若き日のルイス・ハミルトン、マクラーレンからウイリアムズに移籍打診もBMWが支援拒否 | 北海熊の独り言

若き日のルイス・ハミルトン、マクラーレンからウイリアムズに移籍打診もBMWが支援拒否

ルイス・ハミルトンは、ジュニア・カテゴリー時代にマクラーレンからウイリアムズに移籍しかけたことがあった。これについて、当時ウイリアムズに在籍していたパトリック・ヘッドが、改めて証言した。

 

ルイス・ハミルトンは7度チャンピオンに輝き、今や押しも押されぬF1のトップドライバーとなった。しかしジュニア・カテゴリー時代に一時、マクラーレンからの離脱とウイリアムズへの移籍を考えていたことがあるという。もしそれが現実のモノとなっていたら、彼のキャリアは大きく変わっていたかもしれない。

 

ハミルトンはカート時代に当時マクラーレン代表のロン・デニスに自ら「あなたの車に乗ってワールドチャンピオンになりたい」と言ったというエピソードは有名だ。ハミルトンに「9年後にまたおいで」と返したデニスだったが、その3年後にはデニスからハミルトンに接触。1998年にマクラーレンと長期契約を結び、チームのジュニアプログラムに参加した。

 

 しかし両者の関係は、2004年に危機を迎えた。この年、ハミルトンはマノー・モータースポーツからF3ユーロシリーズに参戦。1勝はマークしたのものの、ランキング5位に留まった。

 

ハミルトンの父親であるアンソニーは、2005年にF1直下のGP2シリーズへのステップアップを望んだが、マクラーレンはもう1年F3で経験を積むことを望んでいたのだ

 

利害が対立した後、ルイス・ハミルトンの陣営はウイリアムズに将来の契約について打診。しかし当時ウイリアムズと提携していたBMWがハミルトンへの支援を拒否したため、交渉は決裂したと言われている。

 

当時ウイリアムズの共同経営者を務めていたパトリック・ヘッドはRacingNews365.comに、改めて次のように明かした。

 

「彼らは私に電話をかけてきて、『君の家に行ってもいいか?』と言ったんだ」

 

「彼らがやってきて『ロン・デニスが僕たちを落としたんだ』と言った。その時、我々はBMWと組んでいた。私はフランク(フランク・ウイリアムズ)がマリオ・タイセン(BMWのテクニカルディレクター)に電話して、『見ろ、こいつは本当にいいドライバーになりそうだ』と言ったんだと思う」

 

「そしてマリオは、我々は資金を提供する気はないと言ったと思う。我々は財政的に彼のレースに資金を提供できる状況ではなかったんだ」

 

 

 結局ハミルトンはマクラーレンとの関係を継続し、2005年に20レース中15勝をマークしF3ユーロシリーズのチャンピオンに輝いた。

 

2006年にはGP2でチャンピオンを獲得。2007年にマクラーレンからF1デビューを果たすと、チームメイトで2年連続でのチャンピオン獲得直後だったフェルナンド・アロンソと互角に渡り合い、華々しくF1キャリアをスタートさせた。

 

 2008年にはフェラーリのフェリペ・マッサを1ポイント上回り、2年目にして初のチャンピオンに輝く。2013年にメルセデスに移籍すると、さらに6度のチャンピオンを獲得した。

 

 もしハミルトンがウイリアムズに移籍し、1年早くF1にたどり着いていたら……”マクラーレンの秘蔵っ子”としてデビューした現実ほどのインパクトは残せなかったはずだ。なお2006年のウイリアムズFW28はマーク・ウェーバーとニコ・ロズベルグが乗り、ベストリザルトは6位となっている。