北欧ナイフでお気軽アウトドア

北欧ナイフでお気軽アウトドア

北欧のナイフの話題や、それらを使った気軽なアウトドア、ブッシュクラフトについて書いていきます。

Kindle用電子書籍『北欧ナイフ入門 ~モーラナイフからストローメングナイフまで~』好評発売中。どうぞよろしくお願いします。

とても面白い投稿をXにて見つけたので、ご紹介。

デイブ・カンタベリーのYouTubeの投稿です。

 

四の五の言う前に、まずはご覧ください。

 

 

 

これ、字幕をONにすると見やすいと思います。

ざっと私も流し見しただけなのですが、ちょっと示唆的な場面のスクショを貼ってみましょうか。

 

 

こんな感じ。

ブッシュクラフトは最近じゃキャンプになってる、ってなことを言っているわけです。

この動画はそういうことを手を変え品を変え話しているという。

 

 

ここで考えて欲しいのが、このおじさんが誰なのか? ということ。

言わずと知れたデイブ・カンタベリーなんですよね。

 

 

 

 

『BUSHCRAFT101』という、この道の草分け的な著作を持つ御仁なんです。

この本によって、ブッシュクラフトなるものが人口に膾炙し、日本でもブームを起こす源泉になっているのは言うまでもないのですが。

 

 

……正直に言うと、私読んでないんですよね。

私の中でのブッシュクラフトの著作と言えば、モース・コハンスキーの

 

 

 

この本だったりするのです。

これはデイブの本よりもかなり前に書かれた、ランドマーク的な著作といってもいいでしょう。

平易で読みやすい英語、多くのイラストによってブッシュクラフトというものが良く分かる、そういう本です。

 

 

なんだろうなぁ。

デイブさんも、自身の本によってブッシュクラフトが広まり、それが変質していったことへの責任から、さっきの動画を出したのかなぁ、なんて邪推してしまいます。

 

 

私が見ている限り、日本に於けるブッシュクラフトというのも、色々な変遷をたどっています。

 

 

・野外に於いて、ナイフで何か「工作をする」というフェーズ

 

・フェザースティック作りとバトニングに精を出すフェーズ

 

・先述の動画のように、キャンプ(焚き火を含む)に接近していくフェーズ

 

 

と、それぞれが重なりながらも、こういう変遷があるのではないかなぁ、と思っています。

ちなみに、散々言ってきましたが、最初の「ナイフでの工作」は、完全に誤訳です。

接尾語のcraftを「特定の分野に係る技術の総体」と本来的な意味で訳さず(というか、訳せず)、単純に「工作」と早合点してしまったことによる誤訳です。

 

 

日本で発売されたブッシュクラフトの本では、その初期では、堂々と「工作」の意味を掲げているものが見られました(だからこそ、バトニングやフェザースティックとも相性がよかったんですね。あれもナイフを使った工作と言えますから)。

 

 

私がこうやって、機会あるごとに「誤訳だぜ!」と言い続けたからかわかりませんが、段々と表現は「工作」からマイルドな方向に進んでいくことになります。

よく目にしたのは「生活の知恵」みたいな、そういうある意味ではどうとでも取れるような訳があったりしましたね。

 

 

本当に誤解を恐れず、大上段に振りかぶるなら、「野外生活術」とでもいうべきものがブッシュクラフトの本義に近かったりします。

 

 

けど、これもまた、ちょっと難点があって、「サバイバル」との関係をどう捉えるのかが不明瞭ではあるんですよね。

先のコハンスキーの本には、サバイバルの文字も入っていますし。

 

 

一方で、これは日本でのブッシュクラフトの比較的初期の頃から「サバイバルとブッシュクラフトは違うんだ」ということは言われていたように思います。

けれども、その際に引き合いに出されたのが例の「生活の知恵」だったりして。

つまり、ブッシュクラフトは「生活の知恵」であってサバイバルではない、ということ。

 

 

私は結構、この定義にも懐疑的でして。

例えば、ミリタリー関係のサバイバル術の本の一冊や二冊読んだことがあれば、そこに出てくるテクニックというのが、「現地に住んでいる人の技術」であることが多い、と気づいているはずなんです。

 

 

つまり北欧のような土地でのサバイバル技術は、北欧に住んでいる人たちの「生活の知恵」から拝借しているようなケースというのが、非常に多い。

そうなると、サバイバルとブッシュクラフトの違いは余計にわからなくなってしまうのです。

 

 

私が敢えて、この二つを分けるとしたら、「サバイバルは一定期間の生存のためにあらゆる手段を使う」というのが、一つのポイントになろうだろうな、と思うわけです。

 

 

例えば、火起こしする際に、エンジンオイルを使ったり、バッテリーをショートさせて火花を散らしたり、「使えるものは何でも使う」というのがサバイバル。だって生き残らないといけないのですもの。

 

 

一方ブッシュクラフトは、その出自が「そこに住んでいる人たちの生活技術」にあるわけですから、バッテリーをショートさせる必要はなく、素直にマッチを使う、みたいな。

また、その人にとってはそこが生活基盤でもあるわけですから、「生き残れれば何でもいいんだ」という態度より、持続的に生活できるような、ちょっとオーガニックで自然に優しい、みたいなニュアンスも感じられます。

 

 

またしても、大きく話が逸れてしまいました。

デイブさんの発言は「ブッシュクラフト」という括りの中で見ると、正しいと思いますし、日本のブッシュクラフト界隈が意図的に無視し続けてきた問題をあぶりだしてもいます(日本のそれは、ナイフを始めとしたグッズを売るための方便のような色合いが強いのです)。

 

 

けれども、好きなナイフを使って、楽しくキャンプをする。

それ自体は全く悪いことではない。

ただ、いやしくもブッシュクラフトを名乗るのであれば、ナイフでバトニングをする以外にも、もうちょっと何か、自然の中に自らが身を置くような深みが欲しい。

 

 

藪漕ぎをするような体験だったり、あるいは雨の日の森の中を楽しむような、そういう「野外での体験そのもの」をもうちょっとフィーチャーしたい気はしますよねえ。

 

 

すると、私も最近自分のXで書いたのですが、ナイフもいいんだけど、ブッシュハットのようなものって結構必需品になると思うんですよね。

小枝の跳ね返りをツバで受け止めてくれたり(目を怪我したくないでしょう?)、ちょっとした雨ならかぶってるだけで、全然不快感が違いますし、クモの巣に顔から突っ込むのを防いでくれたり。

 

 

 

 

 

ま、こんな感じの帽子です。

こういうのがあるだけで、野外での快適度は全然違うんだけどなぁ、と思ったり。

 

 

本場のブッシュクラフトそのものを実践するのは難しいにしても、キャンプ以上の体験や、ブッシュクラフトの一端に触れるような実践は全然、日本でも出来ますよね。

 

 

その辺りを伝えたいなぁ、なんて思って、拙著『ブッシュクラフト入門』とか、こういうブログでの発信があるのですが、なかなか分かってもらえないんだな。

 

 

ブッシュクラフトと名乗っているものが、ちょっと野性味のあるキャンプになっている、というデイブさんの発言は、全く以てその通り。

一方で、キャンプはキャンプとして楽しめばいい。けれども、ブッシュクラフトと名前を付けるならば、もうちょい野外に身を置く経験を大切にしたい、というのが私の意見。

 

 

なんだかトピックがあちこちに散らばりましたが、ブッシュクラフトなる言葉を考え直すきっかけに、この記事がお役に立てたなら、望外の喜びです。

 

 

それでは、また。