1999年3月大学4年生の頃の話です。
今日はジャイプルで過ごす最後の日。
朝ローシャンが来て、ピンクシティのインドスカート屋さんと、カセットテープ屋さんに連れて行ってくれた。
その後はジャイプル一美味しいと言うラッシー屋さんに連れ行ってくれた。激ウマ!!!
その後は大人気のサモサ屋さんへ。
揚げたてアツアツであんまり辛くなくて、この店のはレーズンが入っててその甘さとカレー味が絶妙にマッチして激ウマ!
サモサを知らない人は居ないとは思うけど一応貼っときます。
画像はこちらからお借りしました。
やっぱり地元の人は美味しいとこ知ってるなぁ
夕方、私は買ったインドスカートを、ジュンはサリーを着てじゅんこさんとローシャンと出掛けた。
サリムは、
「昨日オレと行くって言ってたのに日本人は嘘つきだ!!!」
ってまたカンカンになってまくしたててたけどほっといた。ほんとにサルみたい
ピンクシティでフェスティバルをやってるって聞いてたから楽しみにしてたのに到着したらもう終わってた残念。
私もジュンもじゅんこさんに一生懸命話し掛けてたら、少しだけ打ち解けて来た。
私のインドスカートを見て、
「私もそういうスカートが欲しい・・・」
って言うから、
「よしじゃあ行こ行こ!!」
って朝と同じスカート屋さんに寄ってスカートを買ってCHIT CHATに戻った。
レストランでご飯を食べようってことになったんだけど、じゅんこさんはオーダーしようとしない。
「あの・・・ドルしかないから・・・・」
と言う。
じゃあ帰って来る前に「両替に行きたい」って言えばいいのに、言い出せない子なんだな。。。
私達が「いいから食べな食べな。」って言っても遠慮して食べようとしないから、
じゅんこさんの分を取り分けてあげるとようやく食べ始めた。
さっきやっと少し打ち解けたと思っていたのに、また元に戻ってしまった。はぁっ・・・
今日は最後の夜だからみんなで飲もう!
ってビールとラムとコーラを買い込んで来たのはいいけど、ディヌも顔を出さないし、
じゅんこさんは暗~~~~~~いしで全く盛り上がらず
そのうちじゅんこさんは部屋に帰って行った。
その後の彼女のことは知りません
更に被害に遭ってないといいけど。
ローシャンとジュンと三人で寝転がりながら
「あーあ最後か~。楽しかったね~。」
って喋っていると、ローシャンが
「本当に楽しかった。きみたちのことが本当に大好きだよ。」
って言ってくれて、
「私たちもだよ!!!」
って答えた。
何から何まで本当にお世話になったし、いつも穏やかで気遣いの出来る優しいローシャンのお蔭で本当に楽しかった!
「会えなくてもずっと友達ね!」
とか言ってしんみりしていたら、誰かがドアをノックしてきた。
同じ宿に長期滞在しているフランス人のスティーブだった。(私が英語が話せるようになったきっかけの人ね)
スティーブはサリムの悪い行いの数々が許せないようで、ローシャンとそれについて二時間くらい言い合いをしていた。
私はスティーブかっこいいなぁって思いながら二人が話している様子を見ていた。
そのうちローシャンがベロベロに酔っぱらって寝てしまって、ローシャンがいびきをかきながら寝ている間に
スティーブと三人で屋根によじ登って星を見たり、色んな話をしたりして最後の夜を過ごした
その後またスティーブがドアをノックして来た時のことは、
私が英語が話せるようになったワケ①をご覧ください
翌朝は、10:00のバスでジャイプルを出発した。ディヌは朝ちょっとだけ顔を出しに来た。
10日間、いつも一緒に居てあちこち連れて行ってくれた優しいローシャン
最後の最後になって突然豹変して、
「10日分のオートリキシャ代、一人1000ドルずつ払え!!!」
なんて言って来ることもなく、最後まで一度もお金の話はしてこなかった。
私とジュンで予め金額を相談し合って一人1000ルピー(約2500円)ずつ包んで、手紙と一緒にローシャンに渡した。
ディヌには勿論なし!
オートリキシャ代としてはかなり多めではあると思うけど、この人にはこれくらいあげたい!!って思うくらい楽しかったから。
ローシャンと別れる時悲しくて泣いちゃうかと思ったけど、泣かなかった。
だってスティーブとのお別れの方がもっと寂しかったからね!!
ジャイプルからデリーまでバスで6時間。そして空港へ無事到着した。
そこで同じくこれから帰国する日本人の男の子に会った。
彼は夜中にトイレの窓から飛び降りて列車に飛び乗り、必死にここまで逃げて来たと言う。
彼は、私達も二度連れて行かれたような悪徳旅行会社に捕まり、無理矢理高額なツアーを組まされたらしい。
移動は全部車で、運転手の他に二人のインド人が常にピタリと付き、
食事やホテルは毎回全部彼のクレジットカードで払わされ高価な買い物までさせられたらしい。
ホテルの部屋もインド人と同室で常に見張られていたんだけど、隙をついてある晩トイレの窓から逃げてきたという訳。
その子はそんな散々な目に遭って、もう二度とインドなんて来ないと言っていて、
私達はほんとにそんなことがあるんだな〜と改めてインドって怖いなと思ったのだった。
私はその彼とは反対に、二度目のインドでますますインドにハマってしまい、
自分の部屋の壁一面にヒンドゥー教の神様のポスターを貼り、
お香を炊きながらインドの怪しい音楽を聴いてはインドに想いを馳せる毎日だった。
頭の中はもうインド、インド、インドで、ブラインドとか、マインドとか、インドアとか言う文字でさえインドしか見えなくて
「えっ?インド??」っていちいち反応しちゃうくらいだった。
そして、「100万貯まったら会社を辞めてインドに行く!!」と決めて、
10ヶ月後には再びインドに飛んだのだった。
続く。