午前十時の映画祭11
映画「ファイトクラブ」
1999年 アメリカ 139分
<監督>
デヴィット・フィンチャー
<原作>
チャック・パラニューク(ファイトクラブ)
<キャスト>
エドワード・ノートン、
ブラッド・ピット、
ヘレナ・ボナム=カーター、
ミート・ローフ、
<内容>
保険会社勤務の“僕”(エドワード・ノートン)は、高級なコンドミニアムに住み、北欧家具や高級ブランド衣類などを買い揃えるヤング・エグゼクティヴ。
しかし、ここ数か月は“不眠症”に悩まされる日々を送っていた。
そんな“僕”は、さまざまな病気を抱える人々が集まる「支援の会」に患者のふりをして通い始める。
そこで治療の副作用で胸が大きくなった男の胸に抱かれて涙を流すと、その夜は不思議とぐっすりと眠れた。そのことがヤミツキとなり、“僕”は重症患者の自助グループを、幾つも渡り歩くようになる。
ある時、やはり「支援の会」中毒の女、マーラ(ヘレナ・ボナム・カーター)に出会い、やっと得た心の平穏を打ち砕かれることになる。マーラも病気ではないのに、「支援の会」に参加していた。マーラを排除しようとするが失敗し、お互いの参加するグループを分けることで手打ちする。
ある時出張先の飛行機で、”僕”ははタイラー(ブラッド・ピット)と知り合う。彼タイラーは「本気で行えば、家にあるものなどでどんな爆弾でも作れる」と話はじめた。”僕”はタイラーに興味を持つ。フライトから帰ってくるとなぜか僕の自宅がガス爆発で、全てが焼失してしまった。
部屋は爆破されており、”僕”は仕方なく知り合ったばかりのタイラーに連絡を取ってバーで意気投合する。そのうちにタイラーが僕に「力いっぱい殴ってく入れ」と話しかけてくる。
”僕”はそれに応えて殴る、そしてお互いが殴り殴り合いになる。僕は廃墟のようなタイラーの屋敷に住み始める。
数日後、”僕”とタイラーは再び酒場の駐車場で殴り合う。次第に見物人は増え、ついにタイラーは酒場の地下室を借りて互いに殴り合う「ファイトクラブ」の設立を宣言する。
一方でタイラーはマーラを呼び出し、情熱的なセックスを繰り返す。「ファイトクラブ」は会員が増え、全国に支部ができるまでになった。ついにクラブは、いたずらとテロを組織的に繰り返すようになる。タイラーはついにクレジット会社のビルを爆破する計画を立てる。
”僕”はタイラーを阻止しようと走り回るが、なんと意外な事実が発覚・・・・・・・・・・。
かくしてタイラーは”僕”を凌駕しようとするがそれは阻止され、”僕”は駆けつけたマーラと共に美しく崩れ落ちるビル群を眺めるのだった。
(MovieWalker参考に修正記述)
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ファイトクラブルール
1:ファイトクラブについて、口にしてはならない
2:ファイトクラブについて、口にしてはならない(1と同じなのです)
3:相手が“降参”を宣言するか、たとえ演技であっても気絶した場合、その時点でファイトは終了
4:ファイトは1対1、
5:一度に一ファイト、
6:シャツと靴は脱いで戦う、
7:ファイトに時間制限はなし、
8:ファイトクラブに初めて参加したものは必ずファイトしなけらばならない
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12月13日、午前十時の映画祭にて鑑賞。
この映画午前十時の映画祭、初登場作品です。
ネタバレしてしまうと面白くない内容、いやいやネタバレしてもラストは何だったのか?など疑問がわくはずです。
この作品もやはり、2回は見直したほうがいいかも。
ネタバレしないように記事書く自信がないのですが・・・努力しましょう。
最初から何やら波乱が起きそうな予感。
真っ黒な空間に「FIGHT CLUB」の文字が浮かびます。
カメラはその脳内の中枢神経そこから、「ブレイン·ライド」と名づけた脳内ジェットコースターに乗せられ後退していきます。
脳内から、頭の外側へ飛び出す。
出ロは眉間の毛穴、そこからなおカメラは後退し、怯えた目で男が拳銃を口にくわえている。
その男が今作品の主人公”僕”(エドワード·ノ─トン)。
このオープニングで、一気にスクリーンに引き寄せられます。
「ファイト・クラブのことを決して口外するな」
カルト映画登場。
ジェネレーションXの金字塔!
