弟を病院に連れて行きました。
結果、弟の痔はそれほど悪くはないそうです。
誰にでもあるレベルだと。
ただし弟の場合は、肝硬変で血流が悪くなることによってできる食道静脈瘤と同じようなものが、直腸付近にできたものだそうです。
肝硬変の人に多い症状なんだとか。
弟は血小板の値が低いので、手術はできないそうです。
手術をすると大量出血し、”大変なことになる”らしいです。
なので便秘、下痢をしないよう食生活に気をつけて、薬で様子を見るしか方法がないとのことでした。
この日の医師からは、アルコール性肝硬変なんだから仕方がないでしょみたいな雰囲気がありありと感じられ、居心地が悪かったです。
診療もあっという間に終わってしまいました。
診察室を出た後、弟はボソッと「それじゃ、俺はこれからずっと紙パンツを履くしかないのか。」と呟いていました。
この日の弟は機嫌が悪くなかったので、ずっと確認したいと思っていたことを聞いてみました。
私「今回はそれほど悪くなかったけれど、今後大きな病気だと言われたら、どこまでの治療を希望する?」
弟「そりゃ、病気なら治してもらいたいよ。」
私「それじゃ、例えばガンだとしたら、抗がん剤を使った治療を希望する? 辛い副作用があったとしても受け入れる?」
弟「そんなこと急に聞かれてもわからない。」
私「あっそう、それじゃよく考えておいてね。」
実は私は、弟が肝硬変から肝臓ガンを発症したり、他のガンになったとしても、抗がん剤などの積極的な治療は必要ないのではないかと思っています。
以前弟がリハビリの病院に入院していた時、主治医から最終的には肝臓移植をするしかないと言われていて、それに対して私は「これが息子であれば何が何でも助けたい、臓器移植も受けさせたいと思うが、弟にはそこまでの気持ちはありません。」と答えています。
この気持ちは今でも変わっていません。
私には闘病する弟を精神的にも経済的にも支える自信はありません。
しかし、私が一方的にそう思っていても、弟本人が抗がん剤などの治療を積極的に受けたいと思っているなら、それを否定する権利は私にはありません。
今まで通り、私は私にできることをするだけです。
この日弟と話していて、弟が私の長女の年齢と誕生日を覚えていたことを知りとても驚きました。
長女が生まれた頃は、私達はまだ弟と交流がありました。
その後私の中で弟は存在しない人となりましたが、弟にとっては私や私の子供達がそのまま家族として存在していたのでしょうね。
この日のことを長女とも話しましたが、長女は弟がアルコール依存症になってしまったことを含めて、弟を哀れに思うと言っていました。
私からは、「哀れに思うだけでなく、反面教師として弟のようにはならないよう心してほしい。」と娘に伝えました。