「今の高齢者世代からすれば「結婚なんてお金の心配などせずに当たり前のようにできたものだった」と思うかもしれません。」なんて不届きなことをいう輩がいる。

 自分たち世代の何を知っているというのだろうか。

 自分が就職した当時の給料は3万円。

 税金は覚えていないが、組合費3千円、寮費(朝食・夕食付)1万2千円、職場の互助会のようなものの会費や税金などを合わせれば、手元に残るのは1万円程度だった。

 そこから昼飯代。

 それにチョットした背広2万円、コート・腕時計1万5千円、革靴1万円、ワイシャツ3千円、下着500円、スナック(ボトルキープなし)3千円、角さん1,500円、近所の親子丼350円等々。

 何を買うにも、通い帳や月賦やツケのお世話になり、ハネ品屋のお世話になり、給料も上がれば物価も上がり、多くはボーナス払いという生活。

 年金や健保を背負った団塊世代。

 そんな中で、将来の夢や希望があったから結婚したわけではないし、ニクソンショックがあったが、23歳で本当に好きだったから結婚して、直ぐに子供ができた。

 結婚式は会費制で、全て会費で賄った。

 そういう時代。

 結婚後に初めて妻に渡した給料は、扶養手当はあったものの、手取りで2万5千円だった。

 彼女は地方の出だったから専業主婦で、かぐや姫の「神田川」そのものの生活。

 新婚旅行は、金がなかったから、ちょこっとぶらり旅で終わり。

 まだまだ若者の給料が安かった年功序列時代ど真ん中で、通い帳や月賦がなければ、本当に生きて行けない時代だった。

 それに第一子が生まれたら第1次オイルショック、第二子が生まれたら第2次オイルショック。

 一生懸命真面目に我武者羅に働き勉強して、大卒ではないが30代で係長、40代で課長、50代で部長になって55歳で退職し、第2の人生に。

 その後8年間働き年金生活へ。

 お金の心配をせずになどといわれるとはね。

 自分たちの時代、家なんて退職金目当てで立てるものだと思っていた。(実際、自分も含め殆どの人の住宅購入年齢は45歳は超えていたし、今のように若くして住居を構えれる人は一握りの金持ちのボンボンだけだった。)

 それでも少しは余裕ができたのは課長になってから。

 でも自分たち世代から、50歳前後からの給与は大きく抑制され若者に振り向けられ、ボーナスや退職金も大きく目減りが始まった。

 頭数の多い世代は、何時も搾取の対象だった。

 そういう時代を生きてきた自分から見れば、今の若者なんて天国にいるようなもの。

 金がないから結婚できないなど、何を考えているのだろうって思う。

 本当に好きなら結婚すればいい。

 その先は、2人で努力して頑張ればいい。

 好きな2人なら、苦労なんてないはず。

 

*自分の30代~40代の平均睡眠時間は4時間半、多い時の残業は度々250時間を超え(但し支給残業代は月10時間程度、そういう時代)、夜寝る前に1~2時間読む蔵書(勿論専門書とビジネス書)はピーク時2,000冊を超えた。

*亡くなった中村メイコ氏が、「1日3時間寝れば大丈夫」といっていたが、自分はそれには及ばなかった。ただ、3日間貫徹(80時間連続労働)は自分の最長労働時間記録。

*結婚して日曜日にはたまに妻の買い物のお付き合い。スーパーかと思いきや、スーパーでは売らないハネ品や期限切れ真近の物を売っている小売店巡り。やっぱり稼がなきゃって思った次第だ。