2024.5.3

旅行8日目 No.1 マクロードガンジ

 

 

5泊したダラムサラも今日が最終日になってしまった。

もっとここでの滞在を短くして、まだ行ったことがない街に寄ってからデリーに戻ろうかと思っていたけど、結局最後まで動かなかった。

 

 

それでも足りない!本当に居心地がいいし、まだまだ居られる。

今回で6回目だったダラムサラ。15年振りで随分変わってしまってはいたけど、やっぱり好きな場所だ。

ここは近いうちにまた来るだろうな。チベット料理もスイーツも食べ足りないし!

 

 

 

「日本人は部屋をきれいに使ってくれるから助かる」って印象を残せるように、

ゴミや床に落ちた髪の毛をきれいに掃除してから、9時半頃チェックアウト。

 
出発は夜だから、バックパックは預かってもらおう。
この前誰かのスーツケースがレセプションに置いてあったけど、ここの宿は飼い犬がいつもウロウロしていて、この前💩も落ちてたから嫌だなぁ・・・
 
 
って思っていたら、宿のお姉さんがレセプションの裏のドアを開けて別の部屋に置かせてくれるって飛び出すハート
 
 
よかったひらめきと思ったら、くっさ!!ネガティブすんごいカビ臭!!何部屋なのこれ?
私のバックパックがカビ臭くなりませんように魂
 
 
昨夜チョウメンを食べたツァンパカフェで朝ご飯にしよう。
 
今日は、軽くチャイ(30ルピー=約57円)とクロワッサン(80ルピー=約152円)で。
 
クロワッサンって言ったって、どうせ形だけクロワッサンの身の詰まったかったいパンでしょ?って思ったら、ちゃんとサクサクで驚いた!進化してる!
 
 
食べている時、Penpaから早朝に写真とメッセージが届いていたことに気が付いた。
 
 
『Good morning. Have a nice day.』
 
これから待ち合わせしてるのに『Have a nice day.』って、『やっぱり今日行かないわ。』ってことかなと思ってちょっと期待したら、(彼が嫌なのではなくて、誰かと行くことで自由な行動を制限されるのが嫌。)

 

 

『Good morning.』と返すと、

 

『メインスクエアに向かってる?』と。

 

『今ツァンパカフェでチャイ飲んでる。もう着いてるの?』

 

『今向かってる。あと5分で着くよ。』

 

『オッケー。10時に行くね。』
 
 
ツァンパカフェから待ち合わせのメインスクエアまでは徒歩数十秒。
この前新聞を買った、古い建物の前で待とう。
 
そう言えば、今朝片付けていた時に買った新聞を開いたらこんな記事が驚き
インドは転落事故が結構あるんだよね。今夜バスに乗るのに嫌だな〜。
 
10時ちょうどにPenpaがやってきた。 
メインスクエアから少し道路を下ったところからこのシェアタクシーに乗る。
 
ロワーダラムサラまでは一人20ルピー(約38円)。
このドライバーの隣の席には、本来三人詰め込むんだって!無茶でしょ煽り
嫌だから、「三人分払う」と告げて二人だけで座る。
 
「今日はあなたは私のガイドだから、私が全部払うからお金のことは気にしないでね。」と伝えた。
 
 
ロワーダラムサラのバススタンド前に到着。
そこから少し歩いて、今夜バスが出発する場所を教えてくれた。
 
ほぅ~こんなショッピングモールが出来ているのねびっくりバスの待ち時間に便利だね。
 
そこからバスを捕まえて乗車。
Gyuto Monasteryまでは一人15ルピー=約28円
 
バスの中で色々な話を聞いた。
亡命チベット人はパスポートの代わりに、インド政府が発行するこういった黄色い身分証明書を持つことで、海外にも行けないことはないんだそう。
 
ただし、実際は手続きがものすごくややこしくて、そう簡単に行けるわけではないらしい。
 
調べたところ、黄色い身分証明書では、
 
右差しインド国民がノービザで渡航出来る国にもノービザでは行けない。
 
右差し海外に渡航する際には観光目的ではまず発給されず、学術的・宗教的・公的な目的でのビザ発給のみが可能となる。
右矢印それでもビザ発給のための提出書類が多く、訪問先からのインビ テーション・レターなどが必要。
右矢印チベット難民の中でも身元が明確で、かつ身元を確認してくれる渡航先の機関や個人がある者のみが海外へ渡航することが可能。
 
