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起業コンサルタントの中島萌未(ともみ)です
自分の「強み」や改めて「好き」なことも棚卸しできる、自分の感情も入れた年表作り!
昨日から書き始めて、昨日は
幼少期〜高校卒業までをまとめています
↓
って事で今日は続きの、高校を3月に卒業してからの流れをまとめてみましょう
2006年4月某日 18歳
・3月に高校を卒業して、その2週間後にはカレッジ(専門学校)留学のため単身で渡英
・ロンドンヒースロー空港から、学校が手配してくれた送迎タクシーで南下すること約2時間。
ポーツマスやブライトンに程近い、ガイドブックにも載ってない可愛い田舎町に到着♡
・意気揚々と入居予定のカレッジの敷地内にある寮に行くが、200名くらい入る寮のはずなのに人がいない…
ていうか管理人室にも誰もいない…
・しばらく待ってやっと人が通ったかと思って捕まえたら「連休でみんな実家や旅行に出てていないよ」との事。え、管理人さんは?🤣
・1時間くらい待って、やっと管理人登場。片手には紅茶、片手にはビスケット。裏切らないぜイギリス人。と思いつつ、なんとかルームキーをゲット。
・疲れ切ったけど、個室の寮だし♡と思って部屋を開けたら絶句。なんとベッドにはマットだけで、シーツも掛け布団も枕も何も無いっ🤣
・慌てて、また管理人さんがいるうちに!と思ってダッシュ!ねぇ、色々買いたいんだけどスーパーとかお店は?と聞いたら
「Hahaha、今日は祝日だからどこもやってないよ〜笑」
って、嘘だろオイ
・そんなこんなで、飛行機でもらったお菓子を食べながら、日本から持ってきたバスタオルやコートにくるまって寝る。という、なんともクレイジーな1日目を過ごした私のイギリス生活初日(笑)
今みたいにフリーWi-Fiとかもないし、LINEもZOOMもないので、誰にも連絡出来ず
「ここで1人で生きていくんだ。上等でしょ。」と思った、ともみさん18歳の春なのでした(いやでも根性すわったわ)
寮から見た校舎の様子。実は2018年に久しぶりに母校に帰りたくて、行ってきたんです♡ ↓↓
2006年4〜8月 18-19歳
・ハプニング続きだった翌日以降は、徐々に近所のお店なども見つけられて少しずつ日用品を揃えて快適な生活に
・寮は小さなアパートみたいのが繋がっている作りで(イギリスの伝統的なアタッチドハウス的な♡)、ワンフロアに5部屋あり、その5人でフロア毎の小さなキッチンも共有する感じでした
・男女混合の寮だったけど、私のいたフロアはイケイケなイギリス人女子3人と、ジンバブエからの英語ペラペラな留学生、私を合わせた5人
・そのジンバブエの子がめっちゃ優しくて、スーパーの地図とか学校の説明をしてくれて、いつも助かってた〜
・で、イギリスはアメリカと同じく9月が新学期なので、4〜8月はカレッジに付属している「英語学校」に強制入学←留学生は、ここで語学力を身につけます^ ^
・4月からその学校に合流の色んな国の留学生がホールに集められて、一斉にレベル分けのテストを受けて、翌日にレベル分けが発表されてそのクラスに入るように指示される
・全部で8レベルくらいあったのかな?私は真ん中1つ上くらいのクラスに入って、そこで1人の日本人のお姉さんが〜😭♡ジャパニーーーーズ♡
・彼女は3月に大学を卒業してから来たとのことで、私の4つ歳上♡しかも!9月から同じホリスティックセラピーの学科に進学予定ということで、ここで私は完全なる頼れる姉貴をゲット(おめでとう私!!)
