8月も既に下旬。栗山町にある拙宅の個室についてはAir conditioner(エアー・コンディショナー、エアコンとも)がことし4月に設置されたので必要に応じて稼働させて暑さを凌いだ。

 

 北広島市某所にある仕事の拠点の個室にはこれが付いていないけれども、廊下に設置されているこれの冷気を個室に入れながら寝る手があるのでこの手をことしも使っている。朝は幾分か涼しくなった感もあるけれども、日中と夜とはまだ暑いときがあるので温度差への十二分な注意が必要だ。僕の場合は鼻の調子が崩れるとそこから所謂「風邪」若しくはそれに近い症状などにつながってしまい易い傾向を感ずるが、今週は水曜日からきょうにかけて「温度差」に起因してクシャミが一時的に止まり難(ニク)くなる現象が起きた。加えて入浴後の暑さがまだ暫く続いている印象を受けるので、「特に夜の入浴後はエアー・コンディショナーを必要に応じて稼働させる必要があろう」と感ずるときがある。勿論ひと言で「温度差」といっても様々な事例があるけれども、今週はエアー・コンディショナーの稼働の有無に起因する屋内外の温度差を感ずる傾向だった印象を受けている。

 

 来週の日曜日からは9月に入り、「秋」(Autumn)が本格的に始まる。とは言っても今週の日中はまだまだ暑く感ずるときがあり、最近の傾向としては9月になって間もない頃の残暑が昔より遥かに厳しい。それ故、9月上旬はまだエアー・コンディショナーを必要に応じて稼働させることが大切だろう。お風呂上がりは特に。また、秋は僕にとってChristmas(IPA:[kr̥ɪ́sməs] Xmasとも綴る)へ向けPrivateが忙しい。本稿執筆時点に於いては9月1日からことしのChristmas card([kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ɚd]若しくは[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ːd] クリスマスカードとも)の本格的なデザイン作業を少しずつ始める方向で検討中なので、体調をきちんと管理する必要がある。「9月から作り始めるのは早過ぎるべさ~」などというお声などが想像されるが(勿論ご意見としては解る)、この北海道でもここ幾年(イクネン)かの間で盛んに行われるようになりつつある印象を受ける“Halloween”([hæ̀ləwíːn]若しくは[hæ̀ləʊíːn] ハロウィーン、ハロウィンなどとも)やそれに関するイヴェントなどに「抵抗する」狙いが1つあるから9月に入ったら少しずつChristmasを意識し始め、Christmas cardのデザイン作業(本稿執筆時点に於いては11月上旬の完成を見込んでいる)を少しずつ進めていくのが通例となりつつある。

 

 いずれにしてもまもなく9月になるので、暑さがある程度おさまって欲しいのが正直なところだ。

 記事・『結婚よりも大切なこと』(¶1を参照せよ)に於いても申し上げている通り、「社会に於ける女性の地位の向上」や「男女同権」への献身のチャンスは「女性との結婚に必要な能力が無いからこそ」神さまが備えて下さっている。

 

 巷(チマタ)に於いて最近比較的よく聴く「熟年離婚」について、「社会に於ける女性の地位の低さ」に原因はまず間違いなく1つある。僕もこれまでに「男はこのようにあるべし」などと繰り返し言われながら育った為「女は家庭、男は仕事」という価値観が深く根付き、それを破壊し捨てる為の苦労の原因がここに1つあるかも知れない。誤解を恐れず正直に申し上げるなら僕も可能な限り積極的に家事(exempli gratia:洗面台の清掃、ゴミ出し、食器洗い、洗濯、et cetera)を行いたい。無論人間「でしかない」ので能力には必ず限界があるけれども、この事実を受け止めつつ僕たち男も可能なところから・可能な限り積極的に家事を行う必要があろうと感ずる。夫婦(メオト)として上手くやりたいなら。また、僕も1人の男として社会に於ける女性の地位の向上に必要なことを可能な限り積極的にしなければならない。僕の場合は女性との結婚に必要な能力が無いことを踏まえ、これを諦めなければ社会に於ける女性の地位の向上への道は閉ざされてしまう(id est:社会に於ける女性の地位の向上こそ、結婚より重要だ)。更に、巷で最近よく聴く「卒婚」の原因としてもこれが1つ間違いなくある。

