小売・流通と大学通信教育 | 北海道地区学生会@法政通信のブログ

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ここ数年、生活必需品の値上がりに驚きますね。

私が学生の頃(90年代)、流通について学びました。
この頃の流通業といえば、スーパー・ダイエーが中心でした。
プロ野球もダイエーホークスの頃でした。

90年前後のバブル経済までは、ダイエーの事業は手を広げていました。
昭和の終わりの話、南海ホークスの球団買収劇がそれを物語っています。
しかし、地価・景気の上昇に合わせた事業展開・出店をしていながらバブルが崩壊し、さらには阪神・淡路大震災により、ダイエー本社は大打撃を受けます。

実際、震災直前まではダイエーは巨人に匹敵する程、他球団から主力選手を呼び、外国から有名選手を連れてきて、入団を渋っていた有望新人選手を入団させています。
そのチームを指揮するのは世界のワンちゃんこと王貞治氏で、ミスター・長嶋茂雄氏とのON対決の実現に向けて、派手に広告をしていました。

このON対決、なかなか実現しません。
この頃は野村克也監督(ノムさん)率いるヤクルトとイチロ選手ーが活躍していたオリックスが最盛期を迎えていました。

やがて、ノムさんはヤクルトから阪神の監督へと移り
「強いチームをつくるのにはお金がかかる…」
先日のブログ でも触れましたが、オーナーに直訴し、また、オリックスもリーグ連覇で選手の年俸(人件費)が膨らみ、イチロー選手もメジャーへ移籍すると見られていた頃にようやく、最初で最後の“ON対決”が実現します。

90年代半ばから後半にかけてオリックスや西武がリーグ連覇を果たしながら、チームの戦力がピークを迎え、一方のダイエーの順位は次第に上がっていきます。

皮肉にも、小売業ダイエーの業績については厳しいままで、このON対決と騒がれていた時期にダイエー創業者の中内功氏は会長を退きます。

ダイエー球団の強さは維持されますが、裏を返すと前述の選手の年俸(人件費)は上がっていきます。
その人件費のコストカット策と見られるのが、優勝・日本一になりながらもケガで1シーズン棒に振った主砲の小久保選手(現ソフトバンク監督)の巨人への無償譲渡です。

程なくして、近鉄・オリックスの合併と楽天球団の新規参入といった球界再編問題で揺れていた2004年、ホークスの経営権はダイエーからソフトバンクへと移り、翌2005年、創業者の中内功氏が亡くなります。

この10余年の間で、ここまで変わってしまったダイエーですが、
子だくさんと言われた昭和40年代半ばくらいまでは、とにかく価格が安ければ安いほど売れ、その後も次々に事業を広げ、店舗数も増やしていき、1980(昭和55)年に小売業売上1兆円達成を果たします。

しかし、昭和から平成という世代に変わり、前述の景気という要因以外にも、ダイエー同様の食料品・生活品スーパーや、ドラッグストア、100円ショップなど低価格路線の大規模小売チェーンが次々に展開していった事

業績が下がった際、従業員のリストラ・出向はもちろん、パート従業員を長時間から短時間パート主体に切り替えて、結果的に優秀な労働者が少なくなった事

昭和の頃は安ければとにかく売れたはずが、大量生産などにより、所謂“安かろう、悪かろう”といった心理を招いて消費者の購買意欲を下げてしまった事

今では当然とされている小売業界の経営形態、雇用形態、販売形態が急に押し寄せてしまい、タイミング的な意味合いから、それらに対応しきれなったのかも知れません。

現在ではコロナ禍によって発展したネット型・宅配型が当たり前となり、必要なモノを必要なときに必要な分だけ自分の部屋からいつでも買うというスタイルが、昭和から平成にかけては、休日や夕方になれば、家族(親子や夫婦)で店へ直接行き、ついでに見かけたモノを買い外食もするというスタイルでした。

大学通信教育でも、昭和や平成前半までの頃は、大量の文献・論文を読み、課題リポートの郵送、添削・採点、単位修得試験、スクーリング、卒論審査という流れですが、ネット型・電子書籍主体が当たり前になり、採点期間の短縮、郵送費や旅費交通費の削減が図られました。

小売・流通も大学通信教育も、どこか共通している気がしてなりませんね。