休職した時  必要のない情報を入れない   | 「子宮を通して本当の自分に出会う」

「子宮を通して本当の自分に出会う」

子宮は、命を宿し、育む大切な臓器ですが、現実世界を作るうえでも大きな可能性のある場所です。
子宮を通して、本当の自分に出会うことで、自分のパワーは最大限に。自分の子宮をパワースポットにしていきましょう❤︎

31歳で休職した時のことを書いているのですが

 

 

あまりの状態のひどさにとにかく自分を労わらなけば笑い泣きあせると思い

 

 

いかにそんな状況の中で自分が居心地良くいれるか、

 

 

自分を否定しないで過ごせるのかを追及していったのですが爆  笑

 

 

 


この時お医者さんに

 

「薬を飲みたくない」

 

と言ったことで、

 

 

「もう来なくて良い」と見放されてしまい…

 

頼れるところがなくなって

 

 

誰か他に頼れる人をと思っても

 


「これで良くなる!変わる!楽になる!」みたいな情報を伝えている治療家さんはいっぱいいるのに

 


どうして自分はいつまでもこんな状態なのだろうと思うと

 


そういった人達の言葉に触れるのも嫌になり…

 


とにかくあの時数年いろんなことがありすぎて心が傷つきすぎたせいで、

 

その感情が溢れるように出てきた時期でもあるので

 

おもいっきり人に対して壁を作ってしまったのですね。笑い泣き笑い泣き

 

 

素直に人の言葉が聞けなくなり

 

全て外側の繋がりを遮断したくなって

 

すっごい孤独感みたいなものを感じていた時期でもありました。

 


これもまた症状の中の一つだったと思いますが

 


実際は本当にこのときも周りでいろんな人に支えてもらっていたのですが

 

自分の心がそんな風にしか感じられないようになっていました。

 

こんなことを書くのはほんとは嫌なのですが

 

私の暗黒期ですっ。滝汗笑い泣き

 

 

 

でもだからこそ頼れる人がいなかったからこそこの時期思いっきり自分に集中することができたのだとも思っています。てへぺろ

 


まず居心地の良い状態を作るために、自分の身の回りの環境を整理したりと書きましたが

 

これも気をつけていたのですが

 

自分に必要のないと思う情報居心地が良くない情報はあえてみないようにしていました。

 

 

この時期初めの頃はやはりどうしたらよいかわからず

 

パニック障害の本を買って読んだこともあったのですが

 

 

でもそれを読んでいたら、

 

広場恐怖とか、

 

予期不安とか、

 

死ぬほどの恐怖を味わうとか…

 


これってこうゆう情報入れるから余計怖くならない?

 

逆に知識が入ることで、


自分もそうなってしまうのでは?と

 

不安が増すような気がして

 


だいたいにしてパニック障害という名前からして無理と思ってゲローゲローゲローゲロー

 


それからはあえて居心地の良くない情報をいれることを止めました。

 


そしてこのときにパニック障害で良くなった人はいるのかと

 

同じ病気の人を調べてみたこともあったのですが

 

私はそこで良くなったという人を探せなかったのですよね。

 

みんな何年も薬を飲んでいるけれど良くならないという人ばかりで

 

その事実を知って尚更この病気は一体なんなのだろうと怖くなって

 

でもだからこそ同じようにやっては絶対に改善していくことは難しいだろうと判断しました。

 

 

でもめまいの症状もあんなにひどかったものが鍼で良くなっていったように

 

なにかしら自分に合うものがあれば絶対良くなっていくだろうとは思っていました。

 


これから時間を経てセラピーを受けたり食事療法をやっていくことにはなるのですが


自分の回復段階に応じて、

 

今居心地が良いことを選択して

 

居心地が良くないならやめるか、いったん離れる。

 

こうやって自分のエネルギーを蓄えていっていました。

 

 

 

そしてこれを書いていて思ったのですが、


私、病気の時が1番強い気がするのですが


バランス取れていないようで取れているというか


病気になるとものすごいこうやって自分で自分のサポートできるようになるので

 

こうやって人に聞かずしても自分でいろんな判断ができるのですが

 

 

私1番今の状態の自分の心を保つのが苦手なのです。真顔あせる笑い泣き


たぶんここら辺が人は違う感覚かな?

