小松礼雄物語(後編):死の淵から生還したグロージャン。燃え尽きたマシンの残骸から見た友の闘いの跡 | 北海熊の独り言

小松礼雄物語(後編):死の淵から生還したグロージャン。燃え尽きたマシンの残骸から見た友の闘いの跡

2024年からハースF1のチーム代表に就任する小松礼雄のレース人生回顧録。今回は長年の戦友であるロマン・グロージャンが猛火に包まれたバーレーンGPを回想する。

 

10代からイギリスに渡ってF1の夢を追い求め、ハースF1のチーム代表まで登り詰めた小松礼雄。その成功の裏には、佐藤琢磨との出会い、ルノー/ロータスでのロマン・グロージャンとの蜜月など、様々なサイドストーリーがある。そんな彼が自身の“幸運”なレース人生について独白した。今回はその最終回。

 

BAR、ルノー/ロータスでエンジニアとして経験を積んだ小松は、グロージャンの誘いで新興チームのハースへと移籍する。そんな中迎えた、2020年バーレーンGPのオープニングラップ、グロージャンはコース脇のガードレールに激突。マシンは大炎上し、周囲は騒然となった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

あの匂い……マシンがガレージに戻ってきた時の、焦げたシャシーの匂い、消火剤の匂い……あれは忘れられません。今でも恐ろしいです。

 

僕はあの時ピットウォールにいて、炎が上がった瞬間はそれがロマンだとは気付きませんでした。他のものを見ていたので、彼がコースを外れたのを見れていなかったんです。ただあれが彼だと気付いてからは……。マシンは火の玉になっていて、彼が出てくる様子はありませんでした。永遠のように感じられました。しかも乗っていたのは、僕の友人だった訳ですから。

 

それから誰かが「ロマンが出た、ロマンが出た」と言ったんです。信じられませんでした。「それは本当なのか? 誰か見たのか?」と。

 

 

 その後彼がTVスクリーンに映りました。変だと思われるかもしれませんが、それでも信じられませんでした。画面越しでは十分ではなかった。動いている彼を見るため、彼が病院に搬送される前にメディカルセンターに行かなければいけませんでした。

 

 誰かは覚えていませんが、FIAの誰かが入れてくれて、彼に会うことができました。ストレッチャーに乗って、ヘリに乗り込む直前でした。彼は僕に親指を立てました。彼は無事で、生きていたんです。

 

もちろん、僕にとって彼はドライバー以上の存在で、友人です。お互いの子供たちも同い年です。結果的に彼の最後のF1レースになったあのクラッシュの後、僕の頭の中は「もしも」でいっぱいでした。もし彼が数秒でも意識を失っていたら? 彼が左足を自由にすることができなかったら? 彼が何か判断を誤って脱出するのが遅れていたら?……(編注:マシンから脱出する際、グロージャンの左足のシューズが、ブレーキペダルに引っかかってしまったとされる)

 

 誤解してほしくないのですが、僕にとって最も大きな瞬間だったのは、彼のマシンが戻ってきて、コックピットカメラの映像を見た時です。安全面でマシンをどう改善すればいいのかということを理解したかったからです。ただ、ある意味僕にとってそれ以上に重要だったのは、彼が自分の人生と家族のためにどれだけ格闘していたかを認識できたことです。

 

 

コックピットの中で彼が過ごした時間は、レーシングスーツが耐えられる限界ギリギリでした。だからこそ、彼の身体は手を除けば無事だったんです。

 

あの時彼が1秒でも2秒でもパニックになっていたら、状況は変わっていたかもしれません。彼が身動きが取れないことに気付いてすぐに、コックピットに潜り直して足を引っ張ったんです。これは100%正しい判断でしたし、彼があの数秒間で下した判断は全て正しかったのだと思います。

 

 彼は家族のため、子供たちのため、決して諦めず、慌てることも躊躇うこともなかったんです。だから彼は生きています。とても感動的でした。

 

 僕は自分のことを幸運だと思っています。人生は計画通りにいかないこともあります。その過程でたくさんの素晴らしい人たちと出会い、チャンスをもらったことを嬉しく思っています。考えてみれば、僕の人生にはたくさんのチャンスがありました。ロータス・エンジニアリングでのインターンシップだってそうです。あの時はおそらく50社くらいに応募しましたが、その内30社くらいには即断られ、15社くらいは返事すら返ってきませんでした。

 

面接ができたのは2社だけで、ロータス・エンジニアリングが僕に職を与えてくれました。そしてその時たまたまボスがレースにハマっていたんです。それがなければ、僕はシルバーストンで琢磨くんと会うこともなかったでしょう。

 

 このチームにいるのだってそう。僕はエンストン(ルノー/ロータスの本拠地)にいたし、あのチームが気に入っていました。エンストンにいる間はビークルパフォーマンス部門からパフォーマンスエンジニア、レースエンジニアになり、チーフ・レースエンジニアになりました。とてもありがたいことでした。ただその中で、ここ(ハースF1)で働くという機会が巡ってきました。

 

 毎年新しいチームで働ける訳ではありません。だからこそ大きなことを成し遂げるチャンスでしたし、新しいものの発展に貢献できるチャンスでした。だからこそ僕はこのチャンスを掴みにいったし、今もチームをより良くすることに日々100%集中しています。

 

僕たちは真のレースチームです。ここにはいわゆる、惰性やお役所仕事のようなものは存在しません。決断が必要な時は決断をします。他の人がどう思うかは気にしません。もし間違った判断をしたらクビになるかもしれないと考える必要もありません。もし間違った判断をして説明しなくてはいけない時も、僕は何も隠しませんし、その必要はありません。

 

 

ここハースでは、決断を恐れる必要がないんです。そのほとんどが正しければいいんです。誰も常に100%正しい訳ではないですから。決断を恐れていたらうまくいくことはありません。

 

 僕はチームの文化が好きですし、これを続けていきたいと思っています。裏切りなどもありません。ベストを尽くそうとして、うまくいかないこともあります。ただそうなったとしても、僕たちは人を槍玉にあげることはありません。ただ仕切り直して、次こそ正しいことをするだけです。それがこのチームの本当に好きなところです。

 

僕は2016年からハースに加入しましたが、長い道のりでした。でもまだ改善すべきこと、学ぶべきことがたくさんあります。新しいチームを作り上げるというのは大きな挑戦で、大変なことです。ただ、今はそれを楽しんでいます。楽しければそこに情熱を傾けることができます。そうでなければ、この仕事は続けられないですね。

 


 

 そして小松は今、ハースF1のチーム代表となり、チームを牽引していく立場となった。彼が今後ハースをどう率いていくのか、彼が好きだという”このチームの文化”はどうなっていくのか? 世界中から注目が集まっている。

 

※関連