 

 勿論限りある地上の命を未婚のまま通すのは「本望」でないけれども、神さまのご計画の成就に献身するには「僕の本望」を犠牲にしなければならない。そして地上の命に於ける女性との結婚より何倍も重要な使命を背負っているからこそ地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに素晴らしい神さまのご計画が用意されていて、何度も繰り返し申し上げている通りCTS(New Chitose Airport)へ旅客機を撮りに帰還する度にこれ(vide infra)を目の当たりにしている。

 

 

 

このうち1枚目として掲載したTHA(Thai Airways International)在籍のB-8-9(Boeing 787-9…撮影日は掲載写真を参照せよ)は僕にとって初めての組み合わせだ。また、ANA(All Nippon Airways)在籍のA320 NEO(Airbus。この断りは省くのが普通。また、NEOはNew Engine Optionを表す)を同じ日に2機撮るチャンスを得られるとは想像さえしなかった{2番目に掲載したA320 NEOのレジ(Registration number 登録番号)はJA218A、4番目のレジがJA220A}。以前も申し上げたかも知れないが、ANA在籍のA320 NEOは基本的にインター(International line 国際線)に専従するのでCTSに於ける撮影チャンスが無い。ただ、このときは2023年11月に帰還して以来7か月振りにANA在籍のA320 NEOの撮影チャンスに恵まれたので、このとき改めて「女性との結婚より何倍も素晴らしいご計画」の存在の確信がより強まった。同時に、社会に於ける女性の地位の向上に「どのように献身するのか」についていま1度神さまから問われていることをも痛感している。

 

 当然、神さまを僕の奴隷としてしまうのは避けなければならない。その為には「神さまのご計画の成就への献身」への意識をより強く持ち、「僕の本望」をキッパリ諦めることが大切な点を改めて痛感する僕だ。

 何度か繰り返し申し上げている通り、ハッキリしていることは「神さまにある道を外れなくない」点と「子を持ちたくない」点との2点だけだ。


 おととい、かかりつけの心療内科の先生を通し「子を持ちたくても持てない」ケースや「性行為をしない」ケースなどが例示された。近年は巷(チマタ)に於いて「セックスレス」という事柄が離婚原因の1つとして取り沙汰される印象を受けるけれども、もし結婚に導かれ結婚生活がいざ始まろうものなら「どうしても」と言われることが必ず考えられる。もし「どうしても」と言われれば(あくまでも「どうしても」と言われる場合だ)せめて「手をつなぐ」・「抱き合う」・「見つめ合う」・「キスをする」くらいはするだろう。また、その心療内科の先生を通して「結婚と出産は異なる」というご指摘と「結婚して夫婦(メオト)となる男女が必ず子を持つとは限らない」というご指摘とを賜り、普段通う地元の教会の牧師先生を通しても何年か前に同じご指摘を賜っていたことについてきのう漸く思い起こしたところだ(>_<)。無論、子を持ちたくないなら「避妊具」を上手に用いる手があるにはあろうけれども、これで必ずしも妊娠を防げるとは限らない。尚且つ、歳を重ねれば重ねる程「広汎性の発達障害」が重くなっていくばかりである現実を踏まえると、これの特性の表面化に起因する離婚があり得る。


 最も痛い点は「広汎性の発達障害」を抱えながら限りある地上の命を歩む当事者でありながらこれが一体全体どのような障害なのかについて具体的に理解していないところ(id est:当事者は十二分以上に理解しなければならない)。無論僕は人間「でしかない」ので能力には必ず限界が存在する。ただ、能力の及ぶ範囲でありとあらゆる事柄について想定をしておかなければそれこそ夫婦として上手に生活していけない。無論これらをすべて避ける為の手として「生涯未婚」は1つあるけれども、確かに「生涯未婚」が「『唯一の術』などと申し上げてしまうのは性急に過ぎよう」と感ずる(そのように申し上げてしまうつもりは金輪際あり得ない)。勿論「既婚者は全員神さまに反逆する者」などと申し上げてしまうつもりもまた金輪際あり得ない。中には神さまの導きにより夫婦となる方々や同じようにして子を授かり育てる方々がいらっしゃるからだ。ただ、僕の場合は限りある地上の命を生きるにあたっての女性との結婚に必要な能力が備わっていなく且つどれだけ努力してもそれがモノにならないように作られた存在であることがことし漸く明らかになった感がある。それ故、僕は限りある地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに重要な使命(具体的にこれが何なのかをわからない点は、確かにつらい)を背負っている点が解る。


