『世界史における時間』(佐藤正幸、山川出版社 世界史リブレット) | HYGGE 創作活動·読書感想

HYGGE 創作活動·読書感想

私たち、創作サークル Hygge(ヒュッゲ) は
関西を拠点として、小説を中心としたに同人活動を行っています。

このブログでは、メンバー4人の創作活動の源ともいえる
読書や日々の記録を残しています。
詳細はプロフィールページをご覧ください。

 

 2009年に出たものです。

 しかし今年、そして来年に読むのにうってつけの本と断言します。

 

 ――この言葉で勘が良い方は本書の方向性を悟るでしょう。

 あるいは"平成30年、そして平成31年にうってつけ"と書けば、必ず伝わるでしょう。

 

 「世界史における時間」というタイトルはどこか大袈裟かつ曖昧ですが、つまりは"元号"についての、さらには歴史上の出来事を記録するためのものとして私たちが当然と受け入れている"西暦"についてのピリリと辛い小冊子なのです。

 

 

 来年は西暦2019年かつ平成31年かつ「○○元年」。一番肝心な○○がいまだ明かされていない現在、新元号発効まで既に半年を切ってしまいました。

 申し込み書類なんかを「昭和・平成」で通してきたところはどのような対応になるのでしょう。

 民間はこの際、先手を打って西暦に切り替えてしまえば良いのでしょうが、すべての民間企業が元号システムを捨てるわけでもなく、きっとドタバタを引き受けるのは下請けや下っ端となるのでしょう。お役所という行政機関は元号を使わなければならないことになっているので、トップに気を持たされた挙句の公務員が踊らされる狂乱はすでに確約されています。

 やはり新元号は最低でも今ぐらいには発表して欲しかったものです。

 この数年、ニュースで時折顔を出す「民法改正」など、

平成32年から施行します

などと、不存在が決定している年号の記載が、法務省のHPに記載され続ける有様です。

 

 つい長々と書いてしまいましたが、たとえ平成という元号に馴染んでいても、多くの人がどこかで思ってしまったのではないでしょうか。

 西暦でいいじゃん、と。

 新しい元号にしても「○○132年」というのは(ほぼ)絶対にあり得ない一方で、もし明日人類が滅亡しても西暦11945年は必ずやってくるのです。

 

 

 さて、本題はこれからです。

 

 「なぜ、日本だけ元号という不合理なシステムを使いつづけているのでしょう?」……?

 本書『世界史における時間』の要点のひとつは、この疑問、実は前提が間違っているという事実です。

 西暦以外の暦――正確には「紀年法」を日常として現在使っている国は、決して日本だけではありません。本書では「新聞の年月日表示」という例を使っていますが、例えば各国では西暦に加え
  • 韓国では壇君4341年(西暦2008年)
  • イスラム教の国ではヒジュラ歴の1428年(西暦2007年)
  • イスラエルでは創世紀年5767年(西暦2007年)
と併記されているそうです。私たちがTVやネット記事で
  • 2007年(平成19年)

という書き方を見ても何の違和感を抱かないのとおそらく彼らの感覚は同じです。

 

「ゆうても西欧列強が文化的に勝ったから、後進の各国が西暦を受け入れた、ってだけの話だろ?」

 

というのも実は間違い。キリスト教が幅を利かせたヨーロッパにおいても私たちが"西暦"と呼んでいる紀年法だけが存在したわけではなく、ずっと長いあいだ多様な紀年法が併存していたようです。

 フランス革命のときに制定された、共和制宣言を元年とする「共和歴」はその極端な例。


 西暦、正確には「キリスト紀年」が作られたのは6世紀中頃。

 ヨーロッパにおいて「年号は当然キリスト紀年で記すもの」となったのは、古い資料にあたると意外や意外ここ100年前から200年前あたりであったようです

 

 なおかつ他の紀年法にはなく、キリスト紀年・"西暦"にしかない決定的な概念が「紀元前」

 この話だけ突きつけられるとぽかんとしてしまいますが、よくよく考えるとこの概念がいかに生まれがたいものなのか。本書でのその説明が本当に意表をつかれる。

 

 極めつけは、キリスト紀年が「2018年」といったふうに算用数字で記される点

 これも「だから?」、と思ってしまいそうですが過去を紐解けばさにあらず。

 そもそもヨーロッパ地域で使われていた数字は「MMXVIII」といった"ローマ数字"(一応コレで2018のハズ)。複雑です。これを打破したのが算用数字。

 また「2018」という方式はアラブ方面からヨーロッパに輸入されたため"アラビア数字"と呼ばれますが元々のアラブでは"インド文字"と呼ばれる。算用数字に含まれる「0」がインド発祥なのが有名な通り、根元を正せばヨーロッパ発祥と思われた"西暦"の重大なパーツがユーラシア大陸のはるか東の生まれなのです。


 本書の終盤で、著者の体験として「歴史学者のなかでも"西暦以外に公平な年代表記法はないのか"という議論が必ず問題になる」と記されています。

 それに対する、著者が用意している答えがとても素晴らしいです。

 本冊子の要旨を簡潔にまとめてもおり、それでいてその真意を理解するためには「歴史を記述するときの暗黙の決まりごと」を知っていなければならない。

 この後者を半日で読めてしまう冊子の形としたのがこの『世界史における時間』です。



 著者曰く、世界史が一番苦手な科目であったという。年号を覚えなくてはならないのが苦痛でならなかった、と。

 しかし後に、その覚えなくてはならない年号が誰かの作業によって一つひとつ西暦ーーキリスト紀年に当てはめられたものであると強く意識するに至る。


 キリスト紀年が世界史の基軸紀年と成りえた理論的根拠はなにか。

 本冊子はこの根元的な疑問の結実です。



 2009年に発行された本書ですが、私が購入したまのでは今年2018年に第4刷が発行されたばかりのようです。

 山川の世界史リブレットが増刷される頻度は知りませんし、自分は史学に詳しいわけではないのですが、「歴史(特に世界史)に興味はあるけど、苦手意識がある」という方には絶対オススメできる一冊です。すぐ読めちゃいます。


(志田佑)