昨日の朝、夫を仕事に送り出した直後に
出ました!!!
ヤツが、ヤツが出ました!!
この前ゴキ特集なんて書いたから呼んじゃったのかな
わーきゃー言いながら殺虫剤をかけて殺したのはいいけど、処理出来ない
2時間放置。
でも、夫が帰ってくる夜まで放置するのもイヤだし、自分で頑張ってみることにしましたよ。
マンションのごみ拾い用の長いトングを
借りてきて、
ゴキにトイレットペーパーを被せ、好きな音楽を聴いて気持ちを紛らわせながら、
「大丈夫!出来る!出来るよ!!」
って大きな声で自分に言い聞かせて、
トングで掴んだ瞬間、ゾゾゾッとして、
「うああああああ!!」
って叫びながらも無事トイレにポトン。
ジャーッ。バイバーイ
生まれて初めて出来た〜!!
次出ても頑張れる気がする!!
では、昨日より更に強くなった私の20年前の日記の続きをどうぞ
2000年、私が24歳になる年、インドに入って4ヶ月目のことです。
翌朝起きると、薬が効いたのか35.5℃まで下がっていた。
YMCAで朝食(チャイ、目玉焼き、トースト)を食べ、12時にチェックアウトした。
私は念の為シムラーにもう一泊するつもりだったけど、Sくんは今夜のバスでマナリに向かうことになっていたから、
一人で330RSの高い部屋を使うわけには行かないと、もっと安い宿を探すことにしたのだ。
ところが、歩き始めるとまたすぐにしんどくなってきてしまい、もう一歩も歩けなくなってしまった。
その場にしゃがみこんでしまった私に
Sくんは、
「オレが探して来てあげる。」
と言って、あちこちの宿に値段を聞いて
回ってくれた。
待っている間にもどんどん熱が上がって
来ているのがわかる。
結局YMCAより安い宿はなく、また戻ってシングルルーム200RS(500円)に泊まることにした。
Sくんはバスの出発時間まで何度か様子を見に来てくれて、
ライチとバナナとチェリーも買って来てくれた。優しいありがとう。
果物を食べ、薬を飲んで寝てたけど、
ピーク時は39.7℃まで熱が上がり死んじゃうんじゃないかと不安になった。
とにかく今は寝るしか無い!
眠って汗びっしょりになって着替えて、
また眠って汗びっしょりになって着替えてを繰り返すと、少し熱が下がった。
18時になり、Sくんの出発の時間になってしまった
私もダラムサラの後マナリに行く予定にしていたから、
「じゃあまたマナリで会えるね。」
とお互いのアドレスも交換しないまま、Sくんはマナリに去って行った。
翌朝起きると、早速39.2℃。
そんな熱があっても食欲はあってYMCAの朝食をペロリと食べた。
熱は38~39.5℃を行ったり来たり。
う~ん、これはただの風邪じゃないな。
ハッ。まさかマラリア??
だったら死ぬ可能性だってある。
すぐ病院に行こう!!!
と、すぐに宿の人に場所を聞き、小さなクリニックで血液検査をしてもらった。
「熱はどれくらいありますか?」
と言われて、
「38~39℃です。」
と言うと、お医者さんは昔ながらの水銀の体温計でもう一度熱を測るように言い、
「ワンハンドレッド」
と言った。
えっ?100℃?????
そうか、インドでは摂氏じゃなくて華氏を使うんだ!(気温には摂氏、体温には華氏を使うんだって。)
一時間後に血液検査の結果を聞きに行くと、マラリアではないとのこと。
よかった〜〜〜!!!
「でもまだ可能性はゼロではないから、マラリア用の薬も出しておきます。
もしこれを飲んでも熱が下がらなかったら、腸チフスの可能性があります。」
ちょ、腸チフス!!???
地球の歩き方に載ってたやつ?まじかー
帰りに買って来たチキンバーガー15RS(37円)とチェリーで昼食を済ませ、横になった。
もう誰も助けてくれる人はいない。
しんどい。しんどい。しんどい。
思い浮かんで来るのは母の顔。
母を思い出したら泣けて来て、ブランケットを被ってワンワン泣いてしまった。一人、心細い。怖い。
おかあさーん!!
ここで死んじゃったらごめーん
反対を押し切ってインドに来ちゃってごめーん
ムスーリーの宿の人は気にかけてくれて何度も様子を見に来てくれたけど、
YMCAの人たちは冷たくて、関心があるのは、「今日チェックアウトするのかしないのか」だけ。
夕方少し熱が下がり、海外旅行保険の事で両親にFAXを送ろうと思い出掛けた。
フラフラしながら歩いてたら、雨に濡れた階段でツルンと滑って、ダダダーッと数段落ちてしまった。
イテテテテテ
周りのインド人は誰一人声を掛けてくれない。恥ずかしい・・・
FAXのお店に行くと、店員は時間を掛けてああでもないこうでもないとFAXを送ろうとしてたけど、結局送れなかった。
送れなかったのに66RSを請求されるわ、階段から落ちるわ、しんどいわで、もう何もかも最悪で頭に来てしまった。
「何で送れなかったのに66RS払わなきゃいけないのよ!!」
って大声で喧嘩してたら、どんどん人が集まって来てしまった。
結局いくら交渉してもダメで、納得の行かないまま66RSを払い、プリプリしながら帰って来た。
金額の問題じゃない。
サービスを提供出来なかったのにお金を取ることに納得がいかないのだ。
それは日本の感覚なの??
当時のインドは、まだ田舎の方ではネット屋さんに入っても回線が遅すぎて、
30分かけてもメールの受信トレイすら開かなくて諦めて帰る、なんてこともあった。
それでもしっかり30分分の料金を取られるものだから、嫌んなっちゃう
久々にマーーーーーーージギレ。
でも体調不良で欝々としていた気分が、
ドッカーンと怒ったことでなんだか少しスカッとした。
メールをしに行くと、アキラさんとドラからダラムサラで待ってるよ、とメールが来ていた。
あぁ、早く二人の所へ行きたい。
クリニックで貰った薬は恐ろしいほど効いている。さすがインドの薬!!
続く。
結局私はマナリには行けず、Sくんに再び会うことは出来なかった。
お礼もちゃんと出来ず、とても心残り
ちゃんと連絡先を聞いておけばよかった。
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