本当に月日の経つのが早くて、今年も半分が過ぎてしまう...。
毎年、一年のちょうど折り返しにあたる6月30日(昔は陰暦の晦日)に、
京都の多くの神社などで“夏越しの祓”(なごしのはらえ)という行事が
行なわれる。
この半年間の罪や穢れを祓い、次の半年の無病息災を祈願するため、
宮中や諸神社で行われた祓(はらえ)の行事を“夏越しの祓”と呼んだ。
京都の神社では、古くから鳥居の下や境内に茅(ちがや)で作られた
大きな茅の輪が用意され、その輪を潜ったり、人形(ひとがた)を作り
身体をなでて清めてから水に流したりしたという。
今年は、どこの神社にお詣りするか...と暫し迷ったけれど、
やはり、足腰の衰えを痛感し始めたオヤジとしては、「足腰の神様」
として信仰が篤い護王神社へと足を向けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆護王神社
護王神社は、烏丸通を挟んで京都御苑の西側にあり、「いのしし」の
神社として親しまれている神社。
桓武天皇の平安京遷都に貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)と、その
姉の和気広虫(わけのひろむし)が祀られている。
また、猪に助けられた清麻呂公の足の怪我が治ったことから、足腰の
病気・怪我の回復にご利益があるとのことで有名。
奈良時代末期、当時の実力者・弓削道鏡が、偽のご神託によって、
天皇の位を我が物にしようとした事件が勃発。
和気清麻呂が、真のご神託を天皇に奉じてこれを阻止したが、道鏡に
より足の腱を切られたうえ、九州の山奥に流刑となる。
九州に下る途中、道鏡の刺客から襲われるなどの危険に遭うが、突然、
山中から現れた約300頭もの猪(いのしし)が清麻呂を守り、道案内を
したという。
その後、清麻呂が悩んでいた足萎え(あしなえ)の病が不思議なことに
治って、歩くことができるようになったと伝えられ、この故事から、
足腰の神様として広く崇敬されている。
猪に挟まれた鳥居を潜って境内に足を踏み入れると、手水舎でも
猪さんが迎えてくれる。手水鉢の中は紫陽花の”花手水”。
境内の正面には、立派な「茅の輪」。
その右横には、茅の輪の潜り方の説明も。
この日は、なぜか女性の参拝者の姿が目立った。
境内のあちこちに「猪」の置物や彫刻などが奉納されている。
招魂樹(御神木?)の根元には、こんなに多くの願いを記した
願い札も...。
護王神社を後にして、京都御苑の中を歩き、閑院宮邸跡などにも
立ち寄りながら、もう一つ、寺町通の下御霊神社の「茅の輪」潜り
も訪ねてみた。
◆下御霊神社
ご祭神は早良親王以下の八所御霊(はっしょごりょう)。
貞観5年(863)の神泉苑御霊会(しんせんえんごりょうえ)の祭神を
下出雲路の地に祀った後、天正18年(1590)に豊臣秀吉により
現在地に移されたという。
護王神社とは打って変わって、ほとんど参拝者の姿が無く、
閑散というより、静寂...そのもの。
歴史的にも大変由緒ある神社なのに、どうしちゃったんだろう
...と思っていたら、一人の若者が茅の輪潜りの参拝に。
寺町通りに面した鳥居の下に鎮座しているのは、10数年前に
ネットなどで人気に火がついて、若い女性達がカメラを携えて
押しかけるほどの大ブームだった「笑う狛犬」クン。
そして、“夏越しの祓” に欠かせないのが「水無月」という
季節菓子。
「水無月」とは暦上で6月のことを指すが、なぜ和菓子にも
同じ名前をつけたのか、その由来は、旧暦6月1日に氷を
食べて夏バテを予防するという風習からだという。
それは、元々室町時代の宮中で行われていた行事。
しかし、当時の庶民には、この行事を行って暑気払いを
するために高級品である氷を入手することはできず、その
代わりに氷に似たお菓子を食べて、夏バテ予防をした。
それが和菓子水無月の始まり。
三角形の形は氷の欠片(かけら)や氷の角を表し、小豆は
邪気払いや悪魔祓いという意味で乗せられている。
今年は、自宅近くの「みずは北川」さんで「白」と「黒糖」をチョイス。
他に「抹茶」もあり。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
護王神社は、かなり多くの参拝者で賑やかだったけれど、
下御霊神社の参拝者の少なさは少々驚き。
五月の例祭での神幸祭・還幸祭などでは、つい最近も、
かなり賑やかに挙行されていた様子を目にしていただけに、
この閑散とした風景は寂しさを感じた。
ここ数年、立ち寄るたびに感じていた、建物や境内の
管理がちょっと行き届いていない...のではとの
懸念が招いている実情でないことを祈りたいが...。