 何れにせよ、僕には「生涯未婚」以外に道が無い。女性との結婚よりも遥かに重要な使命を成し遂げたなら、未婚のまま潔く死ななければイエスさまに顔向けならない。

 最近はことある毎にFelix Mendelssohn(IPA:[féɪliːks méndəlsən]若しくは[fíːlɪks méndəlsən] 1809~1847)が書いた『無言歌集』(Songs Without Words)の中にある『葬送行進曲』(Funeral March)を、栗山町にある拙宅のピアノで弾くときが増えている印象を受けている。

 

 「Satan([séɪtn] 敵対者。サタンとも)の息の根を止める為、またSatanが付け入る隙を作らない為の力となれば」という思いからことある毎にこの『葬送行進曲』を演奏しているつもりだが、普段通う地元の教会のピアノでもこれを弾いてしまうときがあり、これがそこへ集われる方々にとって「苦痛」と感ぜられてしまう傾向にあるようだ(>_<)。そこで「何の為にこの『葬送行進曲』を弾くのか??」という点についていま1度厳しく問い直そうと感ずる。何度か繰り返し申し上げている通り、限りある地上の命に於ける女性との結婚をキッパリ諦め「生涯未婚」を決意したにもかかわらずこれを諦め切っていない危険性が1つ考えられる。その根本的な原因として心のどこかに存在する「これで本当に良いのだべか?」という思いの存在がある。これもまた何度も繰り返し申し上げている通り、僕には限りある地上の命に於ける女性との結婚に必要な能力が備わっていない。それ故に「これで本当に良いのだべか?」という思いを破壊して捨てなければならない。この思いを破壊して捨てる為にも意識を「死」へ向けて、そこから「この『葬送行進曲』を弾けるようになろう」という思いを持つきっかけとなった可能性がきょうになって濃くなった。

 

 「子を持ちたくない」思いがハッキリすればするほど限りある地上の命に於ける女性との結婚について現実味が無くなる。あまつさえ、歳を重ねるほど「広汎性の発達障害」は重くなるばかりなのでこの自覚の芽生えた辺りで潔く去勢手術を受ければ良かったかも知れない(このことに大変強い罪悪感を覚える)。普段通う地元の教会で洗礼をお受けして何年か後(ノチ)に心理的去勢手術を施して下さった教会員の方はいらっしゃるが{その方には心より感謝しているm(_ _)m}、もし僕の葬儀でFelix Mendelssohnが書いた『無言歌集』の中の『葬送行進曲』が演奏されて欲しければそれこそ「遺言ノート」に記す手があろう。そして、僕には女性との結婚よりも遥かに重要な使命があり、それをまっとうしたら未婚のままで潔く死ぬしか道はない。以前申し上げた、「僕自身の葬儀の中でこの『葬送行進曲』が演奏されるイメージ」(記事・『結婚を諦め、葬儀へ』¶3を見よ)のもとで練習をするコトそのものは決して悪くなかろうと思うけれども、「態々(ワザワザ)教会のピアノで弾くのは何の為か?」という思いがきょう漸く芽生えてきた。1つ考えられることとして「家族や親族との信仰の大きな違い」がある。

 

 大雑把に申し上げるならば「結婚願望から物理的に遠ざかる為の唯一の手段」が僕にとってこの『葬送行進曲』を弾くことなのかも知れない。

 限りある地上の命を生きるにあたって女性との結婚に必要な能力が無いからこそ、「社会に於ける女性の地位の向上」や「男女同権」などの実現に献身するチャンスを僕は神さまから頂いている。

 