社会の嘘に対しての怒り、それがファイトクラブだ。
良い人間になるように育てられてきた。
そんなつまらないルールの世界は飽き飽きさ。
他の皆の期待に応えるのではなく、自分がどうなりたいか、自分で決めれば楽しい世界を作れるはず!!
といったことが、凝縮されたような作品でもあります。
公開後、リアルファイトクラブのような物ができて、社会現象をおこしました。
それによってこの映画はテロや暴力を礼賛する映画として、マスコミから集中攻撃を受けた映画でもあります。
まぁ、表面だけの内容をとらえて影響受けてしまうとそうなりそうですしね。
とにかくこの映画は主人公”僕”(エドワード・ノートン)の視点で進行していきます。
ただこの”僕”は映画史上最も信用できない語り手の「ぼく」なので、要注意。
観るものを、ミスリードへの世界へと導いてくれます。
また所々に出てくるタイラーなどの、サブリミナル映像を巧みに使い、さらに混乱させてくれます。
観ている側も途中から、何やらおかしいぞとは気が付くはずですが・・・。
ラストは、クレジット会社など金融系の会社がはいったビルが爆破倒壊していきます。
そしてこのラスト、ものすごいとんでもないカットが挿入されているのです。
知っている方は、なんの映像かはおわかりですよね。
ほんの1/24秒間なので、観客は自分が何を見たのかはっきり認識しないかもしれませんが、でも実際はしっかり見えているのです。
動体視力を養ってぜひ、よ~くご覧ください。
この映画の中で、なるほど良いこと言っているなと感心してしまったシーンがありました。
”僕”とタイラーがコンビニの店員を脅します。
店員から奪った財布の中身を物色、見つけた学生証を見る。
拳銃で脅しながらタイラーは店員に言います。
「おまえが目指した職業は何だ?」
店員
「獣医です。でも諦めてしまいました」
タイラーは彼にいいます。
「お前の住所は分かった。もう一度その職業を目指せ。6週間後に獣医になるための勉強をしてなきゃブッ殺す。とっとと帰れ!」
無茶苦茶なタイラーの行動意見ですが、なんとなくいい奴なんじゃないと、理にかなった内容に拍手でしたね。
映画好きの方なら、これまたピンとくるような名前の数々。
”僕”は色々な名前を使い分けていました。
マーラーから「貴方は名前がないの?なんで毎晩名前を変えるの?」ミーティングでも偽名を使っていました。
・コーネリアス、
・ルパード、
・トラヴィス、
もうおわかりですね。
「猿の惑星」「キング・オブ・コメディ」「タクシードライバー」
この偽名は何か意味をもっていたのでしょうか?
それとも単純に監督が思いついて、つけたのでしょうかね?
これまた謎ですが。
ラスト崩れ行くビルを見ながら主人公の”僕”はマーラーに言います。
「心配するな、これからは全て良くなる」と話します。
クレジット会社のビルが崩壊します。
ラストシーンのなかで、瞬きしている間に消えてしまう映像の意味は?
そして”僕”とはタイラーとは、
何者だったのでしょうか?
はたまたこの物語に出てくる事象は??
消費社会に生きるもの全てに、強烈なインパクトを与えてくれます。
暴力的で意味がないような事柄、でもそこに意味があるのでしょう。
”僕”に名前がないのは、観る者すべてが主人公に置き換えさせるためなのか?
さてこの物語りを最後まで観たあなたは、この内容に共感したでしょうか?
はたまた不満に思ったでしょうか?
余韻謎を残す映画でした。
(おまけ)
治療の副作用で胸が大きくなった男ボブの胸は、鳥の餌を入れて膨らませたようです。また乳首有のパターンと無しがあって、最終的には無しのほうを採用したようです。どっちでもいいかとは思いますがw
作中のファイトシーンは全て殴るフリですが、初めて酒場で僕がタイラーを殴るシーンだけは実際に殴っているようです。
それは、フィンチャー監督から、エドワード・ノートンに、「試しに耳を殴って、ブラッド・ピットがセリフを変えないか見てみないか?」と冗談言われたかららしいです。なのでブラッド・ピットの「耳の後ろを殴るなんて!」というセリフはアドリブだそう。
それで、「僕」(エドワード・ノートン)は殴った後にちょっと笑っているんですよね。
そこもお見逃しなく!
原作者チャック・パラニュークはセクハラで解雇された元同僚からタイラー・ダーデンの名前を取り、妹を幼少期にいじめていた同級生の名前からマーラ・シンガーという名前をとったようです。
(画像全てお借りしました)
5点満点中3.9