松山愼介著『「現在」に挑む文学』(響文社)の書評 | 南船北馬のブログー日本古代史のはてな?

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日本古代史は東アジア民族移動史の一齣で、その基本矛盾は、長江文明を背景とする南船系倭王権と黄河文明を踏まえた北馬系倭王権の興亡である。天皇制は、その南船系王権の征服後、その栄光を簒奪し、大和にそそり立ったもので、君が代、日の丸はその簒奪品のひとつである。

松山愼介著『「現在」に挑む文学』(響文社)を書評する

    六八年世代の批評的照射         室伏志畔

 

 著者・松山愼介は一九六七年に北海道の大学に入学する。入れちがいに私はその年に関西の私大を卒業している。その年に松山は高校の同級生の羽田闘争での政治的な死もあって、三派系全学連の諸闘争と翌六八年からの北大闘争に三年間、関わった。その瓦解と七〇年代に始まる大衆消費社会の始まりを、兄の経営する鉄鋼関係の仕事に携わり、市井から時代をつぶさに眺める生き方を六〇歳の定年まで選んだ。本書は、退職後、その半世紀近い六〇年代後半から見続けた時代の、この戦後七〇年の折々の「現在」に、三人の文学者、村上春樹・大江健三郎・井上光晴がどのように挑んだかの解体新書である。定年後の二〇一〇年からこれらの諸作を次々と同人誌「異土」に発表していく松山を、九〇年代後半から古代史に走った私は羨望をもって、ここ数年見続けてきた。

 何よりも本書がいいのは、退職後をそれまでの蓄積を解き放つように、あくなき探索を喜々として楽しみ、表現に倦むところがないところにあろう。誰もが前かがみに人生を選びがちだが、松山は百倍、老壮期の叡智の確かさを楽しんでいるかに見える。今、必要なのは青臭い付け刃の知恵ではなく、渋いしたたかな知恵だが、時代は反対にそんな若者を体制側に取り込んでいる。

松山が大学闘争後、知恵を蓄える道を選んだ頃、大学を出た私は、デモでの事故にも似た逮捕劇にあって四年近くを棒に振り、ようやく教職にありついた。その高校が人手不足にあった泉州の二交替制の紡績・織布工場に見合った、全国の中卒女子生徒を集めるために急造された産学共同の特異な高校であったため、私はそこで日本の二重構造の底辺に置かれた人たちに向き合うことになった。謂わば、松山は六〇年代後半からの社会の「先端的な現在」に向き合ったのに対し,私は先端とはほど遠い「取り残された現在」に付き合うはめになった。このちがいは本書で、村上春樹の理解に対する私の「遅れ」をまざまざと見せつけられた。それについては幸い見事な神山睦美の論が本書に附載されているので、そちらを見てもらうことにして、戦後七〇年のとりどりの「現在」にどう三人が挑んだかを収載順とは逆に、時代順に見直してみたい。

 「嘘つきみっちゃん」に始まる松山の井上光晴論の書き出しは秀逸である。松山はそこで井上は少年炭坑夫を自称したが、実際は炭鉱労働者をしていなかったといい、旅順生まれと云うが、九州は久留米の生まれであったと、川西政明の先行する仕事を踏まえ、次々と井上の嘘を暴露していく。それは経歴詐称と小うるさい「現在」に荷担するのではなく、「井上光晴の人生の虚構化はある種の必然性がある」と虚構論を深めてゆくことにある。谷川雁は最後の井上との対談で、二人が越えたものが「どうも水に溶けやすい、軽い相手を選んで越えたのではないか」とする発言を松山は抽出している。それは二人の見事な自己批判になっている。今から思えば、あんな「前衛」を問題にしてきたこと自体が、時代遅れに見える。しかし、それとの対決なしに道がつけられなかった過去が確かにあったこともまた事実なのだ。そこに五〇年問題を扱った『書かれざる一章』や、長崎の原爆被爆者を差別する被差別部落を虚構として描いた『地の群れ』の意義があった。その井上は出家する瀬戸内寂聴の最後の晩につきあったとするエピソードを松山は挟むが、井上の最後の旅立ちが、全身に次々と転移癌に侵されて行く、凄まじい偽れない姿を最後まで見届ける松山の巧まざる対比が、私には印象的であった。

