宿題 | アルコール依存症のなれのはて

アルコール依存症のなれのはて

アルコール依存症で何年もまったく交流のなかった独身、一人暮らしの 弟が脳出血で倒れ、高次脳機能障害を発症しました。

「◯&%※お誕生日よね?」

電話は母でした。

早口で上ずった声なのは、緊張しているからかもしれません。

 

12月の私の誕生日に電話をもらったのに、また誕生日の電話をしてくるなんて、もしかして母は認知症なのかとギョッとしながら話を聞いてみたところ、私ではなく私の夫の誕生日だと思って電話してきたようでした。

夫の誕生日は確かに4月(当時)ですが、母が電話してきた日ではありません。

この日が夫の誕生日だと母のメモ帳に書いてあったと言っていましたが、ともあれ母には私に電話するきっかけが必要だったのでしょう。

 

12月の私の誕生日の頃に比べれば、私の母に対する気持ちは落ち着いてきていましたが、それでも私達は私の夫の誕生日を祝ってもらうような関係ではありません。

 

私「今後あなたとどうやって付き合っていくかまだ決めかねている。」

母「また◯◯(弟)に会いに行きたいので、申し訳ないんだけど機会があれば一緒に連れて行って欲しい。」

私「◯◯の施設は年末にコロナの集団感染があったのでまだ面会できない。

この前面会できたのは、会うのが40年ぶりということで施設が特別に認めてくれたから。」

 

母は弟に面会できないことが実に残念そうで、弟のことをとても心配していたので、

私「あなたはそうやっていつも◯◯のことを心配しているけれど、私のことは心配ではないのか?

私にはあなたから心をかけてもらった記憶がない。」

母「そんなことない。私はいつもあなたのことを考えているし、今は毎朝あなたからもらった写真に向かって話しかけているのよ。」

私「それはあなたが一方的にそうしているだけで、私には何も伝わらない。

あなたには母親として娘を思いやる、という気持ちはないのか?」

 

母は、私の言っている(母親として娘を思いやる)というのがどういうことなのかよくわからないと言うので、

私「それでは少し具体的に説明します。

例えば私があなたに『母親を頼れなかったお産はものすごく大変だった。』と言った時、あなたは私に『そんなに大変だったのなら、仲良くしている従姉妹たちに連絡して手伝って貰えばよかったのに。』と言いました。

そして私が◯◯(弟)に関わった、この10年間の苦労話を話した時は、『それなら私に電話して助けを求めればよかったのに。』と簡単に言ったよね。

この二つの例は、私には『従姉妹に助けを求めなかったあなたが悪い。』『私に電話しなかったあなたが悪い。』と聞こえるの。

私が聞きたいのはそんな陳腐なアドバイスじゃなくて、ただ私の気持ちを思いやって欲しいだけなの。」

 

母は私がここまで説明しても、(母親として娘を思いやる)と言うのがどう言うことなのかよくわからないそうです。

私「それでは、これは私からあなたへの宿題とします。

毎日暇で時間はたっぷりあるだろうから、(母親として娘を、娘の気持ちを思いやる)とはどう言う事なのか考えてみてください。」

外出の予定があったので私の方から電話を終わらせましたが、なんと1時間もこの(母親として娘を思いやる)について話してしまいました。

 

そういえば、私は子供の頃から母に同じことを求めていたのだというエピソードを色々思い出しました。

例えば高校生の頃、期末テストをサボって同じ高校の仲良し4人組で海を見に行ったことがありました。

当時の私の友人達は皆複雑な家庭環境で、期末テストの冬の日に電車をいくつも乗り継いで海を見に行く理由もさまざまでした。

私は当時は自分でもなぜそんな幼稚な反抗をしたのかよくわかっていませんでしたが、今ならただ母に心配してもらいたかっただけだったのだなとわかります。

 

疲れるわ〜

 

 

 

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