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起業コンサルタントの中島萌未(ともみ)です
自分の感情なども入れて年表を書くと面白いよ!試しに私も書いてみるね!
という軽い気持ちで書き始めた私の年表(笑)
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いざ書き始めたら、人生色々ありすぎて全然進まなくてこの先を書くことにも慄(おのの)いていたけど、書かないと終わらないのでとりあえず今日も書き始めてみます
本当、自分自身の「棚卸し」をしている気分♡
今回はイギリス留学を終えて帰国してから〜独立を迎えるまでの期間について触れられればと思います!レッツスタート
2007年7月 19歳
・7月1日にイギリスから帰国
・ゆっくりする暇もなく、5日後くらいからはイギリスから予約をしていたサロンの面接を入れていたので、ひたすら履歴書を書く日々
・4、5社受けたと思うんだけど、面接をしたところは全て合格をいただく(イギリスで学んできたプライドから、めっちゃドヤ顔で面接行ってたと思う🤣)
・迷った末、とにかく最初は稼ぎたかったのと「私はずっとセラピストやるし」という覚悟から、「最初は敢えてアロマじゃなくてエステで経験積むのも良いかも!」
と、受けた中で1番お給料の良かった東洋の経絡(けいらく)エステのお店に正社員として就職
・なので7月の中旬には、勤務をスタート
・スタッフも多いエステじゃなかったので、当日から施術に入れられて「とりあえずマッサージしてて!」と言われてトリートメントしていると、
お客様に「エステなのにすっごく癒された♡」「またあなたで!」と声をかけられる(そりゃあそうだ、1年間ガッツリ癒しの手技を学んでたので)
・実家から片道1時間半くらいかかる勤務地だったけど、毎日オープン前と閉店後に店長からエステの手技も教えてもらう。
ヘトヘトだったけど、大すきなマッサージができてお金ももらえて、とにかくやり甲斐はめちゃくちゃあった毎日だったな
・初月からエステチケットのセールスも入るように言われ、見よう見まねでクロージングしてたら、ほぼ契約が取れて楽しくなっちゃう
・初月からなぜか100万以上の契約を取って褒められるw
2007年12月 20歳
・指名数と売上額が認められて、勤務5ヶ月で新店舗の店長に昇格
・他のスタッフは10〜20歳上の方で大変だったし、とにかく人がいなくて仕事量がハンパじゃなくなる…
・週休1日、毎日12時間以上勤務して、休憩はなし、お昼ご飯は洗濯機の横に立っておにぎりを食べるくらいで、だんだん人の心を失っていったなぁ
・しかも店長だった事もありとにかく「契約取らなきゃ!」と思い、毎月300万以上の売上を上げても、自分の手取りは20万前後で働くのが段々アホらしくなってくる
・当時は実家から通いながらお給料も実家に入れていたので、お金はたまらないし疲れるし通勤時間も辛すぎるしでストレスMAX
・そんなこんなで「癒しのアロマが懐かしい…」「なんで私痩身なんてやってるんだろう?」「別にエステチケット売るためにイギリス行ったわけじゃないのに…」と思い、転職を考え始め
・でも自分の中で「1年はやろう!」と決めていたので、少しずつ転職のリサーチを始める
過去の写真が全くないので、
イギリスの写真をお楽しみください♡
2008年6〜7月 20歳
・就職して丸1年となる7月頭に退社することを目標に、6月から転職の面接を受け始める
・今度は「癒し」に特化したスパで働くんだ!もう少し都心に進出して、ここからセラピストとしてのキャリアを積むんだ!
と決めて、大手の面接を3つ受けて全部合格
・芸能人や財界の人も多く来る、都心に数店舗ある大手スパに入ることに決める(ここはスタッフが全員契約社員だったけど、そもそも正社員登用していたのは最初の1社だけ。マッサージ業界あるある)
・前職を退職してからスパに入社するまでの間に、「今しか旅行できない!」と察して、初の遊びでの海外1人旅でシンガポールへ行き英語を浴びて生き返る
・帰国後は、店舗に出る前の1〜2ヶ月、付属のアカデミーでの研修として週5日無給の研修期間へ突入
・このタイミングで、パリから帰国したお姉ちゃんと杉並区でルームシェアを始める。
都内の職場まで片道30分以内で通える近さに、わたし歓喜
・って事で相変わらず貧乏だったので、無給の研修中は会社がお昼に白米だけ炊いてくれてたので、ゆかりをかけて食べてました(笑)
実家から通ってた同期はお母さんにお弁当を作ってもらってて、ほんと羨ましかったな
2008年8月〜 21歳
・そして早く稼ぎたい一心で(笑)1ヶ月ほどで研修を終えられて店舗デビュー。O店へ配属
・ほんとに、毎日誰かしらの芸能人が来るようなスパで内心興奮する毎日♡有名な歌手、アーティスト、俳優さんなども来ていたり、水商売の方の同伴にもよく使われていたので、いろんな大人の世界を知っちゃったこの時期
(ネタバレ禁止なのでこの辺で🙌)
・昼間から朝5時までやってるスパだったから夜勤が中心だったけど、店長や先輩スタッフも良い人ばかりで毎日めっちゃ楽しかったこの時期!
