本当に浮かれると進歩が止まってしまう。馬鹿みたいだ。主目的は進歩であって、だらけていいはずが無いのにな。ひどいものだ。いくつか考えたが、どうやったら浮かれた状態を正常な状態に戻せるか。まず、仕切りなおす。これは風呂に入ったり、本読んだり、運動しに行ったりまあ仕切りなおしをするってことかな。多分、風呂に入るのが一番仕切りなおしにはいいだろうと思う個人的には。思考が働くのが時間切迫のせいだとするならそれはやばいね。精神的にもそうだし、結果もついてこないだろうしね。あ、まあ今日はかぶせてしゃべれてなかったからそこのところを反省して次に生かすとしよう。声質何とかしとけって話かよと思ったね。声というのは相当イメージ変えるんだね。恐ろしいものだね。評価ががらりと変わるんだからね。食べ物を消化するように思考内容を文字化して書き記すという消化作業がない限り次への文の変形はないと思うね。つまり思考内容の変化に乏しく、同じところで躓いたままになってしまう。それは基本的に精神的な理由から身動きが取れなくなっている人にも当てはまるし、神経失調の人にも当てはまるんだろうけど、思考内容として同じところを回り続けているからではないかなとおもう。つまり、思考内容として今までの内容からブレークスルーして発展することが出来たならそういう症状というのは現れないとおもうのだ。まあ推測だが。にしても緊張するってのは思考に大いなる影響を与えるものだ。思考が瞬間瞬間を切り取った即物的な連携となるので、抽象的な言葉が使われにくくなる。というより複雑な議論を組み立てにくくなる。不安が高まるほど定義づいたものを頭で組み立てようとする。傾向といったほうがいいのかな。この概念はこういう傾向があるぞとか、この概念はこういう定義を立てることが出来るとかってのが勝手に浮かんでくる。大体5個くらい面白いのが浮かんでくるね。でも、書き留めるとまたそこからいろんな思考が浮かぶのでエンドレスな恐怖がわきあがってくるね。いつまでこんなことについて考えてるんだと。現実を考えないといけないのではないかと。
死んだ文にとらわれて出れない状態に陥っては囚われの何たら状態だ。もはや定義された文は再びは使えないとおもう。本来なら。重要なことって何だろうね。多くの人にかかわることがより重要なことなんだろうね。社会的には。政治も多くの人に影響を与えるからマスコミも専用のニュース組むしね。多くの人にかかわることもそうだしブームとなっていることもそうだ。凄い勢いでコミュニティーの規模を拡大しているジャンルとかもだんだん露出や報道やらが多くなってくる。これは相対的な人気だね。前の国民の大部分に影響のあるジャンルと比べて。まあストックとフローどっちが大事って話なんだけどね。思考というのは完全性を持ったものなのかね。というのはあるジャンルで見たとき、自分の知識の範囲内で完結してしまって、それが100パーセントだよね。時間がたてばその範囲は変わるけど100パーセントという範囲は変わらない。思考は100パーセントに知識の断片を振り分けているのかどうかね。まあどうでもいいことだが。努力とはがむしゃらとかいう感覚的なものではなく、理性的なものによる部分が大きいのかもね。要は感覚よりも分析が今は大きい。
緊張はそのステージから抜け出せていないことを示している。現実には解決しても再び浮上したり、解決したと思ったらより大きな問題にぶつかるということが往々にしてある。レベルの同一性での話し、すり替えの話し、相手の本気度の確認、身近な話題と今話している話題との文中でのつなげであったり細かい細部過程のお話であったり色々あったが、やはり話も分析したくなるね。もちろん対応者へのスピーチのついでだけど。