映画「鐘の鳴る丘 隆太の巻き」  | ほくとの気ままなブログ

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映画「鐘の鳴る丘 隆太の巻き」 

 

 

 

1948年(昭和23年) 松竹 81分

 

<監督>

佐々木啓祐

<原作>

菊田一夫

<キャスト>

佐田啓二、

本尾正幸、

井上正夫、

英百合子、

野坂頼明、

飯田蝶子、

 

<内容>

東京には到る処に浮浪児がいた昭和二十一年の夏も終わるころ、復員姿の青年賀々見修平(佐田啓二)は、弟修吉を尋ねて新橋駅にたたずんでいた。

 

--父も母も亡き兄弟二人は、信州の伯父にあたる賀々見勘造の家に引き取られたが、兄修平がやがて戦地に征った後、弟の修吉は、どうしてもなじむことが出来ず遂に伯父、伯母との折合も悪くなって、罪ならざる罪を着せられ、感化院に入る身となってしまった。間もなくそれから終戦となって兄修平は忘れ得ぬ弟修吉を感化院におとずれたが、なつかしい弟の姿は見えなかった。脱走したという。

 

--もしや修吉はこの浮浪児の中にいるのであはないかと尋ねたが、修吉ならず隆太少年が彼のふところに飛び込んできた。

修平は隆太を見る度に弟のおもかげを抱きながら何とかこの浮浪児を救わねばならぬと救済方法を決心する、事実は空しかった。

 

社会の経済的な圧迫、周囲の人々の冷たさ、等が彼の誠実な努力をさまたげる。だが可愛い子供たちは彼の偽りのない心に次第に親しみなついて来た。

 

 

修平は信州に浮浪児たちの家を作ることを彼らに話し、隆太に協力を願う

一方修平が尋ねる弟修吉は、感化院を抜け出しては見たものの、暖かい愛情の家もなく浮浪児の仲間にいつのまにか入っていた。だが修吉は兄に会いたい気持ちが日増しにつのって汽車に乗るが、信州行きではなかった。汽車から飛び降りて足がけがした時には、身も知らぬ人(笠智衆)に助けられていた。

その人立花は強盗ではあったが親身になって悟してくれた。やがて東京に帰った修吉だったが・・・。

 

(映画COM:修吉の巻を参考修正 )

 

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偶然にもユーチューブでアップしていた方がいまして、初鑑賞させていただきました。

 

「鐘の鳴る丘」はNHK朝ドラ「エール」にも登場していましたが1947年(昭和22年)7月5日から放送されたNHKラジオドラマです。

 

 

「鐘の鳴る丘」とは、その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定。

空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描いた作品です。

 

今作品は、その大ヒットドラマの映画版の第一部です。

 

私の両親、祖父母であったらドンピシャでこのラジオドラマを聴いていたのではないでしょうか。

またこのドラマを知らない人でも、作詞、菊田一夫、作曲、古関裕而主題歌「とんがり帽子」は一度は聴いたことがあるのではないでしょうか?

 

 

とにかく昭和25年度の世論調査では90%の人が、このラジオ番組を聴いたことがあると答えているそうです。

まぁ終戦直後の娯楽といえばラジオ番組でもあったのでしょうが、すさまじく高い数字ですね。

 

 

そしてこのドラマは、荒廃し苦しかった日本の国民に、生きる希望を勇気をどれだけ与えてくれたかは、はかりしれませんね。

 

ラジオドラマが大ヒットしただけあって、ストーリー展開はしっかりしています。

またすれ違いドラマの典型で、やきもきさせてくれます。

 

修平が探す弟修吉と今作品の主人公隆太は会ってはいるのですが、すぐ離れてしまいます。

また信州行きではない列車から飛びおり、大怪我をしながらからなんとか東京に戻った弟の修吉が、ラストで東京のど真ん中で兄修平の姿を見つけるのですが、ここでもすれ違って会えないまま続編へと続いていきます。

もう観ている観客は、じれったくなりますよね。

ですから次回作も観たくなるのも仕方なしw

そんな感じで、ラジオドラマも盛り上がっていたのでしょうかね。

 

 

3万5千人以上いたと言われている 

餓死、物乞い、スリ…

戦争が生み出した「浮浪児」

 

 

