2006年のある日、カルカッタから一枚のハガキが届いた。
 


“Wish you Merry Christmas & Happy New Year”って書いてある。今は7月。


差出人は、インド人の女性。
マザーテレサの作ったシシュバヴァン(子供の家)という孤児院で働いている。



彼女に出会ったのは、2003年のこと。
インド人にしては色白で少しふくよかな彼女はとってもかわいい女性だった。

 

 

当時英語があまり話せなかった彼女は、
外国人ボランティアとの意思の疎通が上手くいかないことにイライラし、一日中眉間にシワをよせていた。


指示が上手くボランティアに伝わらないと「もうっ!!フンッ!!」と露骨に苛立ちを表すから、


ボランティアたちから「あの人怖い。感じ悪い。」と言われ、恐れられてた。



私はそれでも彼女と仲良くなりたいなと思った。

悪い人には見えなかったから。


インド人ワーカーたちはボランティアのことを「アンティー」って呼ぶ。


「アンティー、オムツ替えて!!」


「アンティー、洗濯して!!」


「アンティー、この子にご飯あげて!!」


私は彼女に「アンティー!!」って呼ばれる度に


「私はアンティーじゃなくて、ソ・ノ・コよ。」


って明るく言い続けた。


初めは眉間にシワをよせ「何言ってるの、このアンティーは」って感じだった彼女も


何度か繰り返すうちに、

「アンティ・・・オー、ソノコー。」と名前で呼んでくれるようになった。


私も片言のベンガル語で話し掛けたり、冗談を言ったりして、彼女と次第に打ち解けてきた。

 

 

「外国人の友達は居る?」

 

「ノーーーーー。」

 

「じゃあ私が初めての外国人の友達だね。」

 

と言うと、パッと顔を輝かせて

 

「オー、サンキュー!!」

 

と嬉しそうにしていた。


そのうちすっかり仲良くなって、彼女は知っている英単語と身振り手振りを使って、自分のことも話してくれるようになった。

 


帝王切開で産んだ赤ちゃんは死産。旦那は他の女を作って逃げてしまった。

時々「今日はお腹の傷が痛むの。」と言っていた。

 

 

両親もすでに他界しているため、彼女には誰も頼れる人がいなかった。

 


彼女は家から通ってくるインド人ワーカーたち(マーシー)とは違って、
この孤児院に住み、ご飯も与えられる代わりに月1000Rs(2500円)の安い給料で働いていた。


彼女の他にも何人か同じような女性が居た。

行き場のない妊婦さんも受け入れて居るようだった。



孤児院にはテレビも、本も、何もないという。


「毎日仕事が終わったら何してるの?」

 

 

と聞くと、

 


「何もすることがないから、屋上に座って何時間も空を見上げてるの。仕事の後は退屈で退屈で退屈で仕方ないわ。」

 

 

と言う。


「本を読むのは好き?」

 

 

「好きよ。でも誰が私に本をくれるのよ!!!????」

 

 

「私があげるよ!」
 

 

と、英語を勉強したいと言う彼女に英語の文法書やハリーポッターやアガサクリスティなどの小説、

ベンガル語の小説を何冊かプレゼントした。

 

 

時々チョコレートなど甘いものもこっそり持っていった。

 

 

シスターに見つかったらまずいらしく、いつも陰に隠れてこっそりと渡した。

 


「今度一緒に映画でも見に行こうよ。」

 

 

と誘うと、とんでもないと言う顔をして、

 

 

「そんなことしたらシスターに追い出されちゃう。」

 

と言っていた。

 


外出するにもシスターに外出届を提出しなければいけないし、自由がないと言っていた。


「私ここを追い出されたらどこにも行くところがない。不安で毎晩眠れないの。将来が不安で仕方がない。」


私と同じ26歳の彼女がこんなにも違う境遇にいることがショックだった。

私は何て自由で恵まれているんだろう。


その年はボランティアは2カ月だけだったけど、彼女のお蔭もあってすごく充実した日々だった。

 

 

私がカルカッタを出る日が近付くと、

 

 

「Your time slowly slowly finishing.」

 

 

と、彼女らしい英語で残念がっている様子を伝えてくれて、

 

 

「HAPPY??」とからかうと、

 

 

「WHY   HAPPY? NO!!ちょっと不満

 

と言ってふくれっ面をしていた。

 


ボランティアと親しくしてはいけないという決まりがあるから、

最終日に「ここに手紙ちょうだい。」と紙に書いた知り合いの住所をこっそりと渡してくれて、

 

 

届いたかどうかわからないけど、私は何度かその住所宛にハガキを書いた。

 


それからも、インドに行く度に必ず孤児院の子供達の様子を見に行き、

彼女にも会いに行っていた。


3年後に会った時には、「今は私すごく幸せよ。」と、とびきりの笑顔で話してくれてホッとした。


彼女の英語はぐんぐん上達していて、コミュニケーションが随分スムーズになった。

 

 

4年後、6年後と訪ねて行った時にも、彼女はちゃんと覚えていてくれた。

 

 

でも、それから更に2年後に会いに行くと、

「オー!!ソノコ〜!!」って反応を期待していたのに、彼女は私の顔を見てキョトンとしている。

 

 

彼女は私のことをすっかり忘れてしまっていた。

 

 

「そのこだよ。覚えてないの?何度も来てたじゃない。」

 

 

って言うと、

 

 

「NO~~~~~。」

 

 

と困った顔をしていて、本当に思い出せないようだった。

 

 

私は彼女の特別な友達だと思っていたからショックだった。

そんなに忘れちゃうもんかな???

 

 

でも、彼女はとてもイキイキとしていて 

とっても幸せそうに仕事をしていたから、それでいいよね・・・寂しいけどぐすん

 

 

きっと今も、いつも彼女がしていたようにサリーの端で汗を拭いながら一生懸命子供たちのお世話をしていることでしょうチューリップ黄

 

 

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