2003年にインドのマンドゥと言う田舎町に行った時の話です。

当時私は27歳で、東南アジア~インド~ネパールの9カ月の旅の途中。

 

 

当時の日記とフィルム写真を久し振りに引っ張り出して来たよ。

写真はスキャンしたものでかなり画質が悪いし枚数が少ないけど、雰囲気は伝わるかなアセアセ

 

 

マンドゥはこの辺り。

インドールまで列車で行って、そこからはローカルバスを乗り継いで行った。

 

マンドゥにはいくつかの素晴らしい遺跡があって、とっても雰囲気がいい町。

今は知らないけど当時は全然観光地化されていなくて、

遺跡も整備されないまますごく自然な形で点在していて、それがすっごく素敵だった。

 

会う人会う人、特に子供が「ハロー!バイバイ~!」って

みーんな笑顔で手を振ってくれて、本当にかわいかった。

 

 

遺跡の中で家来(列車で知り合った上智の学生Sくん)と撮った写真爆笑

当時は王様の椅子かと思って王様気分で座ったけど、

多分ここはモスクで、イマーム(導師)がお話をする説教壇かな?

 

めちゃくちゃ好みの町だったキラキラ

 

行くのが結構めんどくさい田舎町のマンドゥに何故行こうと思ったのかと言うと、

そこではバオバブが見られる、ってガイドブックに書いてあったから!

 

 

昔アフリカから誰かが種を持ち帰ったと言う説もあるみたいだけど、

何故ここにバオバブがあるのかはよくわかっていないみたい。

 

 

細めだけどこれもバオバブの一種なのかな?

 

町のあちこちで見られた。

 

 

バオバブの実を売っているおばちゃんが居たから買って食べてみた。

水分ゼロでラムネのような物が入っていて、噛んだ瞬間だけフルーツっぽい香りがするけど

後は酸っぱいだけで美味しくなかった。

 

燃料になる牛の糞を素手で捏ねていた女の子。

みんな素手でやってるけど、その後臭いはちゃんと取れるのかな?

 

民家のある辺りを歩いていると実の付いたバオバブの木があって、

珍しくて見ているとその家の人が出て来て、実を割って食べさせてくれた。

 

彼らは英語は一言も話せなかったけど、一生懸命ずーーーーっと現地の言葉で

私達がわからないのも構わず喋り続けて来た。

 

 

そのうちママが何か言いながら私の手を引いて家の中へ連れて行ってくれた。

家の中にはニワトリやひよこも一緒に暮らしていた。

 

何度か繰り返していた「パイサナヒーン(お金ない)」だけはわかって、

お金がないからくれって言ってるのかなぁ?と思ったけど、よくわからなかった。

 

 

手の上で餌を食べるひよこたち。私の足の日焼けがやっばい爆笑

 

家の壁は藁と土で固められているようで、床も土だった。

天井からは色々な穀物が入った袋が吊るされていて、ママがその中から

チャナ豆(ひよこ豆)を取り出して、私達の為に煎って食べさせてくれた。

なかなか美味しい。

 

床に一カ所穴が開いている所があって、「何?」と聞くと、

太い木の棒を持って来て実演してくれて、

どうやらお米を脱穀するのに使うようだとわかった。

 

 

本当にずっとずっと喋りかけて来たけど、全くわからなかったアセアセ

でもずっとニコニコ笑顔でソフトなママはとても感じがよくて、

言葉はわからなくても温かい人柄が伝わって来た。

 

 

本当に貧しそうな家族で、子供たちもボロ雑巾のような服を着ていた。

 

外には土で出来た大きな瓶があって、中を見せてくれると、

トウモロコシとレンズ豆がいっぱい入っていた。

 

 

一緒に行った日本人の男の子二人と相談して、

家を見せてくれたお礼に50ルピー(当時のレートで125円くらい。

マンドゥではお代わり自由のターリーが当時は15ルピーで食べられた)をあげることにした。

 

 

その家族にとっては大きなお金だったみたいで、

ママは私たちの足に手で触れて(リスペクトを表す)感謝してくれた。

 

 

帰り際に、ママは家の中から泥だらけの汚いビニール袋を探し出して来ると、

それをわざわざ貯め置きの水で一生懸命洗ってくれて、中に煎ったひよこ豆を入れて持たせてくれた。

ちょっとそれは食べられないなと思ったけど、気持ちが嬉しくてじーんとなった。

 

その後町で洋服屋さんを見かけて、

あの二人の子供たちに新しい服を買ってあげたいなと思って

買って持って行くことにした。

 

 

男の子たちと一緒に家に戻ると、お兄ちゃん以外は出掛けていた。

持っていった服のサイズやデザインが彼には合わないと思って、

私だけお店に戻って服を選び直してまた戻ってくると、



男の子二人は近所の人にバオバブから出来たお酒のようなものをふるまわれていた。

私も一口もらったけど、まっずいネガティブ

 

 

暫く待ってもパパとママは帰って来なかったから、お兄ちゃんに新しい服を着せてあげると

恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはにかんでいた。

妹のワンピースは預けて帰って来た。

あのきれいなワンピースを着た時にどんな顔をするのか見たかったなぁ。



パパとママも喜んでくれたかな?

いつもお金をくれることを期待してああやって外国人を招き入れているのかもしれないけど、

家の中も見せてもらえたし、心がほっこり照れしたから別にそれでもいいや。

 

 

夕方にはみんなでグランドキャニオンと呼んでいた場所でサンセットを眺め、

夜は停電の中、宿の外に出て満点の星を眺めた。

 

 

マンドゥ、いいところだったな。



日記に書いてあったんだけど、私は当時男の子たちに「いつもお腹空いたばっかり言ってる」って言われたり、

「大食い大会に出られる」と言われるくらい大食いだったみたい。



マンドゥで通った食堂では、ターリー(カレー定食)のお代わりが自由だったんだけど、

日記には「今日は4回もお代わりしちゃった。でも足りない。」って書いてあってビックリポーン



そんなに食べても当時は全然太らなかったのが不思議だね〜。

今行ったらどれくらい食べられるんだろう???



マンドゥの色々な遺跡に興味がある方はこちら指差し

 

マンドゥの後は、ローカルバスで3時間弱のマヘーシュワルと言う町へ行った。

ここにはバラナシのようなガートがあるけど、バラナシよりずっと人が少なく、

ゴミも少なく、水もずっときれい。

ガンジス河ではなくてナルマダ川と言う川らしい。

 

彫刻もとても美しかったキラキラ

 

マヘーシュワルの見どころはこちらから指差し


このマンドゥとマヘーシュワルはPADMANの映画の撮影にも使われた町。

 

この映画については二年前に書いてた。


この辺りは是非是非またいつか訪れたい場所!!

おススメでーす。

  

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