大江健三郎は、イメージ豊かな『芽むしり仔撃ち』のみずみずしい表現に出会って以来、三人の中では私はもっとも親しんだ作家になるが、松山はその大江文学をセックスとテロリズムをテーマに、如何に果敢に「現在」に挑戦したかについて熱く語る。わけても、戦中まで大江自身にあった右翼少年を取り込んで、私と同年の山口二矢の浅沼委員長刺殺事件にヒントをえた『セヴンティーン』が、右翼の槍玉に遭う逆説は、自瀆と山口二矢を重ねたところにあったとされるが、それは戦後の自立できない右翼思想の衰弱を象徴しよう。その作品が作品集に収録を見ないのは、作者の意志ではないことを確認しておきたい。その一方、鹿砦社が著者の了解なしに深沢七郎の『風流夢譚』と同時収録し、『スキャンダル大戦争②』や『憂国か革命か』として出版されているとする松山の報告を聞くのは嬉しい。「現在」に対する抵抗は、著作権や左右に関係なく、山猫式に展開さるべきことをこれは教える。ところで、大江の妻は映画人・伊丹十三の妹だが、伊丹は暴力団の脱税を扱った『ミンボーの女』で当てるが、それゆえに自身は右翼に襲われ、三ヶ月の重傷を負った。その数年後、伊丹は女性へのセクハラ疑惑をかけられ自殺したとされてきた。しかし、それを自殺とするのは警察で、それをマスコミがふり撒いたので、大江はそれを警察と右翼の合作と疑っているのを松山は書き留めている。これらの事件は「現在」に挑戦する作家にだけに起こりうる事件であったことを改めて確認したい。その大江の作品を、私は『個人的な体験』を最後として遠のいた覚えがある。それを松山は、そのとき訪れた大江自身の転機が何であったかを松山は「戦後の弱者への回帰」であったと丹念に裏付けている。それは井上光晴が「社会の仕組みと共存できない文学に賭ける」としたと同様に、「現在」に挑戦する限り、これら作家は日々、難しい選択を迫られているわけだ。

村上春樹の『ノルウェイーの森』を論じた評論の中に、男女が出会うや、たちまちくっつくのに「ついて行けねぇ」とするコメントを松山は拾っている。そこには男女の肉体関係をリアルにしか考えられない人への、松山の「世界と自分との関係を、女と男の恋愛小説として描いた」のだとする軽いジャブがあり、七〇年代以後の消費資本主義社会での関係性への確かなまなざしを感じる。

しかし、その大衆消費社会の末端で、全国各地の中卒女子生徒が家計を助けるために女工となり、薄給から仕送りするのを私は三〇数年見続けてきた。そのけなげさを弄び、腹が膨れた生徒の中絶に、私は何度と父親代わりをつとめる「汚れた教師」となり、そのたびに校長室に呼び出される始末であった。その中卒生徒の堕胎のリアルさを引きずっては、直子とワタナベ君の不可能な関係性すら、すらすらと書ける村上春樹の才能に圧倒されながら、その軽さにどうしても馴染めなかった。

しかし、松山にとっては、村上春樹は同世代の大学生であり、全共闘体験を共有できる作家であった。松山はマルクシズムを引きずるとはいえ、その本質はシステムへの対決であったとする見解に、村上春樹とともに十分に共感しあえるしなやかさをもった。大学闘争が大学改革に結びつくことなく、大学人によるシステムの回復要請を警察官の導入をはかり決着をさせた経緯はそれを立証する。その決着は八〇年代以後の自己責任が強調される新保守的主義の台頭をすでに暗示していた。

松山がマルクシズムへの理解をもちつつ、それにとどまらないしなやかな思考を村上春樹と共有できたことは、全共闘運動の挫折に連続して訪れたソフトタッチの消費資本主義社会に対応しえたことを意味する。村上春樹がアルバイトに始まり、ジャズ喫茶を経営し、七年かけ大学を卒業した経緯に、私は全共闘世代と地続きにあった村上春樹のしたたかさをもっとも感じた。村上自身が文体はリズムだとするところに、ジャズとの深い関わりを感じたが、それへの松山の言及がないのが唯一、本書で物足りなく思えたところである。

由来、小説家は虚構をもって「現在」に挑戦し、批評家はその意味を鮮明に浮き彫りにし、その前途を明瞭に照らし出すところに、日本の近代批評は切り拓かれてきた。松山は三人の作家の小説を通じての「現在」の解析は、この七〇年に及ぶ戦後の凄まじい変容を見事に浮き彫りにしつつ、作家が精魂傾け、どのように挑戦したかを見事に裏付ける快作を結果した。これに続く老獪な知恵者は誰か!(2016.7.4)