この作品は架空の物語ではありますが、このドラマに出てくるような子供たちは、実際終戦後いたるところにいた事でしょう。

劇中で印象的だった、セリフ・シーンでは、

 

浮浪児たちの住かで、彼らに盗みをすることは悪いことだと修平が諭します。

しかし、

「腹が減っているんだよ。ご飯食べないと死んじゃうんだよ。友達が何も食べないで、雪の日に死んじゃったんだぞ。盗まなきゃ俺たち腹が減って死んじゃうだぜ、どうしろっていうのさ」

と、子供は反論します。

グサッと突き刺さるセリフでした。

 

そうですよね、盗むことは悪い事だけれど、大人たちが何もしてくれない、どうやって生きるか、奇麗ごとだけではすまない状況だったと思います。

大人たちだって、闇市で食料品をなんとか調達して生き抜いた時代でもあります。

 

 

隆太が修平を自分たちのねぐらに案内します。

そこは倉庫の軒下。

修平が

「こんなところで寝ていて病気にならないかい?」

と話すと、隆太は答えます。

「ならないよ・・・でも冬の間に2人死んだぜ。昨日まで一緒だった子が、苦しいとも何ともいわずに朝起きたら死んでいたんだ。死ぬって、案外なんでもないんだね」

と言い放ちます。

胸が痛い言葉でした。

 

これが戦争、普通の事が普通でなくなり、子供たちまでそのように思わせてしまう、戦争の恐ろしさ悲劇でした。

 

そのような中で、修平が信州に行って家を建てたい。

君たちの家をと、浮浪児のために家を建てる計画を話し、手伝ってくれないか、一緒に行こうと隆太を誘います。

最初は行く気満々だった隆太ですが、仲間たちはいかないでと懇願します。

隆太は、子分たちの面倒をみなきゃいけないとあきらめかけます。

 

 

修平が、その仲間たちに盗みをしなくても生きる方法を考えていこうじゃないか。

君たちは大きくなったら何になりたいんだ?と一人一人の夢を聞きます。

ご飯屋さんになって腹いっぱいご飯を食べたいと夢を語る子や、

パン屋さんとやはり食べもの関係を夢見る仲間、唯一の女の子のみどりちゃんは、

「私はおもちゃ屋さんになる」

と目を輝かせながら話します。

 

色々と話し、一生浮浪児のままにならないようにと説得していくと、みんなも、隆太がまずは修平と一緒に信州で頑張って家を作り皆を迎えにくることに賛同します。でも、隆太と離れ離れになってしまう気持ちを抑えることができません。

みどりが泣きだすと、我慢していた男の子たちも堰を切ったようにみんな泣き出してしまいました。

そんななか、一人の男の子がみんを励まそうと吹く、ハーモニカのメロディが更に涙を誘ってしまうのです。

この場面はウルウル感MAXでしたね。

 

 

そうそうこの作品で笠智衆さんが、盗人の役で出演しています。

走っている電車から飛び降りて、大怪我をした修吉を助けた子供に優しい極悪人というような設定です。

ちょっとアクションめいた演技もあったり、そしてけっこう早口で話しているのでびっくりでしたw

 

笠智衆さんもそうですが、ここのところ日本の古い映画を観ていますが、この作品にも飯田蝶子さんがでていましたね。

 

終戦後の混乱した日本の社会の中で生き抜く、子供たちの言葉は乱暴にも聞こえますが真実の声、そしてその姿に本当に胸が張り裂けるような気持になります。

 

平和を考える事においても、一度は観ておいても良い作品だと思います。

この作品、第二編修吉の巻、第三編クロの巻と続編があるようです。

ただし三編の後に告知されていた、第四編・カラスの巻は製作されずに終わったようです。

ぜひ機会チャンスがあれば観たいと思いますが、アップされているのでしょうかねぇ。

 

(写真全てお借りしました)

 

5点満点中3.8

 

 

画質は悪いですが、フル動画になります。

鐘の鳴る丘 隆太の巻 

 

 

 

 

リアル鐘の鳴る丘、少年の家、

ドラマ鐘の鳴る丘の誕生秘話や、戦災孤児の映像、そしてドラマに触発され、実際に鐘の鳴る丘少年の家を建設した、品川博さんの功績を観ることができます。