民間史学の大展開①  海彼の王権論の民間展開 | 南船北馬のブログー日本古代史のはてな?

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日本古代史は東アジア民族移動史の一齣で、その基本矛盾は、長江文明を背景とする南船系倭王権と黄河文明を踏まえた北馬系倭王権の興亡である。天皇制は、その南船系王権の征服後、その栄光を簒奪し、大和にそそり立ったもので、君が代、日の丸はその簒奪品のひとつである。

 

民間史学の大展開①               室伏 志畔

 

 海彼の王権論の民間展開


 

(平野雅曠の若き自我像)

 1990年代末に日本国が「日の丸」を国旗に、「君が代」を国歌に回収するや、考古学で前期旧石器握造事件がスクープされ、文献史学では井真成墓誌問題で、井氏を半島系の葛井氏や井上氏に比定し、藤井寺市へのとんでもない里帰り運動が惹起した。それ戦後史学の体制化に伴う願廃を象徴する。そうした状況で市民の歴史運動はそれに抗しつつ刮目すべき展開に入る。その前提は70年代の日本での大和朝廷に先在する九州王朝説の提起であり、80年代に始まった神庭荒神谷遺跡からの358本の八千矛の発見、90年代の加茂岩倉遺跡からの銅鐸39個の神宝の発見にあった。今ひとつは中国における河姆渡遺跡に始まり、長江を遡行するように良渚遺跡、三星堆遺跡と進展した長江文明の発見は、ほかならぬ原アジアの稲作文明の発見であったことによる。

日本人のルーツの一つとして、柳田国男が南方からの榔子の実の『海上の道』を問題にし、それを列島の母型制の問題として吉本隆明は90年代に深めたことは記憶に新しい。しかし、列島稲作王権のルーツは黒潮でもその分流の対馬海流で、それに乗り長江下流の呉越の稲作民が、北九州、出雲、越(高志)に集団稲作を伝え、弥生国家を胎動させた。皇統一元史観から戦後史学はこの海彼の王権を無視し、九州王朝説は皇統枠を越えたが一国枠を出ない王権論を取った。しかし、漢籍の多くは「倭は呉の太伯の後」と九州王朝のもう一つの主体を伝えてきた。この呉越はその興亡で名高いが、秦の中国統一過程で滅び、亡国の民として中国内外に四散するが、呉越同舟して黒潮分流に乗り列島や韓半島南部に渡来した。呉は九州で、越は丹後半島を前後する出雲と越で降り棲み分けた。それは前四世紀を前後する縄文稲作の伝播で、その一世紀後、三世紀に弥生稲作として爆発的な列島で盛行を見る。日本語が呉音なのはこの渡来によるので、私は船を多用する呉越の民を南船系倭人としてきた。

 列島における弥生稲作の空前の繁栄を見ていた韓半島の北馬系勢力は、壱岐・対馬を橋頭堡にこの南船系稲作国家への侵攻を始めた。それを記紀神話はスサノオのヤマタノオロチ退治、ニギハヤヒの天神降臨、ニニギの天孫降臨として伝えてきた。戦後史学も倭国をニニギの天孫降臨に始めた九州王朝説も、その意味で北馬系史観に立つ。

 

 海彼の王権論―平野雅曠と兼川晋  

 皇統一元史観から王朝交替論に拓く雨期をもった九州王朝説は、戦後史学に飽き足らない歴史愛好家に支持され、その機関誌「市民の古代」に寄稿する多くの民間史家を生み出した。その幾たりかが90年代に入ると自立し、九州王朝説を踏まえつつ、その問題点にも目を向け、「古田枠」を越え自説を展開し始めた。

その一人に熊本の平野雅曠(写真ー若き自画像)があった。平野は古田の倭国・天孫王朝説の古層に、漢籍が指摘する「倭は呉の太伯の後」があることに注目し、『倭国のふるさとー火の国山門』を1996年に上梓した。そこで平野は『新撰姓氏録』から「呉の太伯の後」を誇る松野連を見つけ、その系図を国会図書館から引き出した。それによれば、火の国山門への呉王夫差の子・公子忌の来島にそれは始まり、その流れに後漢の光武帝から金印を賜った王を宇閉とし、卑弥呼や倭の五王に連続する瞠目すべき南船系倭王系図であることが判明した。

 この南船系倭王に対し、「九州古代史の会」の兼川晋は、九州王朝説が倭王を皇統に先在するとするも、壱岐・対馬の天国アマクニ以上に王統を韓半島に遡行させない一国枠を越え、北馬系王権に架橋する探索に入った。それを2009年に『百済の王統と目本の古代』(不知火書房)(写真右)として発刊した。これは倭王統がある時から百済王統と縁戚関係に入ったとし、韓国で60年代に問題となった百済二系統説をさらに深耕するもので、これが現在、三刷に入ったことは、民間史学がもはや侮れないものであることを逆証する。


 

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