会社も好きだったし、海外店舗オープンの話題なども出てきていたから
「私ここで上に上がりたい」と思い始めるともみさん。
2009年4月 21歳
・花型だったS店移動となる
・スタッフ数がO店の3倍くらいになり、ここで初めて女子のギスギスを体験…
・バックヤードに指名数ランキングが貼ってあり、お客さんの取り合いとかもうるさくて、ちょっと怖くて無理な雰囲気
・ボチボチ指名はいただいていた方だったので、新人さんの技術研修係になるも、ここでもやっぱりみんな年上。でも技術については譲れないものがあってよく研修中に年上の先輩を泣かせる
・しかも、この時から1人の時間が好きだったので、ランチを断って1人で階段で本読んでたり、仕事後の飲み会を断ってスタスタ帰ってたら、徐々に孤立(今思うと、そりゃそうだ。笑)
2009年7月 21歳
・そんな折に、社長と喧嘩w(男性客を重視する会社の方針に納得がいかなくて、噛みついちゃったのだ)
・尚更職場に行くのがストレスになってきて、ある日電車に乗ると冷や汗が止まらなくなって、呼吸が浅くなる…
・職場の最寄り駅から職場に歩いて行く途中で、だんだん呼吸困難になるっていう症状が始まってきて
・1週間後くらいには、職場に着くとトイレから出られない自体に突入。トイレで1人で泣いて、動けなくなっちゃったんです
・その日に早退をして→そのままドクターストップで退社
・要はですね、ストレスと1年間夜勤が続いてたホルモンバランスの乱れで鬱病とパニック障害を併発したのが、この時のこと
2009年8月〜 22歳
・はい、引きこもりに突入
・今回の社会人編を見てもらってお分かりの通り、当時の私は自分の学歴や見た目、性格にコンプレックスがあったからこそ、めちゃくちゃプライドが高かったんです
・私の言うことが正解でしょ?なんでみんな私のやり方に賛同しないの?なんでみんな私みたいに出来ないの?バカなの?的な…
どんだけ私がアホだったんだろう
・でも、強がっていたし誰にも心を開いてなかったから、誰かに甘えたり、弱音を吐く事も出来なかったんですよね。
誰かを頼るなんて、弱い人間がする事だと思ってたから、留学で生き抜いてきた私が、これくらい耐えなくてどうする!って、いつもそう思ってました
・その結果が鬱とパニック症の併発
・でも本当にラッキーだったのが、この時にルームシェアをしていたお姉ちゃんがマクロビオティック (玄米菜食)のお料理でホルモン系の持病を克服していてね!引きこもりになった私に毎日ご飯を作ってくれてたんです♡
・それまでの私の食事は、疲れ切っててお料理なんて出来なかったし、夜勤で夜中にご飯を食べるので太りたくないから
▶︎カロリーゼロのカル○スジュース
▶︎春雨ヌードル
▶︎コンビニのサラダ
▶︎ソ○ジョイ
が定番ご飯だったんですよ
うん、これメンタルやられて当たり前って今なら分かる
・でも当時は、食の知識なんて全然なかった私なのでそんなコンビニご飯を1年近く取り続けていたので、最初はお姉ちゃんが作ってくれるご飯も「うーん、味薄い…」とか「食べ応えが…」なんて思っていたのに…!!!
ってところで、また非常に長くなってきたので(笑)今日はここまで
金なし、職なし、精神疾患持ちのドン底期間に突入した私が、これからどうやって這い上がっていくか、それはこの次の回かな^ ^♡
ふふ、またお楽しみに♡
(昔の私に、今の幸せそうな私を見せてあげたい)
今日もブログをお読みいただき、
本当にありがとうございました♡
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