。

 

演劇界に名前入りで舞台写真がありました

 

★平成元年6月 歌舞伎座

歌昇(後の三世又五郎)、こちらも橘太郎のねずみ

 

★平成8年2月 歌舞伎座

九世三津五郎の下男、孫の巳之助のねずみ

 

★平成9年8月 歌舞伎座

歌昇の下男、種太郎(後の歌昇)のねずみ

 

★平成20年9月 歌舞伎座

富十郎の下男、鷹之資のねずみ

富十郎の聞き書き

初役の時は松緑兄さんに教わりました。清元の名曲で

最初に習うのが「鳥羽絵」で、私もこの曲は三味線が弾けるんです。

(ねずみ役は、九歳の長男鷹之資)

息子はまだどなたの「鳥羽絵」も見ておりません。無邪気なうちに

本番を体験しておくのは大事なことです。

 

このところ上演がない演目ですね。