 身近なところでは依然として女性の方々の社会的地位の向上が進んでいない印象を受ける部分がある。「このブログで申し上げてしまうのは如何なものか」と感じてしまうが、「結婚したら女性は家庭を守らなければならない」という意識が僕の中の何処かに依然深く根付いてしまっている危険性が極めて捨て難(ガタ)い。当然僕の力だけでこれがわかる由は無いので、この点をまず神さまに祈り、この意識の存在の有無を神さまに明らかにして頂くことの大切さを痛感する(もしこれが根付いているなら、その深さが明るみになる必要がある)。そしてこれは限りある地上の命を未婚で通す決断を下した僕にとっても大切で、女性の社会的地位の向上と男女同権の実現の為にしなければならないことが山積している。そこでこれらへの献身の為に限りある地上の命に於ける女性との結婚に必要な能力の欠如を踏まえ、これをキッパリ諦めて先述の通り生涯未婚を決意した僕だが、これは本当に最初の1歩に過ぎない(当然、「これらへの献身の為に男性が結婚を諦めなければならない」などと申し上げているつもりは金輪際無い)。そして、女性の社会的地位の向上や男女同権の実現こそが僕にとっては限りある地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに重要な、神さまにある使命だ(id est:ここから僕を引き離そうとする働きこそが、Satanの策略)。

 

 限りある地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに重要な使命を背負っているからこそ、それよりも遥かに素晴らしい神さまのご計画が僕には用意されている(このことへの確信はいつまでも大切にしたい)。また、CTS(New Chitose Airport)へ旅客機の撮影に帰還する度に、地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに素晴らしい神さまのご計画の存在を幾度(イクタビ)も痛感してきた{exempli gratia: CPA(Cathay Pacific Airways: Hong Kong)に在籍するA350(Airbus)の撮影チャンス(vide infra―1枚目)、ANA(All Nippon Airways)が動員したA380のテストフライトの撮影チャンス(vide infra―2枚目)、et cetera}。

 

これらから「僕自身の本望」よりも「神さまのご計画」の成就の方が遥かに大切なことを改めて痛感する僕がいる(>_<)。限りある地上の命を未婚で通すことは確かに本望でない。ただ、これが本望でなくとも神さまのご計画の成就に献身する為に、また神さまより賜っている重要な使命を成し遂げる為には僕の本望を諦めなければならない。さもなくば神さまを僕の奴隷としてしまうからだ(これは必ず避けたい)。そしてその使命を成し遂げたなら神さまの定められる「そのとき」に従順に且つ潔く神さまの御もとへ帰りたい(当然「そのとき」がいつなのかは人間「でしかない」以上知る由が無い)。

 

 とにもかくにも、地上の命を終えるときにイエスさまに顔向けならない事態は絶対に避けたい。それ故、僕にはいま1度、神さまのご計画の成就の為の献身が求められることを痛感する。

 既に8月も後半に入っている。「朝夕か幾分かは涼しくなったか?」と感ずる部分があるが、日中はまだ湿度が高く蒸し暑く感ずる場合がある。

 

 今週は台風{Typhoon(IPA:[taɪfúːn])}や熱帯低気圧(Tropical cyclone)の影響を受けた日が北海道でもあった。両者共に強風や雨のみならず熱気や湿度などをも持ってきてしまう。台風第5号に関しては熱帯低気圧に変わってから北海道で悪さをしたが、このときは湿度が非常に高く蒸し暑く感じた。また、台風第7号についても北海道の南東側の海上を、暴風域を伴って通る見通しが出ているとの旨なので(vide infra:スクリーンショットは何れも『Yahoo!天気』より)風・雨共に気を付けなければならないことをまず感じている。

 

何れにしても、少なくとも僕が中学生くらいの頃ならば考えられなかった事柄が次から次へと起きている印象だ。更に、台風の勢力が衰えるときに、北海道付近でも「温帯低気圧」でなく「熱帯低気圧」に変わることも珍しくなくなりつつある印象を受けるので何かおっかないことが起き続けているように思えてならない。

 

