プロ野球監督選びの基準と学生会組織 | 北海道地区学生会@法政通信のブログ

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コールデンウイーク・スクーリングを受講されているみなさん、おつかれさまです

このブログは、北海道以外の在住の法政通信の学生さんや通教関係者ではない法政出身者にもご覧戴いております。

さて、今日のブログのネタは、途中から辛口メラメラになります。

日本ハムの新庄監督(BIG BOSS)をはじめ、
プロ野球の監督などを選出する際、何を基準に選ぶのでしょうか。

一概には決めつけられませんが、弱体化したチームの立て直しが出来るとか、巧みな采配や選手・コーチらの起用で勝てる様な人物を選ぶはずです。

随分前の話ですが、日本ハムの監督選びで、お客を呼べるかを基準にした事があるそうです。

監督も務めた事がある大沢親分が球団常務の頃、
「この人は監督・コーチ歴はないけど、某人気球団出身の選手で見た目も良いから、お客を呼べる」
「あの人は他球団の監督を長く務めて実績十分だけど、観客を呼べるか」
という基準で監督選びをしたがる球団役員らの姿勢に、大沢親分得意の「喝!!」を放ちます。

Jリーグが間もなく始まる1992(平成4)年秋、大沢親分は
「そんなに人気が大事なら、アイドルを監督にしろ!」
と言ったらしいです。

また、こうした基準で監督選びをしていた頃、常勝チームの西武の監督は森祇晶監督で、
「勝てるが、面白くない」
「華が無い」
と言う世間的な評価も受けていました。
監督からすると
「面白い野球って何?」
「負けてもいいから、面白い野球をしろというのか?」
と言いたくなるでしょう。

西武・森祇晶監督と似た評価を受けているのが、中日の落合博満監督。
8年間で4度のリーグ優勝、日本一1回は、高く評価出来ます。
とくに、監督初年の2004(平成16)年は、監督への前評判が良しくない中でリーグ優勝をしました。
「勝つ事こそが、最大のファンサービス」という落合監督の考えは、監督の仕事・契約という意味では正しいのですが、球団経営といった目線からは誤解を生んでしまい、1994(平成6)年秋の西武・森祇晶監督同様、シーズン途中であるにも関わらず、2011(平成23)年秋、落合監督の更迭を中日球団が発表しました。

昭和55年にミスター・長嶋茂雄が巨人の監督を更迭されましたが、この背景に、3年連続のV逸のほか、
「1点差試合に弱い」
という評価がありました。

一方で、ノムさんは昭和の南海、平成の阪神での監督更迭の理由が、いわゆる“女房”の問題でした。

前述のミスター・長嶋茂雄に監督を引き受けて貰う為に、大洋やヤクルトはミスターと親しい関根潤三監督(法政大学OB)を招いた事もありました。
要は、関根監督が後任経験のミスターに監督を引き受けて貰うためのチームづくりです。
結果的にミスターは巨人以外のユニフォームを着る事はありませんでしたが、関根監督時代のヤクルトにミスターの息子・一茂選手が入団しました。

ミスターが巨人監督に復帰した1992年秋と言えば、先にも述べた日本ハムの大沢親分のアイドル監督の話の時期でもあり、ヤクルトのノムさんが優勝し、森祇晶監督の西武が日本一を決めました。
甲子園を沸かせた星稜高校のゴジラ・松井秀喜の入団と合わせて、ミスターの監督復帰(同時に子息・一茂の巨人移籍)は、さらに注目されました。

昭和のロッテでは、監督選びが難航した時代もありました。
近鉄のコーチを務めていた山本一義監督が急遽ロッテの監督に就いた背景に、広島商業高校、法政大学の先輩である鶴岡一人氏の推薦がありました。
余談ですが、鶴岡氏(旧・山本姓)の子息である山本泰氏は、法政通信のホームページの「法政LIFE!」 に紹介されています。
スポーツの世界において、郷里・学校の先輩の意見は尊重しなければいけない時代でした。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題

プロ野球の監督を通教の地域学生会に置き換えたとして、
監督 = 支部長・ブロック長
とした場合、何を基準に支部長・ブロック長選びをするのでしょうか?
前者は職業、後者はボランティアというのはひとまず置いて、以下考えていきたいです。

勿論、自分のところにも北海道学生会のブロック長の話は来たりする事がありますが、上述の監督選びの話を読まれると、簡単には引き受けないとする理由が分かると思います。
単純に「あなたしかいません」といった声は、気持ちが伝わらず一蹴します(告白じゃないのですから…)。

プロ野球監督の「お客を呼べるか」は「参加者を呼べるか」と同じ意味になるはずです。

言うまでも無く「参加者あっての学生会(組織)」だと思っています。

以前、
「北海道の学生・卒業生の●●さんを、公式ホームページや前出の法政LIFE!等で取り上げてはいかがですか?」
などと、過去何度か通教担当事務へ電話を入れて薦めた事がありました。

ただ、この反対の動きについては、コロナ禍による活動自粛期間を含めた10年超の在学期間で1度も無いので、
「自分は、“呼べる器”では無い(森祇晶監督の項で例えると面白くない、華が無い)と思われている」
と、それが自分への評価と判断いたしました。

何度もブロック長を打診される事もありましたが、その都度、
根拠が曖昧で、軽く見られている様で心が傷つきます。
こういったときだけ、言葉を飾られても…
そうでないと言うなら(打診した方が自分を)ば、呼べる器であるのを証明してはどうですか?
もし(打診した方の考えが)“ルッキズム”なら本末転倒、言語道断。
改めて、まわり見渡して適任者はいませんか?
といった意味の事を返答しています。

数年前、消化器疾患で一部消化器を切除した身。
もし、目を吊り上げながら
「痩せてガリガリドクロ
だのといった暴言・失言(ハラスメント)を人前で受けては、適いません(ルッキズム)。

北海道以外の学生会では、どういった選出基準なのかは分かりかねますが、少なくても自分はプロ野球監督選びを知るだけに、前述のミスターの巨人監督復帰の1992年秋の大沢親分の言葉を借りると、内心
「そんなに人気が大事なら、アイドルをブロック長にしろ!」
と言い放ちたくなるほど、慎重になるのです。

みなさんの場合、何を基準に人選び・推薦をされるのでしょうか?