・8月までは、(月)〜(金)毎日朝から夕方まで英語の授業があって、同じクラスのイタリア人やドイツ人、ロシアや韓国、UAEの人たちとパーティーしたりととにかく楽しかったなぁ〜。(もうみんなの連絡先わかんなくなっちゃったけど)
・大好きなロンドンまでは片道2時間かかるし、ユースキップでも往復で3,000円以上したので貧乏留学生の私は頻繁には行けなかったけど、
それでも数ヶ月に一度でもロンドンに行って、1人で大好きな美術館に入り浸ることもとにかく喜びでした(o´艸`o)
・そして8月の中頃かな、英語コースを終えて専門コースに進学して良いかの適正テストを受けてなんとか合格
ま、丸い。丸いぜ私
2006年9月〜12月 19歳
・そんなこんなで、なんとかイギリスの専門学校でホリスティックセラピーを学ぶ権利を得れて、1年間の専門コースでの学びがスタート!
・30人近く現地のイギリス人がいる中で、留学生は私と、英語コースから一緒だったお姉さんも含めて3人の日本人お姉ちゃんが😭ありがたいありがたい。
・イギリスのカレッジって面白くて、日本で言うところの職業訓練校みたいな感じで、下は16.17くらいの子から、上は親世代の方まで生徒の年齢が幅広いの!!
・なので私が受講したホリスティックセラピーのように、1年だけ受けて資格が取れる。というコースが、他にもホスピタリティーとかツアリズム、ビジネス、ヘアメイク、アートとか、色んなクラスが山のようにあったんだよね
・授業はもちろん英語で訳わかんないことも沢山あったけど(笑)、それでもセラピーがメインの学科だったので、毎日みんなでマッサージの実技練習をしたり、アロマを学ぶのがめっちゃ楽しかった
・唯一の苦痛は、解剖学の授業だったな禁忌のために学んでたけど、日本語で見ても臓器の名前とか場所とか分からないし…と思い、毎回1人でプチパニック(笑)
・でも先生が補講してくれたり、日本人お姉ちゃん達がサポートしてくれてなんとか理解していけた私
・あと最高に面白かったのが、毎日授業の最初にクラスみんなで誘導瞑想して→チャクラを整えてから授業に入ってたんだよね
・だからチャクラについてのレポートもめっちゃ書いたし、ていうかテキストにも普通にあったから、国が認めた講座の中にチャクラワークがあるってことか!!🧘♀️
今思うとさすがイギリス!
・それとイギリスは学期中にも結構祝日があったんだけど、基本的に私はお金もないし、授業に必死について行ってた派だったのでお部屋にこもってずっとレポート書いたり、ネットで日本のドラマを見て引きこもっているのがほとんどでした(この時から、既に1人を愛するネクラ♡)
・秋休みかな?一回お友達と爆安なスコットランド旅行を計画して旅へ。
・ロンドンから数百円で乗れるメガバスっていう格安長距離バスで、十何時間揺られてスコットランドのエディンバラとグラスゴーのお城や美術館を回って(激安B&Bに宿泊)→そのあとイングランドに下降して、高校の友達が留学していたダーラムに1日泊まる。
っていう3泊4日の旅行、めっっちゃ懐かしい〜!
2006年〜2007年 19歳のクリスマス&年末年始
・同時期にパリに留学していたお姉ちゃんと年末年始を一緒に過ごすため、親になんとかお願いをして旅行をさせてもらうことに(パパママ本当にありがとう😭)
・パリの街中でふらっと合流して(2人とも現地のおもちゃみたいなケータイしか持ってなかったのに、よく会えたよね!!笑)
・クリスマスマーケット発祥の地、アルザス地方のストラスブールでクリスマスを過ごすために列車の旅へ。お姉ちゃんがフランス語を喋れるので、フランス滞在中はおんぶに抱っこ🇫🇷
・ストラスブールのクリスマスマーケットに感動しつつも、翌日のクリスマス当日はまさかのマーケットやレストランがほぼ閉まっている珍事(笑)
「クリスマスは、みんな家族で過ごす日だから♡」って、さすが欧米人。素晴らしい価値観だよ
・ストラスブール滞在中は、電車に乗ってドイツ国境に程近い絵本のように可愛い街コルマールへも(写真がないけど、可愛すぎるから検索してほしい!)
