仕方ないだろうね。
昔のように、本家とか分家があり、脈々と続いている家系があるなら続ける意味があるのかもしれない。
しかし日本は、中卒が金の卵だった時代から、核家族を経て、家族の全国分散が繰り返されている。
親の家は親の世代で終わり、自分の家は自分の世代で終わり、子供の家は子供の世代で終わるのだ。
昔なら一族郎党だったのだだが、今は6親等など、1親等・2親等を除けば、会ったこともない殆ど他人。
法律上の、
・1親等 | 配偶者の親、子の配偶者 |
・2親等 | 配偶者の兄弟姉妹、配偶者の祖父母、孫の配偶者、兄弟姉妹の配偶者 |
が精々血族といおうか一族だろう。
3親等なんていったら、両親の関係で冠婚葬祭であったことがある程度。
自分の先祖を敬わないとか、自分の先祖に興味がないとかという話ではなく、兄弟も子も孫も代々全国に散らばっていて、本家・分家の習慣もなくなっていて、とんでもない遠隔地の墓守や、代々の墓の移転など、親自体がもう望まない時代になっているのだ。
特に北海道ではそうだと思う。
自分(長男)の家にも、亡くなった母から引き継いだ、小さな仏壇と生まれ故郷の納骨堂がある。
北海道にやってきた曾祖父母のことは自分でもよく分からないし、引き継いだ仏壇も納骨堂も、道外にいる長男に引き継ぐ気はさらさらない。
そういう時代なのだと思う。
孫が何時か、自分の父(息子)の家の仏壇(引き継いだ仏壇ではない)か何かの近くにある写真などを見て、「昔北海道のじーじ、ばーばの家に行って花火をした」などと思い出して、自分の子供に話ししてくれればいい。
それだけでいい。
妻とも、自分が生きている間に、納骨堂じまいと永代供養、それに仏壇じまいすることを話している。