 本来の北海道の気候ならば8月が後半に入れば日中でも少しずつ「秋」(Autumn)を感ずる気温になっても不思議でないはずなのに、日中は依然として「暑い」ときが多く残暑が年々厳しくなりつつあるように思えている。8月になってから少しずつ「秋」を見据えた事柄(exempli gratia:きたる2025年のスケジュール帳探し、Christmas cardの骨格作り、et cetera)を僕も色々と少しずつ進めているけれども、9月以降が本格的に心配になってきた。栗山町の拙宅の個室にことし設置されたエアー・コンディショナー(Air conditioner エアコンとも)が活躍する夜もまだあるので(特に入浴から比較的まもないときにまだ暑く感ずるときがある)、「少しでも早く涼しくなって欲しい(id est:もう暑い日はたくさんだ)」というのがホンネだ。また、この夏は改めて「暑さと湿度とに弱い」ことを痛感する結果となった印象を受けている僕がいる。

 

 もう少しでことしも9月になり、残り少なくなっていく。もうそろそろ「秋」にふさわしい気温になって欲しく感ずるのは僕だけだろうか。

 限りある地上の命に於ける女性との結婚願望から物理的に遠ざかるには「自身の葬儀」へ意識を向けることがいちばんの術であるようだ。僕の場合。

 

 ことしの5月下旬で洗礼をお受けしてから7年が経ったにもかかわらず、限りある地上の命に於ける女性との結婚に必要な能力がまったくモノになっていない(exempli gratia:それを許される為の収入を得る力、傾聴力、空気を読む力、育児能力、et cetera)。それ故に「去勢手術」についていっとき真剣に視野に入れたことがあるけれどもこれを受ける為に必要な費用を払えない。あまつさえ、これを受けても妊娠を必ず防げる訳でない点もInternetで拝読したことがある故に、「子を持ちたくない」意思だけが既にハッキリしている僕には「生涯未婚」以外に子を持たない術が無いのが現実だ。母親を通して繰り返し示される、「女性は結婚したら必ず子を求める」(id est:結婚生活と育児とは切っても切り離せない)という戒めが改めて思い起こされる。先程例示した「女性との結婚を許される為の収入を得る力」については、かかりつけの心療内科の先生を通し「曲がりなりにも仕事をしているのだから、社会人としての確信が必要」・「今の時代は夫婦(メオト)共働きが主流」などというご指摘を賜ったことがあるので「一理ある」と感ずる

 

 8月10日(同月第2土曜日)にCTS(New Chitose Airport)へ旅客機の撮影の為帰還し漸く「息苦しさ」から解放された感を覚えてホッとしたのは事実だが、同時に何度も繰り返し申し上げているように「CTS以外に居場所が無い」現実をも目の当たりにした。そのような僕が限りある地上の命に於いて仮令(タトエ)女性との結婚に導かれても程なく離婚に繋がり、何度も申し上げているように「鵜の真似をする烏」になってしまうだけだ。勿論神さまが烏を鵜に使ってしまうようなお方でない点は理解しているが、母教会の牧師先生を通して賜っている「すべての道が旅客機に通ずる」可能性についてのご指摘を踏まえると限りある地上の命に於ける女性との結婚は愈々(イヨイヨ)非現実的になった感が強まっている。無論あくまでも「例えば」だが未婚の僕がRome(Italyの首都)へ行くチャンスを掴んだとしてもItalyのエアラインに在籍する旅客機やItalyのドメ(Domestic line 国内線)に専従する旅客機たちの撮影以外に楽しみは何も無い。これもまた「例えば」だが、Colosseum(コロッセオとも)を見ている間に「撮りたい」と感ずる旅客機がRomeの空港を発着するときに撮りそびれてしまう方が僕にとっては勿体ない

 

 何れにせよ、限りある地上の命に於ける女性との結婚は、このような僕にとって「御法度」以外の何ものでもない。更に、歳を重ねれば重ねる程障害が重くなっていることを踏まえれば尚更だ。

