今日はたまにやる「考察シリーズ」。
今回のテーマは剣鉈。
狩猟をする人、あるいは山に単独で入っていく人なんかがいて、そういう人たちにとって持っていく刃物として、剣鉈がいいぞ、なんて言われたりします。
剣鉈については、今更説明を加える必要もないでしょう。
切っ先があるナタです……とまとめちゃうと若干、大雑把すぎるかしら。ナタの性能と小刀の性能を併せ持つような刃物で、地域や作り手によって形状に違いがあります。
共通しているのは、「切っ先があること」。
あとは、「鉈的な重みのある刃物である」ということでしょうか。現代ではステンレスを使ったもの、割り込みのもの、片刃のもの、あるいは短めのものと、様々なバリエーションがありますが、その辺りは今回省略いたします。剣鉈はまた山刀なんて呼ばれ方もします。
さて、問題は「剣鉈は最近の発明品であって、昔から使われていたものではない」という言説が、たまに聞かれるということなんです。
つまり、「剣鉈は存在していたのかどうか?」が今回の焦点。
実は私も過去の記事において、ちょこちょこそれに対する答えのようなものを書いていたりもします。
そう、たとえば「やまんばが持っている刃物は、出刃包丁じゃなくて山刀の類ではないか?」というようなことを書いていました。
また、秋田のなまはげの持つ刃物も「これこそ、出刃包丁ではなく山刀(ナガサ)なのでは?」という説を提示し、一つの根拠を示した上で結論を出しています。これらの記事を覚えていてくださっている方も多いでしょう。
「昔は剣鉈なんてなかった」といった時の「昔がいつであるのか?」という問題はいつも付きまといます。
人によって「昔」の範疇が違うかもしれませんからね。
ちょっと前にコメントを下さった方によれば「90歳以上の鍛冶屋は剣鉈が存在しなかったことを知っている」なんて、より具体的な数字を示して下さっていました。
となれば、ざっと90年と考えると、1928年には剣鉈は存在していなかった、ということになりましょう。
1928年が「昔」かどうか、意見が分かれるところです(でしょう?)。
けど、具体的な数字が出たことで、より問題を整理しやすくなったとは思っています。これもまた思いっきりザックリいきますが、「明治時代にはなかった」としても、上記の言説上問題ないはずです。だって、1928年になかったものが明治時代にあるってのは変ですからね(まぁ、考え方としては明治時代にはあったけど、段々すたれて1928年では見ることがなくなってしまっていた、なんてものもありますけれども)。
けど、なまはげの行事が「江戸時代」にはなかった、とするのはちょっと不審が残ります。
そこで、何か客観的な証拠が欲しいなと思い調べてみました。
まず、「剣鉈」や「山刀」というのは言葉ですから、辞書を使ってみることにしたのです。
使用した辞書は、日本初の本格的国語辞典『言海』です。この本が1891年に自費出版された、ということは付言しておきます。
さて、その『言海』、剣鉈という言葉は載っていませんでしたが、「山刀」の項目はあったのです!
樵夫ノ用ヰル刀、鉈ノ如シ。
と実に簡潔に書いてあります。
樵夫ってのは、よくわかりませんが、「樵=きこり」ですから、山林労働者のことを指すと考えて大きな違いはないでしょうね。
ただ、これだけの記述では、通常のナタとの違い、つまり「切っ先の有無」が分かりません。
とはいえ「刀」と書いてあるところに、切っ先を持った刃物のイメージがあるような……。また「鉈ノ如シ」とあるということは、鉈に似ているけれども、違う部分もある、という示唆があるようにも……。
うーん、私は「剣鉈や山刀といった、切っ先を持つ鉈的な刃物は存在していた」という立場ですから、多少のバイアスは掛かります。もう少し、客観的な資料が欲しいなぁ……。
というわけで、一度、自説の原点に戻ってみることにしました。
そう、「やまんば」です。確か……やまんばの絵はたくさん書かれたいたような気がします。やまんばの代表格、安達ケ原の鬼婆として……。
というわけで早速調べてみると、「黒塚」に行き当たりました。Wikipediaのリンクを貼っておきますのでご確認くださいませ。
あっ、項目に月岡芳年の錦絵がついてますね。
この絵師は幕末から明治期にかけての人ですよ。
おお? この鬼婆、手に何か持っています……。というか、砥石で刃物を研いでいるじゃないですか。ちょっと部分を拡大してみましょう。
これ。
砥石に刃を当てているわけですけれども、問題はその刃物。
これ、山刀の類なんじゃないでしょうか……。
なぜ、そう言えるのか? ですが、「包丁」との違いを示していくことで考えてみたいと思います。
たとえば、江戸時代の包丁は木屋のウェブサイトにちゃんと載っています(というより、包丁の歴史みたいなページかな)。
この月岡芳年の絵に近いものは……「うなぎ裂き」かなぁ。
けど、うなぎ裂きは、上の絵(つまりWikipediaの黒塚に示されている絵です)のような大きさではないですよね。上の絵はかなり大振りの刃物として描かれていることがわかります。また形状もちょっと違う。
またちょっと見にくいですが、柄と刃の境目の辺りに注目してみてください。
なにやらタングの吞み口にちゃんと処理がなされている感じがします。今の剣鉈・山刀にもはまっている金輪のようなもの、あるいは刀でいうならハバキのようなものがついているように思えます。
それに、タング上部っていえばいいのかな? それがこの絵だとかなり太いですよね。
包丁の場合、タングはぐっと細いはずです。そこがこれだけ太いということは、ハードユースを想定していると考えてもおかしくはない。
となると、これを包丁……とするには、ちょっと無理があるように思えるのですが、皆さまはいかがでしょうか?
剣鉈とか、山刀とか山包丁とか名称はともかくとして、切っ先をもった大振りで鉈的な重みをもつ刃物っていうのは、やはり……少なくとも幕末~明治時代にはあったのではないか、というわけです。
いや、普通に考えても、「鉈に切っ先があったら、応用効くよな!」って感じると思うんですよね。
剣鉈が、本当に鉈とナイフの良いとこ取りが出来ているのか、といえば、まぁそれは別問題ですが……(逆に中途半端な刃物になっているものもあると思う)。
というわけで、現時点での私の結論は、「1928年以前にも剣鉈(山刀)は存在した」というものです。
また何か分かり次第、皆さまにお伝えしていこうと思います。
ではでは。