何にでも区別はある。
それは仕方のないことだと思う。
超一流大学卒は超エリートコース、高卒は一般職か技工。
既に適正能力、適性年齢等々にランクが生じているのだから、平等に扱えという方が社会の摂理からみておかしいのだ。
それがおかしいという前に、自分は勉学に励み相応の能力を身に付けたか、いや今も勉学や訓練に励み能力向上に一生懸命励んでいるのかを問うべきだろうし、生まれがどうだとかは全く関係がない。
貧乏な生まれでものし上がった人間や偉人は沢山いるし、全方位から「ありがとう」っていう仕事(価値を生んだ仕事)をしていれば、し続けていれば待遇、処遇など後からついてくるものだ。
世の中には、昇進ということがどういうことなのか分かっていない人が多い。
ただいろいろな問題を解決し「ありがとう」っていわれても(価値を生み出しても)、それをし続けていても、昇格はあっても昇進しない人たちが多々いる。
その違いは何か?
それは経営管理能力や部下の教育・管理能力があるかだ。
自分は長い間、プロジェクトリーダー的業務をし、多くの課題解決・問題解決をしてきたが、自分には欠けるものがあることは分かっていたし、それをやる覚悟もなかったし、故に〇〇待遇という昇格はあったが、□□長という昇進には縁が遠かった。
自分は、総合職、専門職、一般職の中の、専門職性が強いプロジェクトリーダー的業務に磨きをかけ、その緊張とスリル、より深く勉強・研究し、グループを率いて難題を解決し、その達成感に喜びを感じていたといった方がいいのかもしれないし、プロジェクトがなければいたって一般社員だったのだろうと思う。
自分の能力や適性がどうなのかを客観的に考えれば、自分が力を発揮し、たどり着ける相応しい地位・役職だって見えてくるはずだ。
社会人にもなれば、不平不満をいう前に、自分がどうなのか、自分がどういう人間なのかを客観的に十二分に考え理解する必要があり、不足があるならそれを埋めるべき努力に励むことが先だろう。
自分は超一流大学出でも三流大学出でもない、極めて貧乏な家庭に育った人間だ。
自分から見れば、給料や処遇で不平不満をいう人間の、99%は「ありがとう」っていわれるための努力が全くなっていないと思う。
*「ハングリー精神」という言葉はもう死語になっているのかもしれないが、それが心にあるだけで力が湧いてくる。