 「あなた方は災いの日を追い払おうとして、暴虐の支配を引き寄せている。あなた方は象牙の寝台に横たわり、長椅子に寝そべり、羊の群れから小羊を、牛舎からは子牛を取って食べている。竪琴の音(ネ)に合わせて歌に興じ、ダヴィデのように自分たちの為の楽器を考え出す。鉢で葡萄酒を飲み、最高の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。それ故、今や彼らは捕囚の列の先頭を行く。寝そべる者たちの酒宴も終わる。」(旧約聖書『アモス書』Chapter 6,§3~7)

 

 偉大なる天の父なる神さま、あなたのとうといお名前を心よりあがめて、讃美致します。

 

 きょうは79回目の「敗戦の日」でありますが、この北海道の社会に於いては今なお「終戦記念日」という名称となっており、この名称にやはり違和感を覚えます。また、第2次大戦にあってはあなたとイエスさまとを信ずる人たちが投獄される事態があったとの旨をお聴きしており、やはり様々なところで理不尽な事柄が行われていた印象を受けます。また、世界へ視野を転ずればいつ・何を引き金として「第3次世界大戦」を起こしてしまっても不思議でない状況にあることを覚えますので、あなたがアモスを通して示されるこのことが心の奥底にグサリと突き刺さります。同時に、僕たち人間が誰でも何かしらの「欠け」を抱えながら歩む存在である故の「罪」の性質を痛感しております。また、第2次大戦にあっては「核戦争」という事態になり、数多の人たちが突如として命を絶たれる事態も起こっておりますが、ここからも僕たち人間が抱える「罪の性質」が垣間見えます。それ故、「核戦争」・「世界大戦」いずれも僕たち人間が誰でも「欠け」を抱えながら歩む存在である故に犯してしまい得る大罪であり、そのような存在であるが故にイエスさまの十字架の受刑と真正面からいま1度向かい合わなければなりません

 

 どうぞ、僕たち1人ひとりが「世界大戦」や「核戦争」などという大罪を犯さない為に必要な力を注いで下さいますようお願いします。そして、「罪の性質」を僕たち1人ひとりがいま1度事実として受け止め、主よ、あなたに立ち返る為に必要な力を注いで下さいますようお願いします。また、あなたにある平和が、あなたのときに適って必ずや全世界にもたらされますようお願いします。また、1人でも多くの人が広島や長崎を訪れ、原子爆弾投下の真実と核戦争のむごさ・悲惨さ・辛さなどを真実に知ることができますようお願いします。そしてこれを通して「世界大戦」や「核戦争」などという大罪を犯さない為に必要な力をあなたにあって養っていくことができますようお願いします。最後に、このお祈りがこの僕の素直な気持ちをこめつつあなたとイエスさまとへのしっかりとした信頼に基づき、真実にすべてをお任せし、仮令(タトエ)どのような状況下に置かれても真実に感謝を以っておささげするお祈りとなることのできますよう、どうぞ宜しくお願いします。

 

 あなたにすべてを期待し・委ねて、愛するイエスさまのお名前によって、79回目の敗戦の日にあたってお祈りします。

 

アーメン

 台風第7号ができ、「暴風域」を伴う強さに発達する恐れがラジオのニュースなどで取り沙汰されている印象を受ける。

 

 ここにきて4個もの台風ができ(この点は「帳尻を合わせるように台風ができている」と申し上げて差し支えなかろう)、北海道もその影響を受け始めている印象を受けるが、この時期にしては「異状」(Disease of the Earth)という進路を取っているように感ぜられてならない。更に、「日本列島」付近で衰える際に「熱帯低気圧」へ変化することがまずおかしい。本来なら「温帯低気圧」に変化するはずだから北海道付近の海水温の「異状」と申し上げて差し支えない程の高さがわかる印象だ。これを踏まえると、予てより申し上げている「地球の重病」の一層の悪化{Aggravation(IPA:[æ̀ɡrəvéɪʃn])}が解る。このような「異状」気象(一般的には「異常気象」の表記だが、僕が感ずるには「異状」の語の方が相応しい)が続く中でCOVID-19(例の「新型コロナウィルス」)及びその「変異種」(Variants 変異株とも)や「派生種」(Derivatives 派生株とも)のみならず大人の「手足口病」(Hand, foot and mouth disease)などの伝染病の流行などが取り沙汰されていることを踏まえれば先述した「地球の重病」が深刻化するばかりとわかる

