(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)
●1/25(金)
娘がすでにインフルエンザA型に罹患していて、まもなく外出禁止が解かれようとしていた。
この日、息子は朝から38℃の発熱があったため、保育園を休んだ。
とうとううつってしまったか…
そんな気持ちだった。
発熱してすぐに病院を受診すると、インフルエンザの検査が陰性になることがある。
そんな変な知識?があったので、すぐに病院には行かなかった。
(この日は夫が休みを取ってくれ、私は出勤した)
昼過ぎ、熱が40℃になったと夫から連絡が来たので、もう待たずに病院を受診することに。
娘の外出禁止が解かれていなかったため、私が仕事を早退して病院に連れて行く。
結果、インフルエンザA型が陽性になる。
タミフル、解熱剤をもらい帰宅。
熱はあったが、息子に変わった様子はなく普段通りだった。
夜、熱で眠れないとツライかなと思い、解熱剤の座薬を使用。
冷えピタや氷枕も用意し、就寝。
●1/25(土)
1:00過ぎ
ふと目を覚ますと、隣に寝ている息子も目を覚ましていた。
「どうしたの?お茶飲む?」と聞くと
「うん」と言うので、お茶を飲ませた。
なんだか胸騒ぎがしたので、そのまま息子の様子を見ていると、やっぱり痙攣が始まった。
うつ伏せの体制だったので、窒息しないように観察し、落ち着いたところでゆっくり仰向けに。
まだ息子は苦しそうに痙攣していた。
身体には触れず、優しく名前を呼んだ。
「◯◯ちゃん、大丈夫だよ。大丈夫だからね」と。
賛否両論があるが、かかりつけ医から
「痙攣が止まらないようなら、躊躇わずに救急要請を」
と言われていたので、まず夫を呼んだ。
息子の様子を見てもらっているうちに、私は119に電話。
電話を切ると保険証・診察券が入った手帳やマスクなど思いつきで用意。
簡単な服に着替えた。
息子の元に戻ると痙攣が止まったように見えた。
しかし意識はハッキリせず、目を閉じたまま「んーんー」と唸っていた。
救急車が到着。
救急隊員の方々が息子の様子を確認し、搬送した方がいいと判断。
11月に入院した総合病院への搬送が決まる。
娘は夫に託し、私は息子と救急車に乗った。
病院までは通常の道のりで45分。
深夜の救急車で30分ほどだっただろうか。
こんなとき、田舎住まいは本当に嫌だ。
車中、酸素濃度が良くないのか酸素マスクをつけられる。
息子はときよりピーンと硬直していた。
そして、なぜかずっと歌をうたっていた。
苦しいことから逃れるために、楽しい歌をうたっていたのだろうか。
私は少し恥ずかしくて、救急隊員の人に何度も「すみません…」と謝った。
2:00過ぎ 病院に到着。
搬送された総合病院は小児科医が24時間いてくれる。
診てくれた医師も小児科医だった。
インフルエンザA型に罹患していることなど、状況を説明。
熱性痙攣と判断され、ダイアップ座薬が入れられた。
息子は病院に着く直前にようやく私と目を合わせることができた。
救急隊員の人と医師の話によると、20分は痙攣が続いていたらしい。
「痙攣重積」ということで血液検査も行われた。
検査の結果、大きな異常はなく、様子見ということになる。
数日前、小学生の男の子がインフルエンザ脳症で亡くなったニュースを見ていたので、インフルエンザ脳症について聞いてみた。
「インフルエンザ脳症の診断はすごく難しい。
現段階では意識もあり、受け答えもできている。
意識障害はないので熱性痙攣と判断する」
とのことだった。
念のため10:00に再診すると言われ、一旦帰宅。
すべての診察が終わったのは4:00だった。
会計待ちのときに、息子に飲み物を買って飲ませていた。
普段通り両手でペットボトルを持って上手に飲んでいたが、その手が尋常でないほどガタガタ震えていた。
驚いた私は看護師さんに伝え、看護師さんも先ほどの医師に伝えてくれたようだが、
「意識があるから痙攣ではない」とのことだった。
「見てもないのに断言するんだ」と驚きながらも、
「これ以上言ってもモンスターなんとかになりそうだな」と納得してしまった。
10:00 自宅に帰り仮眠をした後、再び病院へ。
心配でほとんど眠れなかった。
2回目のダイアップを入れてもらい、診察。
研修医のお姉さんだった。
待合室で「そこにオバケがいるよ!」など不可解なことを言っていたので、少し大げさに訴えてみた。
インフルエンザ脳症のことが頭から離れないでいたのだ。
「上の者に相談します」と研修医のお姉さんは言ってくれたが、結果はやっぱり
「意識もハッキリしていて、受け答えもできているので様子を見ましょう」
だった。
「そうだよね…」
そう思いながらも、モヤモヤした気持ちを抱えたまま帰宅した。
◆◇
救急搬送のときに脳症を疑ってMRIを撮ってくれていれば…
痙攣重積なら入院して様子を見ていれば…
再診のとき、研修医のお姉さんじゃなかったら…
もっとしつこく訴えていたならば…
そうすれば、息子の病気は早く見つかっていたのではないか。
いや、二相性脳症は数日経て症状が出るというから、
このときは何をしても異常は見つからなかったのか。
救急車の中で、苦しいはずなのに一生懸命に歌をうたう息子の姿が、
今でも目に焼き付いて離れないのです。