雑談しようぜ"胎児"について / 『胎児のはなし』最相葉月 増﨑英明 | HYGGE 創作活動·読書感想

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 胎児はご存じの通り羊水のなかにプカプカ浮かんでいる。
 つまりはお母さんのお腹のなかの赤ちゃんは"水棲生物"で、出産で「おぎゃー」と泣いてから呼吸する"陸上生物"へ変化する。

 ここでクイズ。
 出産直後の新生児は"陸上生物"になりたてホヤホヤなのに、どうしてすぐ、あんな声量で泣くことができるのでしょう?

 その答えに、「胎児って、出産って、凄い仕組みが織り合わさったものなのだなあ」と思わせてくれる、手のひらサイズの真実がある。

 本書は、長崎大学の産婦人科医(2018年に名誉教授に就任)の増﨑先生と、生徒・サイショーさんとが、そんな手のひらサイズの小宇宙を山ほど、ざっくばらんに開陳する対談本だ。

胎児のはなし胎児のはなし
2,052円
Amazon

 ミシマ社の2019年1月に出たばかりの新刊です。

 私が本書を手にした経緯は、ある事柄に関連して「……えーと? 臍の緒と胎盤ってどういう過程で形成されるんだっけ……?」などと妊娠・胎児がらみの疑問が頭にもたげていたところ、ちょうどたまたまTwitterの猫の泉さん( @nekonoizumi )の新刊情報で本書を知り「これだ!」と速攻で予約して買った、というものです。


 結論から言うと、自分が知りたいことの"答え"は得られませんでした。

 しかしそれを上回る「読んで良かった」という思いがあったので当エントリーを綴っている次第であります。



 『絶対音感』や『星新一 一〇〇一話をつくった人』のライターである最相葉月さんが長崎大学医学部産婦人科教授の増﨑さんの講演に感銘を受け、それをきっかけに産まれた本書。

 「楽しくてためになる、"役に立たない"本にしましょう!」をコンセプトにしていると書かれていますが、本当に、悪い意味でも良い意味でも"教科書的"ではないです。
 お二人が出産や胎児、ここ数十年での産婦人科の進歩を話題におしゃべりしたものをそのまま文字起こししただけ、と言っても過言ではないほどの気軽さを読みながら覚えました(もちろん、きちんとした編集作業あっての出版なのですが)。

 サイショーさんが生徒、増﨑さんが先生、という構図ではありますが、増崎さんが色々冗談を混ぜてお話されるので、危うくあれよあれよと話題が別路線に乗り上げそうな場面もあります。自由。あまり「教える」という風ではありません。
 逆に、最相さんが話題をアカデミックな方向へと無理に誘導するということもありません。

 だから教科書ではないのです。
 だから当初の私のように、「特定の知識を得る」という目的意識を持って読んでも効果は薄い一方で、いつのまにか想定もしていなかった領域に連れ出してくれるのです。


 その一方で、めずらしく最相さんが、"ここは先生に食い下がったな"と私が感じたのはp171のあたり。NIPTや羊水検査といった「出生前診断」について話題がさしかかったあたりです。

《先生 - (略)だから正直、NIPTの話はしたくないんです。答えがないんです。
 最相 - やっぱりNIPTにふれざるをえないです。
 先生 - もちろん。でも、私はふれたくないといってる、非常にデリケートな問題だということだとしかいえない。(中略)一対一ならいえるけど、本の中ではね……。》
(※志田により一部の省略と表記形式を変更をしています)

 これこそ本当に引用行為そのものが"デリケート"と断るべき部分ですが、あえて引用をさせていただきました。
 ここだけ読めば増﨑先生が「逃げている」ような印象を受ける方もいらっしゃるかもしれません。しかしそうではない。
 出生前診断が是か否かとか、優生学の復活だとか、生命倫理的にどうであるとか、そういう問題ではない。これらすべてがそれぞれに重大なテーマであるけれど、そういうカテゴリーに帰することで失われてしまうことがある。
 「牛刀をもって鶏を割く」とは言いますが、ここで「鶏」とは「とるに足らないこと」の意なのでこの文脈では不適切な言葉です。ただしかし血管や神経、臓器が複雑に絡まった部位を手術するとき、それこそ牛肉を切り落とすための刃物を持ち出すことは異常で、様々な形状のメスをはじめとする細やかな医療機器をもってして手術に臨むのがありうべき姿勢かとは思います(し、そういう医者じゃなきゃ絶対に手術をお任せたくないです)。
 ところが社会問題としての「出生前診断」が語られるとき、それを牛刀どころか、剣か鈍器のように断定的な論調で語れることがありはしないでしょうか。増﨑先生が「この話題を避けたい」と感じたのはおそらくは、"国立大学医学部の名誉教授"の意見として本書の言葉の一部が一人歩きする可能性を考えてのことであったかもしれませんし、また生まれの地の長崎でずっと出産をめぐる医療や研究に携わるなかで医師としてというより人間として直に関わった人々の感情や意見を慮ってのことかもしれません。

 断言できるのは上の引用部分だけを見て想像を膨らませたりしてはいけない、ということです。

 幸いにももし関心をお持ちいただけたならば本書をお手に取られるか、または第六章「最新の技術と研究でわかったこと」をせめて立ち読みなどなさることを願います。増﨑先生と最相さんのやりとり一言一句が本筋です。「言葉にすると失われるものがある」などという類いの逃げではない、丁寧に切り出された「ひとかたまり」としてお二人のやりとりと、医療の進歩の難しさ(この言葉自体がとても粗くて申し訳ないのですが)に直面していただきたく思うのです。


 さて堅苦しくなってしまいましたが『胎児のはなし』、本当に読みやすいんです。


 お産となると主役はお母さんと子供で、父親はただあたふたするだけ、というのが相場ではないでしょうか。
 妊娠してしまえばあとは父親の出番はない。
 ………というのが実は「そんな単純じゃないよ。妊娠すると母と子だけでなく、なんと母と父のあいだで繋がりができるんだよ」という新事実も盛り込まれています。


 某作品で「ネットは広大だわ」という台詞を残した主人公がいますが、出産なる、ひとつの人体で完結しているかに思える出来事も広大で未だにわかっていないことが水面下にたくさんたくさん眠っているようです。


(志田佑)

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