 
と言うことになる。
 
 
「インドのパスポートを取ることは出来ないの?」と聞くと、
 
 
「出来る。出来るけど、この黄色い証明書がチベタンであり亡命者である証明だから、インドのパスポートは取りたくない。」
 
 
3歳のころチベットから亡命して、30年インドで暮らして来た彼。
 
 
「Do you like India?」と聞くと、
 
 
「Yes!! I like India. But this is not my country.」
 
 
そりゃそうだ。
 
 
チベット人とインドパスポートについても、少し調べてみた。
インドでは難民法が制定されておらず、チベット人の法的地位は外国人法で定められた『外国人』になる。
政府関係の仕事に就くことは出来ず、選挙権もない。
 
 
2017年3月から、
 
 『1950年1月26日以降1987年7月1日以前にインドで生まれたチベット人は、1955年に制定されたインド市民権法に従い、生まれながらにしてインド市民であるため、インドのパスポートを発給することが出来る』
 
 
と言うことになったらしいけど、実際は様々な妨害もあり、手続きはスムーズには行かないそう。
 
 
また、チベット人がインドのパスポートを取得した場合、
 
右差しいかなるチベット難民居住区にも住むことが出来なくなる右矢印住み慣れた場所から離れなければいけない。
 
右差しCTA(中央チベット自治政府)による補助金や外国の奨学金など、チベット難民としての特権を一切受けることが出来なくなる右矢印経済的に今より不安定になる可能性がある。
 
 
と言うデメリットもあるため、
インドパスポートを取得したものの返還して、再び黄色い身分証明書に切り替えるチベタンもいて、インド政府もこれを認めている。
 
 
中には、インドの市民権を取得することが、ダライ・ラマ法王への直接的な侮辱であると感じるチベタンもいるそう。
 
 
 
「ところで、お兄さんは今どこに住んでるの?」
 
 
12歳の時に、3歳だった彼をおんぶして雪のヒマラヤを徒歩で亡命して来たお兄さんのことを聞いてみた。
 
 
「チベットに居るよ。」
 
 
えっ??チベット??びっくりだって、一緒にチベットからインドに来たんでしょ?」
 
 
「そうだよ。でも兄は両親が恋しくて仕方なくて、1か月でチベットに帰っちゃったんだ。」
 
 
「ええええええ???あなたを置いて?」
 
 
「そうだよ。」
 
 
てっきりお兄さんはインドに居るものだと思っていたから、びっくりしてしまった。
じゃあ3歳から本当にずっと一人だったんだ。
 
 
「寂しくなかった?」
 
 
「全然!!だって周りには同じような境遇の子供たちがたくさんいたからね。食べるものも住むところも問題なかったし、学校にも行けた。」
 
 
彼は何らかの団体を通じて、ドイツ人ファミリーのサポートを受けていたそう。
 
 
チベットから亡命するには、まずネパールまで逃れて難民登録をして、その後インドに渡って来る。
お兄さんがどうやってチベットに戻ったのか聞くと、ネパールからチベットに戻る分には中国警察に賄賂を払えばこっそり入れてくれるそう。(1991年当時の話)
ちなみに、お兄さんとはどうやって繋がれたのかは不明だけど、数年前まではビデオ通話で話すことも出来たけど、今は出来ないとか。
 
 
「亡命して来る時、兄はいつも自分の空腹を我慢して、ツァンパを水で混ぜて僕に食べさせてくれたって話を聞いて、
兄に本当に感謝しているんだ。」
 
 
いつかまた、お兄さんや他の家族に会うことは出来るんだろうか?
 
 
チベットで生まれた亡命者に関しては、手続きをすれば(これまた出生証明書など様々な書類が必要)中国政府からの許可を得てチベットに戻ることも出来るそう。
 
 
ダライ・ラマの居るインドに来てみたものの、実際の生活は想像していたものとはかけ離れていて苦労も多く、チベットに戻る人もいるんだって。
 
 
お寺に到着するまでの間に彼から色々な話を聞くことが出来て、既に「一緒に来てもらってよかったな~。」と思っていた。
 
上差しあんなに『一人で行けるし。自由気ままに動きたいのに。』って思ってたくせに真顔すみませんお願いアセアセ
 
 
Gyuto Tantric Monasteryに到着!

 

続く。

体調不良で昨日はブログが書けず。コメントの返信が遅くなっていてごめんなさいアセアセ

 

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