 

 何度も繰り返し申し上げている通り、「地球の治癒」の為には「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals 以下、SDGs)の実現からすべてが始まる。何度も繰り返し申し上げている通り地球は既に沸騰し、今や「地球沸騰化」(Global boiling)が起きていると申し上げて差し支えない。にもかかわらず「日本」の政府はSDGsの実現に消極的な印象を受けざるを得ないので、北海道から今、SDGsの実現に向けた取り組みを起こしていかなければ取り返しのつかない事態に陥ってしまう。だからと言って北海道電力泊原子力発電所の再稼働など言語道断だ。「北海道胆振東部地震」の際にもし北海道電力泊原子力発電所(以下、泊原発)が稼働していたならばまず間違いなくそこから放射能が漏出するに違いない(それ故、泊原発の再稼働には絶対に反対する)。そこで、北海道電力(以下、HEPCO)は太陽光発電で生産される電力を積極的に買わなければならない。にもかかわらずHEPCOは泊原発の再稼働にもまた「異状」と申し上げて差し支えない程固執(コシュウ)している印象を受けるので、太陽光発電で生産される電力を積極的に買わなければSDGsの実現への道が閉ざされてしまう。

 

 そこでいま1度申し上げる。地球は既に重病におかされており、そこから回復するか否かはSDGsが実現するか否かにかかっている。僕たちに残された時間はもうない

 きのうから8月も中旬に入り、夏と秋との境目が来た印象を受ける。栗山町にある拙宅の近くでも、トンボの数が増えたりキリギリスの鳴く声が聴かれ始めたりしている印象を受けるところだ(id est:少しずつ「秋」の色が深まっていく)。

 

 秋はひと雨毎に涼しくなり、軈(ヤガテ)これが深まると少しずつ寒くなる。また今の職場に於ける業務は今が最も忙しいが、秋の深まりと共にChristmas(IPA:[kr̥ɪ́sməs] Xmasとも綴るが、X'masなどと書いてしまわないよう注意。クリスマスとも)へ向けてPrivateが少しずつ忙しくなる。ことしのChristmas card([kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ɚd]若しくは[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ːd] クリスマスカードとも)の骨格だけは比較的サクッと作れたので少し安心しているところだ。勿論本格的にChristmas cardを作り始める時期を「待ち遠しく」感ずる部分が心の中の何処かにあるかも知れない。そして、ことしのChristmas cardに「貼りたい」と感ずる写真のデーターを少しずつUSBに抽出するところから、本格的に作り始めるそのときへ向けての準備をもまた少しずつ進めている{無論、打ち出したら(プリントアウトしたら)このブログでも公開する}。

 

 また、秋のうちに2025年のスケジュール帳をまずはInternetで探しておこうとも思っている。ホンネとしてはことしのスケジュール帳(vide infra)をCTS(New Chitose Airport)にあるポケモンセンターで購入したのと同じように、2025年のそれも可能ならCTSにあるポケモンセンター(以下、ポケセン)にて買いたい。

スケジュール帳 2024年 表紙

 

スケジュール帳 2024年 裏表紙

2025年のスケジュール帳の販売がInternetで本格的に始まり次第Internetで購入する手も考えられるけれども、2021年~2023年のスケジュール帳は3ヵ年分連続でInternetでの購入だったので可能なら2025年のスケジュール帳は先述の通りCTSにあるポケセンで購入したいところだ。旅客機の撮影の為におとといCTSへ繰り出したとき、帰り際でそのポケセンに寄ったものの8月だからかスケジュール帳の販売がまだ始まっていなかった{もし販売が始まっていれば買っておきたかった(>_<)}。それ故「可能な限り早めに購入を行いたい」という思いが勝ればインターネットショッピングを利用して2025年のスケジュール帳を購入する方向で、本稿執筆時点に於いては検討を行っている(id est:ポケセンでの購入には、無論執着してしまいたくない)。

 

 何はともあれ、少しずつ「秋」の気配がしてきている。秋は僕にとってPrivateが忙しい時季なのでそこへ向けての準備をも少しずつ進めていきたい。