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艶がについていろいろ。
基本、翔太くん推しです。

酔うております。

酔わんと日記が書けへんのか) イヤイヤイヤイヤ


昨日、また気重業務がひとつ終わりまして、終了まで残すところあと9回となりましたーイエアードンドンパフパフー!

※一部古い表記がありますがお見逃しくださいませ



ツイッターでもチラリとつぶやいたとおり、昨日の気重業務はまさかの誉 め 殺 しで(笑。死語?)、この業務を十数年間続けてきているけど、ここまでわかりやすく、目に見えて誉められたのは初めてちゃうか…、ちゅう状況に、身の置き所がなかった(笑)。
誉められなれてへんからね。
ほんで、これが最後やなとか思ってるのが伝わってる(笑)? とか、後々思った。


あと9回、あと2か月。
振り返っても、ロクな思い出なんて何一つなかったこの気重業務やけど、今年度一緒にやらせていただいた数人の方々には、ほんまに感謝してるし、影に日向にほんまに支えていただいたと思う。

今回一緒にさせていただいた皆様方は大好きやし、尊敬もしているし、できればこのまま続けていければいいなと思う程度にはほだされてしまっているけれど(せえへんけどな)、四面楚歌のこの状況下で、実動を一緒にする方々のことをここまで
「素敵な人たちやなあ」
と、思えるのは、ほんまに素晴らしいことやったんやなとしみじみ思った。


私は先方のことが好きやし、たぶん、先方も、私のことが「大好き」ではなくても、「不快」では、ないと思うねん。
それで、充分ですやん。
(私にとっての)この逆風の中、私に対してそういう関係を作ってくれはった先方に感謝すると同時に、そういう対応をもらえる私自身のパーソナリティも、たしょうは、誇ってもいいのかもと甘えることにした。

私が、相手のことを好きだと思い、相手のことを信頼しない限りは相手もそうやって返してはくれないんやもんね。
好きやから好きになる、ではなく、とにかく好きになれる。

誰かと一緒に何かをするとき、私は減点評価ではなく加点評価をするし、とにかく「いいところ探し」がうまい。
そうやって緩やかな関係を築けるのは、もしかしたら結構な財産なのかもしれないな。
自分が持っているものって、案外、気づかないもんやもんね。

人を好きになるという前提で誰かと接するというのは、相手にとっても気持ちのいいもんなんじゃないのかな。
好意を持ってくれる相手を嫌うのって、大方の人にとっては、難しいことやろ。
損得よりも好きが先に立つ考え方も、悪くないのかもしれへん。

そんなことを、ふと、金曜は思いました。


と、いうのも、今回私が気重業務で心身ともにズタズタになっているのは、いうたら派閥問題で、元々私を好ましく思っていなかった(らしい)派閥から
「ここまで、やる!?」
ちゅうぐらいの、バッシングを受けたからでした。

前述の通り、私は自分でも「人がいい」ほうやと思うし、そんなに戦闘的でもないと思っているので、そない敵も作らんやろう、と、思っているのにこのバッシング。
なんでやねんなんでやねんと被害者面をするにはややトウが立っておりまして…(笑)。

私自身「何もやっていない」つもりでも、わりと(ちゅうかかなり)感情が顔にでるようやし、正直、私もむこうの派閥の人に対していい印象は持っていなかった。

いい印象を持っていない相手なので、売り言葉に買い言葉というか…。
そんなこと言うたっけ? みたいな応酬も含め、バッシングされる原因が思い当たらんわけでもなく、でも、一つのことがあれよあれよという間にすごいでかくなってしまったわけやけど、

「私がそんな言動、すると思う!?」

と、叫びたい一年でした。
こんなに豆腐メンタルの私が、そんなアグレッシブな言動ができると思う!?
仲間うちでは、「飲み会における店をユイに決めさせるな」と、言われるほどの優柔不断やで!?
人に何かをいうときも、これでええんかなあれでええんかな、メールやラインを送って返事がなかったら、丁寧に書きすぎてうざかったのかとか逆に率直に書きすぎたか絵文字の盛りが足らんかったかと、全力で無駄な思考回路を夜中じゅうループさせるような、どうしようもないような、人やねん(笑)。

いわれたことはハイというてやる。
…けど、リーダーシップをとるには、メンタルが弱すぎる、そういう自分をおおいに自覚しております。
とれるとれないではなく、メンタルが豆腐。
いっそチャンプルになってる豆腐。

(もうくずれてますやん)

閑話休題、そんな「人のよさ」だけでは物事は進まないし、ある程度は切り捨てていかなあかんねやろう。
逆風のなか、私に対して
「がんばってほしい」
と、応援してくれはる方も少なからずはいたし、できるなら、そうやって私を応援してくれる人たちの言葉をもっと聞かないとあかんかった。
悪くいう人たちの言葉なんてどうでもええねん。嫌われてる人に好かれる努力をするなら、好いてくれる人へ厚意を返すために努力をせねば。
あれえ、おかしいなあ、10代のころの私は、そういうタイプやってんけどなあ。笑

いろんなことが重なりすぎた。
なんでもそうやけど、重なりすぎた。

そうやって何かを切り捨てて、ある局面では「悪者」の立ち位置を良しとするには、「良い子」であることを課せられ続けすぎた。
優等生であることを課せられすぎてん。
それは、私が勝手にそう感じてそう振る舞っているだけなのかもしれないけど、いやいや、どうかな。
自分で作り込んだキャラは、もう、壊せないよね。

(すごいおたくさん的な表現やけど)


「こうあるべき」と、言われて、そうなろうと努力して、いつの間にかそれが足かせになっていた。
誰にとっても良い子でいる必要はなかったのかもしれへんけど、私がそういう制約を、気重業務では私自身に作ってしまったのよ。
それを打破しなければ次のステップへ進めないけれど、打破する元気はないかな、と、思えるから、もうやめようかと思う。

良い子であるっていうのは、楽かもしれない(私にとっては)。

誰にも嫌われず、誰にも好かれず、ウッスラした存在感であり続けることは、私にとっては楽かもしれない。
だけど私がそうやって楽な役どころに付くぶん、誰かが、今年の私のように、苦労して走り回ってはるんやろうけどね…。


10代のころは、敵も多く味方も多い、濃いィ毎日を過ごしておりました。
リーダーシップをガンガン取りまくり、たしょうの敵はなぎ倒す~くらいのテンションで過ごしていたのよ。
責任も取る、その分苦労だってしてやる、だってその分見える景色はスゴイやろう、ちゅう、熱い感じ(笑)?

それだけに、責任を誰かに押し付けたまま、無難に曖昧に過ごす現状は、果たしてどうなんやろうとも思わなくもない。
ほんまは、豆腐メンタルなんかじゃないのかもしれへん。
私のメンタルが豆腐のように砕け散っても、
「メンタルなんてありましたっけ?」
なんてしらっとした顔で通り過ぎるような人なのかもしれへん。

30代は、この気重業務の枷と、子育てと、伴侶のことが悪い方に重なって、悪い出目になった気がする。
それは相手が悪いのではなく、私の対応がまずかったのではないかと思うところも多いにあり、40代はいろんなことをリセットしたいと思ってはいるのだけど…。

10代のように、とにかくガンガンいこうぜではなく、ガンガンもいった、受け身にもなった、どっちもよいこともあり、悪いこともあった。
それらを踏まえて、いいバランスでこの先、私という人の舵をとれないものか。

40代は、そういうことを模索していきたいかな…。