・アルザス地方を数日堪能した後は、お姉ちゃんの住むパリのアパルトマンにお邪魔しておんぶに抱っこの年末年始を迎えるワタクシ
(カウントダウンの時する事なくて、2人でドラえもんの映画見てたのだけ何故かめっちゃ覚えてる。笑)
・そして1人イギリスに帰り、新学期を迎える
↓懐かしすぎるカレッジの食堂
2007年1〜6月末 19歳
・ここからまたお勉強スタート!
・資格取得に向けて、イギリスの政府機関に提出するレポート/決まった数のマッサージの記録やフィードバック/小テストの結果
などを全てファイリングするために、なんか最後めっちゃ慌ただしかった気がする
・アロママッサージの施術はとにかく人数をこなさなきゃいけなかったので、寮にいる人たちの体を手当たり次第揉みしだく毎日(笑)
・結果、6月の中旬に学部を卒業する時には
→ホリスティックセラピー
→スウェディッシュセラピー
→英国式リフレクソロジー
→インディアンヘッドマッサージ
の公的セラピスト資格をゲット!
・その他にも資格の発行はなかったけど、カリキュラムとしてはリンパドレナージュ/ホットストーンマッサージ/ストーンセラピー/レイキ/タイ古式マッサージなどとやりました。モリモリ
・あ、途中でお金がなさすぎてセキュリティー万全&校舎が目の前だった寮から、帰国しちゃう友達がお世話になってたホストファミリーを紹介してもらい、引っ越したりもした!今思うといい思い出です♡
・帰国前には、節約して貯めていたお小遣いで、念願のオーラソーマのセッションを受けにバスに乗り継いで近くの街へも!
有名な先生がいて、メールで問い合わせてアポを取っていたんです(この時から、行動力ぶっ壊れてる🤣)
・その先生に「あなたは人のために働く事で魂が輝くし、そういうお役目の人ね」
「たくさんの人を癒して笑顔にしてあげて」
って言われた事が、ずっと私の心の中で温かく残ってるんだよね(♡´◡`♡)
・帰国直前のラストロンドンでは「絶対に今がTOEICの点数1番取れる!」と思って、ロンドン会場でTOEIC受講→狙い通り自分の中で過去最高得点ゲット😏w
・それと!留学中、週末引きこもっていた自室では帰国したらとにかく早く稼ぎたかったので、実家から通える範囲のアロマサロンに、帰国直後に面談してもらえるよう、5社ほどアポも完璧にとっていた私…
計画性の高さは昔から
2007年7月1日 19歳 帰国
そして忘れもしない7月1日に帰国したんだけど、ここまで読んでもしかしたら
「留学したり、旅行も行けてる中でやたら"お金がない"ってワードが出てくるんじゃない?」
って思う方もいたかもしれません
そう、理解のある両親のおかげで留学はさせてもらっていたけど、我が家はThe中流家庭。
基本的に「自立」がテーマのような家だったこともあり、そもそもお姉ちゃんは高校を出てから→働いてお金を貯めて→自分のお金でパリ留学をしていて
その一方で私は明確に「やりたい事」があったので、お願いをして高校を卒業後にすぐ留学させてもらい→働きながらお金を返す
と言う約束をして、無理くり両親に資金を作ってもらっていたんです🥺感謝しかない。
そうなった時に、余裕のある仕送りはしてもらえない。でも周りを見ると留学をしている子達なんてお金持ちの家の子ばかり
お休みのたびにロンドンへお買い物に行ったり、近隣のヨーロッパ諸国に旅行へ行ったり、他の学部に進学して留学期間を延長したりと、なんでもやりたいように過ごせていたけど、私はそれが出来なかったんですよね。
その時にお金を持っている人は、人生の選択肢が増えると言うことを目の当たりにしたのも、
私の中で「絶対に稼げる人間になる!!」と10代の頃から決めていた要因の一つになるのかな(๑′ᴗ‵๑)♡
さ!ってことで昨日以上の長さになりましたが(笑)ここまでが私の留学ストーリー!
次回はいよいよ、社会人になってからの山あり谷あり人生を公開していきますね
あなたにも今まで以上に、中島萌未が丸裸になって伝わっていれば本望です
ではでは♡今日もブログをお読みいただき、
ありがとうございました♡
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