 

 

どうゆうことかというと


病気になると仕方ないと思うので

 

諦めてできない自分もあまり否定しないのですが


症状が良くなってきて仕事とか始めると


途端に人と比べてできない自分とかが見えだして


この無価値観みたいな、強烈に低い自己肯定感が低いので、それが顔を出してくるわけなのですよね。

 

 

例えばもっとやりたいのに体がまだついていかないとか…


体に合わせて動かなきゃないことにジレンマみたいなものもあるし

 

ほんとにそうなるともっと頑張らないといけないみたいな気持ちが出て


そうするとこのときできてきた


一つ一つを積みあげていくというステップが踏めなくなるのです。

 

 

自己否定が病気の時より出てくるのですね。

ニコニコあせる

 

 

なにか自分が病気から普通の人間になったと自分で思った瞬間に以上に弱くなるというかびっくりびっくり

 

全然言っていることはわからないと思うのですが

 


じゃあずっと病気マインドでいくとわたしは強いのかな?(笑)

 

病気とそうじゃない人になんか大きく分けて違うものだと思っているのでしょうね。

 

 

病気が問題だとは思っていなくて

 

病気だとなんでも許されるみたいに思っているんだな。

 

 

病気じゃないときはちゃんとしなきゃみたいに思っているんだっ!

 

禅問答のようですが(笑)

 

あ~書いてて気づくのですが

 

私、祖母にとにかくちゃんとしなさいと死ぬほど言われて育ってきているので


ちゃんとしないことが悪みたいな感じで自分の深いところで思っているところがって


この思いが反応して

 

ちゃんとしなきゃないと思ってしまうことで

 

あれもやらなきゃこれもやらなきゃみたい気持ちがでてきて

 

自己否定とか


一つずつ積み上げていくステップを大事にできなくなるんだなあと気づきました。

 

 

やはり調子は良くなっていますが、治療をやった体のダメージはまだまだ完璧には改善していないのですよね。


大きくみないで今自分ができる範囲でやろうとすれば、0から1を生んでいくだけだから

 

あとは自分の中の限界というか、自分できる範囲を知るとか

 

そんなことを今でも意識しているのですがデレデレデレデレ

 

これは私の今の課題だったりします。

 

 

何ですかね、人って無駄にいろいろもって手放すことって怖いのは、自己肯定感の低さですかね。

 

だから頑張りすぎて病気になってしまった人とかは、どうしてそこまで頑張る必要があったのか

 

自分の深い感情を感じていきたいですね。

 

自分に質問していくと良いですよ照れ

 

 

こう考えていくとずっと自分は病気だと思えば良いのか?と思ったりもしますが(笑)

 

どんな状態の自分でも問題ないと思えるように


私病気というものがないと自分と自分が分離しやすくなってしまうのだと思います。

 

だからちゃんと体からメッセージもらわなくても自分としっかり繋がっていきたいものですっ。

 

病気があるものだと思うから違いが生まれてしまいますね。

 

その人それぞれ自分と離れる学びっ。

 

 

 

自分としっかり繋がっていくように、自分の中に自分に必要のないものをなるべくいれないようにしていきたいですね。

 

自分に必要じゃないのに、入れようとしてしまうのは自分の中にある不足感を埋めようとしている行為なのかも。

 

ほんとは自分一人で完璧で、すごいパワーと可能性を持っている

 

自分に必要じゃないとわかっているのに、握りしめているものはないか?

 

なんで握りしめようとするのか、自分の心に問いかけていきたいです。