2023.11.22
旅行5日目 No.2 フォートコーチン
マッタンチェリーパレスを出て、Jew Town(ユダヤ人街)に向かおう。
23年前に来た時は、このエリアは完全にスルーしていたから、行くのは初めて。
ユダヤ人墓地があった。中は立ち入り禁止。
インドにおける最初のユダヤ人は、紀元前1世紀にソロモン王の船に乗ってやってきたと考えられている。
定住した彼らは、そのまま「コーチン・ユダヤ人(Cochin Jews)」と呼ばれるようになった。
定住した彼らは、そのまま「コーチン・ユダヤ人(Cochin Jews)」と呼ばれるようになった。
16世紀にヨーロッパからケララにやってきたのは、
主にスペイン・ポルトガル出身の"白ユダヤ人 "と呼ばれることもある別のグループで、「パラデシ・ユダヤ人」と呼ばれる。
19世紀には「バグダディ・ユダヤ人」と呼ばれるアラビア語を話すユダヤ人も移住し、パラデシコミュニティーに加わった。
第二次世界大戦時の迫害から逃れるためにインドにやってきたユダヤ人もいたし、
「ユダヤ人」と言っても、色々な人種や歴史的背景があるんだね。
インド国内のユダヤ人は1940年代には50,000人に達した。
イスラエルの建国後はイスラエル、アメリカ、オーストラリアなどに次々に移民し、現在は5000人ほど。
このユダヤ人街には、1950年のピーク時には2~3000人の活気のあるコミュニティーが存在していたけど、
現在はもう数人しか残っていないそう。
JEW TOWN ROADに出た。ここから右に曲がってみよう~。
SHALOMはヘブライ語で「平和」と言う意味で、こんにちはなどの挨拶にも使われる。
『Sarah Cohen Home』
Sarah Cohenは、ユダヤ教の伝統を守ることに献身してきた最年長のユダヤ人女性で、2019年に96歳で亡くなった。
彼女の家は、その後ミュージアム兼お店になっている。
中には彼女の写真や、沢山の刺繍(村の女性たちに刺繍を教えて生計を立てることを教えたと言っていた。)や、
キッパ(ユダヤ人の男性が被る帽子)、私物、お祈りに使う道具などが展示されていた。
ユダヤ教徒が使う燭台(メノーラ)。ハヌーカ用のもの(左)は本数が多く、ハヌッキーヤと呼ぶそう。
生前の暮らしが見えるような場所だった。
日本人の中高年の団体ツアー客がやってきて、一人のおばさんが私に「こんにちは」と挨拶をしてくれたんだけど、
「一人で旅行されてるんですか?」びっくりしていた。
去年訪れたコルカタのシナゴーグに比べたらずっと規模が小さかったけど、観光客の数は断然こっちが多い。
コルカタにも全盛期には6000人のユダヤ人が居たけど、コーチンと同じくイスラエル建国後に次々にインドを離れ、
現在残っているのは22人で、シナゴーグをイスラム教徒が管理していると聞いて驚いた。
シナゴーグで礼拝を執り行うのに必要な成人男性の数(10人)が足りないから礼拝が出来ない、と書いてあったけど、
このコーチンのシナゴーグも同じ状況だそう。
2018年のパラデシシナゴーグ450周年記念には、イスラエル、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスなどから
150人ものユダヤ人が集まって、お祝いをしたんだって。
入り口には小さな博物館があって、ユダヤ人がインドにやってきた時のことが説明されていた。
さーて、シナゴーグを出た後はこの辺りをブラブラしようかな。
あ、さっき声を掛けてきたカシミールのお土産物屋さんだ。
「ハロージャパニ!!ちょっと見ていかない?」
「う~~~ん。カシミールショップでしょ?買うものないし。」
「話するだけ。買わなくていいよ。ほら、うちHASSLE FREEって書いてあるでしょ」と指を差す方向を見ると、
ほんとだ!書いてある!ほんとかな〜?
にほんブログ村のランキングにポチッとお願いします
いつもありがとうございます!!